「永遠の孤高の翼」




 百年に一度の周期で、シマはそこに住むあらゆる命を飲み込んでしまう。


 例外があるとすれば、その性質の対象外となる、シマ固有の動植物たち。

 そしてシマのルールにさえ飲み込まれない、規格外の力をもった【呪神じゅしん】。


 或いは、死を乗り越えて再誕する力を有するモノならば――




 *




 この世界に存在する全ての生命は、ある一点から始まって爆発的に多様性を増し、そして再びある一点に収束するように進化を重ねている。

 星の始まりと終わり――いては宇宙全体のサイクルにも通じるこの一連の流れは、その実、ただそれ自体を繰り返すためだけに仕組まれたものだった。


 進化の行き着くところ。

 終わりと始まりの、交わるところ。

 それこそが、【神】という存在。

 即ち、全ての生き物は、たった一つの神を生み出すためだけに、生と死を繰り返している。

 数多の犠牲を礎とし、宇宙は、一なる神を形作っていく……。



 永遠の孤高の翼フルコキリム

 いつしかそう呼ばれるようになったその鳥の始まりは、辺境の森に生まれた一羽の梟だった。

 それは魔王と勇者が戦っていた時代。

 魔族が地上を侵攻し、人類の生存領域が次々に奪われていく暗黒の時代。

 彼女は、自分が、他の存在とは明らかに異なっていることに気が付いた。

 知性。

 同胞たちも少なからずもっているそれが――自分の場合、明らかに高かったのだ。

 本能と理性のバランスが、野生の動物の感覚とは根底から違う。

 それ故に、彼女が梟でありながら『魔法』を理解し、操るようになるまでに長い時間は掛からない。自らの力で森に攻め入る魔族を撃退し、やがて彼女は、森を総べる王となる。


 ……それから数百年。

 魔王が勇者によって討ち滅ぼされてから、気の遠くなるような長い時が過ぎた。

 彼女はまだ生きていた。

 成長に成長を重ねたその容姿は既に元の梟の原型を留めてはおらず、鳥類の特徴を多分に含んだ四足獣のように変わっていた。人間からはグリフィンと呼ばれ、神聖なる存在として崇められていた。


 しかしその時もまだ、梟であったはずの自分がなぜ不老不死にも近い能力を持ち、このような姿になっているのか、という疑問に明確な答えは出せていなかった。

 故に、彼女の人生の大半は、その真実を探る思考の旅であったと言っていい。

 深い深い森の奥でただひとり、彼女は考え続けていた。

 幸い――考える時間だけは無限に在った。


 時を経て人類は飛躍的に発展していったが、結局魔族がいなくなっても争いがなくなることはなかった。

 残念ながら勇者の願った平和な世界なんてものは訪れず、フルコキリムが守っていた森も、長い時の中でその殆どが戦火に飲まれ消失してしまっていた。


 ニンゲンに敵意を向け、抗戦する選択肢もなかったわけではない。

 ただ、彼女はそれをしなかった。それをするだけの感情の機微を、ニンゲンに対して特に抱くことがついに無かったからだ。


 彼女の周囲には、彼女にとって大切なものは一つとして存在しなかった。

 ……厳密には、存在できなかった。

 理由は、簡単だ。

 彼女の持つ不死性は、他者の命を吸うことで実現されていたからだ。


 まだ自分が梟だと思っていた頃は、ちゃんと狩りをして、日々を食いつなぐことに必死だった。

 しかしある日、自分が何日も飲まず食わずでも全く体が衰えないことに気付いてしまった。

 どうして何も食べなくても平気なのか。

 その原因に辿り着いたのは、神聖なるものとして森の奥に引きこもるようになってからだった。

 長く寄り添った樹が、枯れてしまうのだ。

 最初は偶然かと思ったが、場所を変えても同じことが繰り返され、そこで彼女はようやく、自身に宿る力の正体に気付く。


 傍にいる、ただそれだけで、文字通り命を奪う。

 それこそが、における真の食事なのだ。

 それ以外の摂食行為は――何の意味もない、ただの娯楽に過ぎなかったのだ。


 そしてそれに気付いた時が、同時に不老不死を自覚した瞬間でもあった。

 命を吸っているから、寿命が尽きない。

 寿命が尽きないから――成長し続ける。

 不滅であり、無限。

 永遠にして、孤高……。

 彼女はまさに、この星の生物の、頂点にも等しかった。



 *



 世界の終わりに一なる神を生み出すために、全ての生物は、やがてその中から【特異点】を生み出すようになる。

 動物、植物、魚類、人間、昆虫、果ては細菌に至るまで――種族を問わず、成長を遂げた【特異点】には、必ず【翼】と【特別な力】と【不死性】が備わっていた。

 いずれも、現行の生物を遥かに超越した神獣だ。

 ニンゲンはそれらに対し様々な呼び名をつけてきたが――


 【不死鳥】


 翼を有し、不死身の彼らを総称するのに、これ以上相応しい言葉はないだろう。


 永遠の孤高の翼フルコキリムは、梟という種の中から生まれた特異点だった。

 神に至るべく栄枯盛衰を繰り返す生物集団の中から何段階も抜きん出た、神に近い存在――神になるべくして産み落とされた命だった。



 *



 文明の明かりの消え去った最果ての孤島から飛び立つ、黒い影。

 失われた夢の残骸をかき分けて蘇ったそれは、不死鳥。

 ……そう、世界各地を渡り歩いてきた、永遠の孤高の翼フルコキリムもまた、シマに囚われたモノの一つだった。

 殺されても死ぬことは無く、死の後、再誕する力を持つ彼女は、百年周期で訪れる災厄の中から蘇り――そしてハッキリと認識した。


 ……こんなところに、長居はできない。


 

 

 いくら不死鳥であっても、この場所にだけはいられない。

 いられるかも知れないが、いたくない。

 だから――その鋭い眼光は、遥か沖合の呪われし神を瞬時に捉えるのだ。

 あれを殺して、シマを去る。

 それこそが最優先事項。

 ――全ては、全てが終わった後に取り繕えば良い。


「ウグメを……殺して……外に、出る……!」


 人間の視力では、海上に存在するウグメを黒い点とすら認識できないほどの距離。

 しかしフルコキリムが全力であるならば、そこは既に、射程内だ。

 彼女の権能、ただそこに在るだけで命を奪い尽くしてしまう吸命結界――通称、【死の半径】。通常時は円形に広げている影響力を、細く伸ばし、ウグメのいるところまで強引に届かせる……!


「前に一度、小競り合いをしたことがあったな、ウグメ。互いに遊びだったが故に手の内の全てを晒すことは無かったが、おまえの弱点は既に分かっている。おまえは、【海の上でしか戦えない】。それがおまえの【Law】――とか言ったか? だから、ならばッ、……!」


 やり場のない怒りに震えた声を上げ、フルコキリムはその力を全開にした。

 災厄を乗り越え再誕し、その寿命のほとんどをすり減らしてしまった彼女は、極度の飢餓状態にあった。だからだろう、その力は容赦なく周囲の木々を枯らし、大気を濁らせ、そして――凄まじい力で、呪神ウグメの命さえも吸い上げていく……!


「……お。……おぉ……、なんだか、力が抜けて来たぁ……」

「グメちゃん?! 攻撃されてます! 応戦して! 応戦!!」

「無理むり、射程外だもん」

「そこは色々あるでしょ! 身を守るとか逃げるとか! もっと融通利かせようよ!? 向けられた敵意にくらい、ちゃんと反応して!」

「あのねぇメロたん、私は今とっても、そういう気分ではないの。ちゃんと外に出ようとするならまだしも、地上でお食事をしているだけの相手とまで戦うつもりなんか毛頭ないんだよ」

「あるからーーーー! 今まさにグメちゃんをブッ殺して外に出る気満々だからあの害鳥!!」

「テイラー=リンドヴルムはかく語りき。『信じることが人間の強さである』。ということで彼女を信じるところから始めてみるのはいかがかしら?」

「要らない影響受けないで! なんでこんなに馬鹿に染まり易いのこの子!」


 海上でぎゃあぎゃあ喚く人魚娘であったが、ついに痺れを切らし、その首から下を現し、ウグメとフルコキリムの間に割って入るのだった。

 頭に生えた二つの黒い角が、彼女もまたウグメと同類――即ち【呪神】であることを示している。

 呪われし海の神、メロウ。

 シマを守るウグメとは姉妹のような関係で――ウグメが守ることに特化しているのに対し、彼女は破壊と滅却を役割としている。


「ど、どうせ大して効いてはいないんだとしても……ウグメがやられてるのを黙って見ていられるほど、私の沸点は高くないですよ……!」

「うむ。確かにずっと海中にいたとは思えぬ暖かさよ」

「ふきゃあ! グメちゃん! 離れて! 危ない!!」


 ウグメ同様に滞空する能力は持っているが、背後からウグメに抱きつかれバランスを崩している辺り、空中での姿勢制御はそこまで得意ではないらしい。しばらく空中でワチャワチャした後、二人は揃って海に墜落していった。

 ちなみに二人がそんな茶番を繰り広げている間も、ずっとフルコキリムは命を吸い続けている。普通の人間ならとっくに枯れ果てている勢いで吸われているが、依然として余裕たっぷりな辺りはさすが神といったところだろう。


「っぷはぁ……! ほ、ほんとに離れて……危ないから……!」

「……駄目よメロたん。私がくっついてないと、あなた全力戦闘するつもりでしょ。この星を破壊するつもり?」

「かっ……、も、もちろん加減はしますって!」

「この世で最もでしょ。あなたは」

「ぐぬぬ……」

「専守防衛の私と違って、メロたんは敵を滅ぼすことだけが目的の、血も涙も残さず抹消する最強最悪の殺戮兵器なんだから、無闇に力を振るわないの」

「言い方……! いやでも、じゃあだってどうしろって言うんです……」

「私がくっついてれば、メロたんは全力が出せない――。戦うな、とは言ってない。害鳥駆除ならこれくらいはいいハンデ。違う? それとも……」


 ――人魚娘の背中にぴったりと抱き付いて、ウグメは嘲笑うような声音で囁く。


「本気が出せなきゃ、メロたんはあの程度の生き物にも負けちゃうの?」


「ばっ…………バカにしないで下さい! 本気が出せなくても、グメちゃんの障壁魔法くらいならぶち抜けるんですから! あ、あんなのに負けたりしませんっ!」


「よろしい。がんばれメロたん」


 再び浮上し――フルコキリムと同じ高度まで上がって来た人魚娘の姿は、いつの間にかニンゲンと同じ形に変化していた。上半身は人魚らしく水着のような露出度の布地を身につけた程度だが、下半身は足のラインがハッキリと出るジーンズ姿になっている。島に流れ着いたファッション誌を参考にしたものであり、彼女も大概に人間の影響を受けやすいタイプだが――それはさておき。


「――初めまして、不死鳥フルコキリム。私はメロウ。呪われし神々の柱が一つ――【最大攻撃力オーバーキラー】のメロウです。以後、お見知りおきを」


 神の声をもって直接、フルコキリムに向けて挨拶を飛ばす。別に、名乗る必要もないのだが、根が真面目な性格なのだった。そしてそれは、フルコキリムも同様に。


「初めまして、呪神メロウ。私は不死鳥、永遠の孤高の翼フルコキリム。七つの翼を束ねる鳥の王。ところで申し訳ないのだけれど、あなたもウグメの同類なら、やはり私と戦うことは出来ないんじゃないかしら?」


「えぇ……そうですね。【私はこのシマの生物を殺せない】。でも、それをどう解釈するかは、私が決める事です」


「……ふぅん……?」


 メロウが、魔力によって一本の槍を具象化する。

 その動作こそ、彼女がフルコキリムと戦うことが可能であるという、分かり易い根拠だった。


 世界を縛る、法。

 、楔、或いは、桎梏。

 【Lawロウ】……ただしその解釈は、所有者に委ねられる――。




 *




 呪神メロウの『神としての能力』は、たった一つ。

 【最大攻撃力オーバーキラー】と呼ばれる権能。

 これが適用されている間、メロウのあらゆる動作に攻撃判定がつき、加えてその判定に対しどんな形であろうと僅かにでも触れれば、メロウの最大攻撃力分のダメージが叩き込まれるという実にシンプルな能力。


 ――故に、ウグメが彼女にくっついている間、メロウはこれを使用できない。

 なぜならこの状態でそれを使えば、即ち彼女の一挙手一投足の全てが確定クリティカルの攻撃判定となり、背中にくっついているウグメを殺してしまうことになるからだ。

 ウグメは確かに最強の呪神ではあるが、メロウの攻撃力が直撃したならば流石に死ぬだろう。ウグメという存在を超えてその向こう側にある全てを破壊する程の攻撃力だ。ウグメが死ななくても、ウグメがこの世界に存在しているという事実の方が、痕跡も残らず破壊されて消滅してしまう。


 先刻、テイラー率いる宇宙艦隊の集中砲火を無傷で凌いだ呪神ウグメの障壁魔法は、その名を【理外術:過ぎた幸運の魔重壁(スリーセブン)】という。

 『第五界域』級の魔法にも耐え得る700枚の盾と、『第六界域』級の魔法を防ぎ切る70枚の盾と、『第七界域』級の魔法をも弾き返す7枚の盾、あわせて777枚の盾の層で身を守るという、この世の規格から外れているにも程がある防御魔法なのだが、メロウはこれを、素の殴打だけで700枚まで確実に破壊できる。

 ちょっとした攻撃用の魔法を併用すれば、770枚まではイケるだろう。

 全力であれば全てを破壊し、その一撃はウグメをも破壊し得る。

 とりわけ攻撃力という一点において、彼女はウグメを遥かに凌駕するのだ。

 勿論、攻撃力だけでは勝敗が決まらないからこそ、ウグメが最強であるというのは変わりないのだが――。


 ともあれ、それほどまでに理不尽な攻撃力を持つメロウが、多少の手加減を強いられた程度でどこまで弱体化してくれるのかと言えば、それはもうお察しである。


 結論からいえば、フルコキリムの体は羽毛の一枚を残し、蒸発していた。

 【最大攻撃力オーバーキラー】未適用で、これである。

 投げつけられた『槍』が、ぶつかっただけ。たったそれだけのことで体積の99.9%が消し飛んだのだ。相手はウグメと同格の呪神なので、当たればそういうことになるかも知れないとは思っていた。思っていたけれども。いくらなんでもそこまで滅茶苦茶なことになるなんて、ちょっと聞いてない。

 というか、投げた槍の動きからしておかしかった。

 投げたと同時に当たったように見えた。速いとかじゃない。メロウの攻撃判定が、いきなりような感覚だった。


 その実態は、座標指定攻撃。

 メロウはその高過ぎる攻撃力が故に、指定した座標一点にのみダメージを収束させる攻撃魔法を、必ず併用する。でなければこんなちっぽけなシマ、いいや惑星など、余波だけで消し飛んでしまう。

 しかし、自身の力を制御するために併用されているその魔法は、座標を指定して直接攻撃を行う性質と相俟って事実上、彼女のちょっとした槍投げを不可避の一撃必殺へと昇華していたのだ。しかも余波が拡散しないということは、全てのエネルギーが変換効率100%で破壊に直結するということでもあるわけで。

 このようにして、ただでさえ凶悪極まりない攻撃性能に、補助魔法が奇跡的なシナジーを発揮し、ウグメをして『最強最悪の殺戮兵器』と言わしめる存在となったのが、このメロウという呪神なのであった。


 フルコキリムは、決して弱くはない。

 ただ相手が悪かっ――



「…………ッッッぐあっぁぁぁあああああああああッッッ!!」


「うひゃぁ!?」



 ……羽毛の一枚から、フルコキリムは逆再生のように蘇った。

 ウグメからたっぷり吸い取ったはずの命の半分以上を失いながら、彼女は死を乗り越えて再誕する。


「ぜぇ、はぁッ、はぁっ、はぁっ……!!」

「うわ……内臓から再生するんですか……きもちわる……」

「誰のせいよ!!」

「せめて外皮から再生しません……? 絵的に駄目ですよそれは……」

「そんなことで文句言われたのは生まれて初めてよ……次があったらそうさせてもらうわ……!」

「ありますよ次も――だってあなたは不死鳥なのでしょう? だったら、私の攻撃くらい――耐えてくれなきゃ困りますッ!」


 次弾装填。

 再び魔力で槍を作り、投擲の構えに入る。

 そして相手の考える時間を削ぐために、速やかなる第二投。

 回避不可の絶対攻撃。

 フルコキリムの姿は今度こそ完全に、メロウの視界から消え去ったのであった。



 *



 座標指定攻撃は、その余波が決して拡散しない。

 そのため、音も手ごたえも一切ない。

 あるのはその相貌に映る、フルコキリムが消滅したという事実のみ。

 勝利を確信したメロウが、一瞬、気を緩めたその時だった。


「――メロたん。上」

「え?」


 ――ウグメの言葉につられ、顔を上げる。

 しかし、そこには蒼天が広がるばかり。

 何もない。

 何も――視えない。


 ……?


「……ッ……あっぁぁぁああっ!?」


 次の瞬間、空は赤く、そしてすぐに真っ黒に塗り潰された。



「あっ、ぐっ……目、がっ…………!!」



 視えない。

 視えない、視界が奪われた。

 目を攻撃された。

 眼球を切り裂かれた? 鋭い痛みが顔面を駆け巡る。

 何も視えないから――座標指定ができない。

 座標指定ができないと、彼女は

 なぜなら加減を誤ればこの星ごと壊してしまうから――!


「ぐっ……グメちゃ……いった……何が、なんで……!?」

「あの害鳥……『命を吸い取る』にも、使。そういえば、を……とか言ってたっけ。もしかしたら、七種類の能力があるのかも。当然、特異点たる不死鳥の力は、神にも及ぶ理外の力。それが七つか、興味深い……」

「そ、……それって、やばくないです……!? 理外術は、私たちにも……!」

「うん。効くねぇ。【Law】に直接干渉する魔法は、ステータスの差をも覆し得る……やれやれ。雛鳥と侮ったか。あれは既に、かなりね」


 フルコキリムの姿が消えたのは、メロウの攻撃が直撃したからではない。

 彼女は座標指定攻撃を受ける直前、自らの能力によってその姿をのだ。

 七つの翼を束ねる鳥の王。それは何かの比喩ではなく――そのままの意味。ただしこの場合の翼とは、当然……七種類の不死鳥の翼を示す。


 不死鳥同士は、出会えば互いに滅ぼし合う運命にある。

 強力な光と影が互いを高め合うように、不死鳥たちは見えざる力によって導かれ、引かれ合い――そして殺し合って、やがて一つとなっていく。その最後に辿り着くのが……神。

 今はまだ若き不死鳥であるフルコキリムは、しかしこの島に辿り着く前に、既に六体の不死鳥を屠って来た。

 命を吸い取るという極めて強力な力で、数多の不死鳥を屈服させ、その体に取り込んで来たのだ。それぞれの能力と共に――。


 そのうちの一枚。

 一匹の蛾から始まった不死鳥――【無限の見えざる翼インフィニティ】。

 その力は、自身を完全に見えなくすること。

 それは他の生物の視力によって捉えられなくなるだけでなく、この世界を支配するもっと大きなルールからさえも見逃されるようになるスキル。

 ただ透明になるのではない。言い換えるなら、【干渉されなくなるスキル】だ。認識されず、攻撃されない。故に無敵。完全無欠の――力だった。

 フルコキリムがそれをいかにして攻略したのかは、別の話として。


 他の不死鳥を吸収した彼女は、同時にそれらが持っていた【翼の力】をも手に入れていた。

 この世界の魔法の原理を超越した、まさしく理の外側の魔術(Out of World Learnings)――【理外術(オウル)】。神にさえ通用する、規格外の能力を――彼女は七つも有しているのだ。

 そのうちのいくつかは、呪われし神を殺すにも、足る。


 姿を隠したフルコキリムは、旋回しながら再びメロウに迫る。元々音もなく飛行するのは梟の嗜みだったが、【無限の見えざる翼】の力を得た後にはそれが究極の暗殺技術として完成した。その爪が今度はメロウの首を狙う。その細い首を掴み、締め上げて、捩じ切って殺す。そんな強烈な殺意すら誰からも気取られない、この無敵の能力で――!


(さっきはウグメに邪魔された……次は外さない!)


 殺せる。

 確かな実感を伴い、その両翼に力がこもる。


 ……あれ?

 何かがおかしい。

 ふと、脳裏を小さな違和感が過ぎる。

 けれどこの高速戦闘中にそれはあまりに一瞬の出来事で、結局彼女は次に事態が急転するまで、違和感の正体には気付けなかった。


 どうしてウグメは反応できたのか、という……とても簡単な違和感だったのに。



「メロたん。真後ろから来るよ。タイミング合わせて」

「……はい。グメちゃんを信じます」


 両目を切り裂かれ、視力を失ったメロウ。

 その目となるウグメの指示は――あまりにも正確。

 飛び込んでくるフルコキリムの顎部に、振り向きざまのメロウの、渾身の右ストレートが――重なる。

 ……当たるはずがない。

 フルコキリムインフィニティの完全なるステルスは、ではなくなのだから。

 カウンターパンチがヒットすることなど、あるはずが――


「――【理外術:濡れ衣の着せ替え人形(ココロ・オー・ドール)】」


 ウグメが指先を振るう。

 刹那、メロウの拳の目の前で、フルコキリムが突如として実体化した。

 もはや何も考える時間などない。攻撃がキャンセル不可能になった直後の、誰にもどうしようもない神懸かり的タイミングで――ウグメは動き、そして間もなくメロウの一撃が、そこに重なった。

 ただでさえあり得ない破壊力の拳が、クロスカウンターの形で炸裂し――フルコキリムの体は再び、木端微塵に蒸発する……!


「アッ……が…………!!」


 今度は僅かに、尾翼の先端だけが残った。

 肉の牢獄から解き放たれ、精神だけを残した不死鳥は――再生と同時に考える。


 いつだ。

 いつ、仕掛けられていた?

 強制的に翼の力を解除されたのは、ウグメに何らかの魔法を仕掛けられたからに違いない。外部からの干渉を受けないインフィニティの能力が掻き消されたのは、それが内部からの攻撃だったからだ。そんなものが、いったいいつの間に……!?


 考え、考えて、体が再生し終えるか終えないかのところでウグメの顔を見て――フルコキリムは思い出す。そして同じようにフルコキリムの顔を見ていたウグメもまた、彼女が答えに辿り着いたであろうことを理解し、告げた。


「――そう。正解。おまえ、私の命を吸ったろう……? その時点で勝負はついていた」

「まさ……か……」

「おまえの力は、既に掌握している。残念だったなフルコキリム」



 一つだけ、ウグメは嘘を言った。

 さも、フルコキリムの全ての能力を掌握したかのような物言いをしたが、実際のところはとりあえず急ぎ足で、インフィニティの能力のコントロールだけをウグメ本体に移し替えただけだった。

 不死鳥の固有能力は第七界域カオス級の理外術、さすがのウグメでも解析には膨大な時間がかかる。恐らくこの戦闘がどれだけ長引いても、あと一つか二つを抑えるのが限界だろう。そういう実感があった。

 けれどそれを一切表情に出さず、フルコキリムにプレッシャーをかけたのは――特に何の理由もなく、ただ彼女の表情が乏しかったというだけの話である。


 フルコキリムは勿論、そんなウグメの胸中など知る由もない。

 よって、敗色濃厚な短期決戦に臨む以外の選択肢が――もはやない。


「こ……のッ、性悪があぁぁああああッ!!」


 フルコキリムは瞬時に、通常時は日常生活に支障が出ないよう制御している体の大きさを、本来のそれへと変化させた。その結果、まだ終わり切っていなかった肉体の再生に、メロウのクロスカウンターのために伸ばした右腕を、捉えて巻き込む……!

 無数の筋線維で絡め取り、自らメロウの枷となった超至近距離。最後のチャンスは此処にしかないと悟り、フルコキリムは賭けに出る。


「げっ! ちょっ……抜けな……!!」


 ――フルコキリムは、本当はその力を使うつもりはなかった。

 勝つことよりも守りたいプライドというものも、なくはないのだ。

 だから他のどの能力を使うことになったとしても、できればその能力だけは、使いたくはなかった――が。

 それでも今、ここで勝たなければならないと思った。

 全てを捨てよう。

 意地も誇りもなげうとう。

 この機を逃せば、呪われし神を殺すチャンスは二度とない……!

 この身にウグメの能力の侵入を許してしまった。

 本当に全ての能力が掌握されたなら、何もかもが手遅れになる……!


(……本当は、もう永遠に眠っていたかったよね。……ごめん、もう一度、今だけ、私に、力を、貸して――!)


 切り札を切るのは、今しかない。


「【虚空に嘆く鶴熱砲の翼ブラックレイン】」


 その翼の能力は、物質の最小単位を強制的に崩壊させる。

 ……そこから取り出された莫大なエネルギーは、全てそのまま破壊の力に変わり、周囲一帯を焦土と化す……。そして、その代償に降る忌まわしき雨が、連鎖的にその被害を拡大させるという、禁断の翼……。


 その翼は――決して。


 この世に生まれてはいけない力だった。


 どこにも存在してはならない力だった。


 罪であり、過ちであり、そして――罰そのものだった。


 だから彼は、眠りに就きたいと願った。

 そして永遠の孤高の翼フルコキリムは、それを叶えたのだ……。




 遠き過去に神々が設け、神話を通じてこの世界の人類にも伝わる魔法区分では、上から二番目が『第六界域(リミット)』と呼ばれている。

 そこが、魔法効果の大きさとして、事実上の上限だからだ。

 どれだけ複雑な魔法定式スクリプトを編み上げ、どれだけ難解な詠唱を重ね、どれだけ優秀な魔術師たちが束になろうとも、ただの魔法ではこれより上には至れない。

 最上位界域――『第七界域カオス』は、根底から異なる異能だけが属する『別枠』なのだ。詳細は省略するが、この世界のルールに直接干渉する系統の魔術――【理外術オウル】だけが、ここに区分される。

 単純な規模や破壊力だけを取り上げれば、理外術は『第六界域』に劣るだろう。

 しかし、こと戦闘においてその力は――あらゆるの魔法を凌駕する。



「災厄の黒き雨……虚空に嘆け――!」



 進化の特異点――各不死鳥の固有能力は、その系統が既存の魔法体系からは大幅に外れたところにあり、限りなく理外術に近い。

 ……だからこそ、翼を持つ者はやがて神にさえ至るのだ。


 海上が閃光に包まれる。

 規格外の熱量が海面を押し込み、それによって発生した大波によって孤島は僅かな時間、海の底へと姿を隠してしまうのだった。




 *




 ……数時間後。

 浜辺には巨大な羽毛の塊が流れ着いていた。

 しばらくすると塊はぴくりと動き、身震いをして――ひょい、と頭を持ち上げる。


「…………」


 だんだんとはっきりしてきた意識をもって、過去の記憶を探る。

 しかしこの見慣れた浜辺からの景色が、ここが少なくとも孤島の外でないことを淡々と告げていて。

 要するに、何も思い出すまでもなく、ただ敗北したという事実だけがそこにあったのだった……。


「えーと、あれだ。おまえは一人で戦ったが、私たちは二人の力を合わせたんだ。これがそう、つまりなんだ、絆の力というやつだ!」


 ……ウグメだった。

 浜辺で、熱した石の上で焼いた巻貝を食べながら、勝ち誇ったことを言うウグメの姿がそこにあった。


「だが、安心するがいい。おまえはひとりじゃない――これからは私たちと共に、神を目指すのだ」


 フルコキリムの力を認めウグメは手を差し伸べる。

 台詞が作り物じみていて気色悪い以上に、その貝の汁でベッタベタな手を差し出されてどうすればいいのかが分からなかった。啄んでやろうかと思ったが、やめた。


「さぁ。仲良くしようフルコキリム。呪われし神は、おまえを歓迎するぞ――!」

「…………………………」


 フルコキリムは――そこで翼を広げると。

 力強く羽ばたき、ウグメに大量の砂をぶっかけながら空高く舞い上がる。

 そして上空にて。


「――だぁぁああれがッ! おまえらみたいな化物と仲良くなんかッ、するかぁぁぁぁあああああああ!!」


 ……最も神に近い生き物は、泣いた。

 鳴いたっていうか、泣いた。


「バーカバーカ! 一生海の上で潮風浴びてろ! 油断して角にフジツボ生えてろーーーーーッッ!!!」


 鳥のくせに、見事なまでの負け犬の遠吠えだった。

 ついでとばかりに放たれたよく分からない罵詈雑言が、大空に木霊する。

 それきり彼女は島の奥地へ飛び去っていき、どこかの森に墜落するように飛び込んでいくと、向こう数十年くらい、呪神たちの前に姿を見せることはないのであった……。








「……生えないもん……フジツボなんか生えないもん……くすん……」

「よしよし。グメちゃんはフジツボなんて生えませんよ」



 後日、メロウの膝枕で泣くウグメの姿が、海上にあったとかなかったとか。






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