「そのシマは命を喰らう」
過去、現在、未来。
人間の考える世界の流れはこの三つの区分からなり、そしてそれは、概ね神々の認識においても正しい。
違いがあるとすれば人間はそれを時間と呼ぶが、神々はそれを場所と認識していることくらいか。
どちらにせよ生物的な限界の中では、この認識の差を覆すことはできない。どうせ人間にはこの区分けの中を、自由には移動できないのだから。
遠い昔、天地魔界を巻き込む戦争があり、その際に神々が作り出した秘宝である。
現存しているのはごく少数だが、そのいずれもが一般的な魔術理論を大幅に覆す能力を秘めているという。
この世界で、いわゆる冒険者と呼ばれる者たちの旅の目的は、この神器を探すことだ。
なぜなら神器には、一つを手に入れるだけでも一国を支配できる、或いは永遠の安寧が約束されるだけの力があるのだから。
かつて魔王ゼレスを討ち破った勇者が所有していた聖剣もまた、人々の願いや想いを力に変えるという特別な魔法が宿った神器であったといわれている。
最終決戦にて破損した聖剣はその奇跡の力を失い、現在は帝国資料館に保管されている。閲覧自由。
――そして、『彼』。
考古学者のような風貌の、それでいて冒険家のような雰囲気を放つ
その白く細い指につけられている小奇麗な指輪は、断じて結婚指輪などではない。
その、一見するとどこにでもありそうな指輪こそ、神々の遺産――神器である。
勇者の聖剣さえ、非戦闘時には指輪の状態であったことは一般には知られていない。神々が作りし魔道具は普段、この地上において指輪のような小さなアクセサリーの形で存在しているのだ。
(この、過去と未来を視る力があれば……人類は飛躍的に進化する――!)
過去、とある遺跡の発掘作業中に奇跡的にも神器を手に入れた彼は、その瞬間から未来と過去を視る力を獲得していた。
彼はその能力自体は秘匿しつつも、それによって得た知恵と技術を巧みに使い、瞬く間に富と名声を得るに至った。
後の世に『叡智の錬金術師』と語り継がれ、教科書の片隅にも名を刻む偉人である。たった一つの、神器の魔法の力だけで。
彼はその奇跡の魔法を存分に使い、世界に散らばる数々の謎を解明していった。
やがてその真実を書物にして出版すれば、瞬く間にベストセラーとなる程の有名人となった。
しかし時に真実とは荒唐無稽なもので、書物の内容がそのまま全人類に信じられたかどうかは、別の話。
或いは彼自身には真実は分かっていただろうが、彼が一切の脚色を加えることなく執筆を行っていたかどうかもまた、別の話だ。
かくしてそうやってあらゆる謎を解明し続けた彼が――この『世界の最果ての孤島』に足を踏み入れてしまったのは、ある意味では当然の結果と言えるだろう。
生来持ち合わせていた人並み以上の好奇心と、神器の与える仮初の万能感が、彼をここに導いたのは必然だった。
立ち入れば二度と出られない『海域』。
外の世界ではそう呼ばれているが、まさか『孤島』であったとは。
しかしどういう理由で誰も外に出られないのかについては、神器の力があればすぐに解明できるだろう。
謎が解明されれば、脱出も叶う。
そうすればこの未知なる海域の正体を突き止めた英雄として、さらに大きな名声を得られるに違いない。
千年を跨ぐ人類の歴史上、未だこの海域から生還した者は一人もいないという。
それを成し遂げたとなれば、かつて魔王を倒した勇者に次ぐ新たな英雄として、世界中にその名を轟かせることになるに決まっている――というわけだ。
そして孤島に立ち入って。
その未来を視る力によって、シマに潜むあらゆる危険を回避しながら。
果たして彼は……真実に至ったのだろうか。
彼が次に取った行動は、同じく孤島に流れ着いていた人類の『進化』だった。
「莫迦げている。下らない。こんなものがこの孤島の真実か――ならばこの私が、テイラー=リンドヴルムが! その貧相な真実を打ち砕いて、人類史における最大の謎に相応しいファンタジーに書き換えてやろうッ!」
過去と未来の全てが、彼の味方だった。
人類を何段階も発展させる、極上の叡智こそが彼の味方だった。
鋼鉄を自在に加工する技術。
海を渡る船を、空へと飛ばす技術。
光という本来触れられぬ力に、物理的な干渉能力を与える技術。
不眠不休で何十日も活動できる体を手に入れる技術――
孤島に立ち入って三十年。
彼はついに、この孤島内部に世界最強の艦隊を結成した。
シマから出ればそのまま宇宙進出だって可能。
他の惑星まで航行することさえできる。
そういう艦隊を、たった三十年で彼は作り上げたのだ。
何よりも彼と同じように、様々な理由で孤島に流れ着いた多くの者たちが皆、彼を現人神と崇め称え、そのあらゆる命令に盲目的に従事したことが大きかった。テイラーだけでは流石に不可能なこともあったろう、けれど最終的には、みんなで力を合わせて大きなことを成し遂げるのが人間の素晴らしさだということを、彼も含めて皆が実感することとなったのだった。
それもそのはずで、未来を見据えている彼には、あらゆる叛逆が意味を成さないから。彼だからこそ可能な、完璧なる統治が、そこにはあったのだ。
「呪神ウグメ……この孤島を守る哀れな【Law】……今こそ我が艦隊の力の前に打ち砕けるがいいッ! 全艦、砲撃よォーーーーい!」
無数の砲門が照準するは、一人の少女。
白髪に、黒い角のような二つの毛並み。裾のボロボロになったローブのような衣服に身を包んだ――呪われし神。
「科学は魔法を超えたのだ! オープン・ファイアーーーッ!!」
砲身から飛び出すのは弾丸ではない。
高密度に圧縮された光学エネルギーが、大気に触れた瞬間バチバチとプラズマの火花を散らしながら少女に向かって直進するのだ。その速度は光よりもやや遅い。しかしそれでも、視認とほぼ同時に直撃するだけの速さがある。避けることは出来ない。たとえそれが神であろうとも。
ごく一部の魔術師のみが扱える、『極限魔法』というものがある。
高次元の魔力操作技術と、複雑な『
魔法分類学においては、この極限魔法が『
この時テイラーが放った艦砲射撃の威力は、その極限魔法を確かに超えていた。
今までこの世界にあった『科学では決して魔法には敵わない』という常識の壁を、テイラーは打ち破ったのだ。
未来から先取りした技術であろうとも、それが人類が辿り着ける力であることに違いは無い。つまり人類はいずれ来る未来に、魔法を超えた科学力を手に入れることが出来るのだ。それが分かっていたからこそテイラーはシマに来る前から口癖のように言っていた。
『やがて科学は魔法を超えるのだ』――と。
皮肉にもその口癖が、彼の評価を大きく下げていたのだが……もはやそんなこと、今の彼にとっては取るに足らないことである。
『
惑星一つを屠れる魔法、とだけ定義され、人間には決して到達できないとされていた威力を持つ破壊兵器は……かつて魔王ゼレスが振るっていたいかなる破壊魔法よりも――確実に強い。
その砲撃が一つや二つなどではなく、この日の決戦のために用意した五十隻の飛空戦艦の、数えて三百を超える砲門から一斉に放たれるのだ。
加えて最新鋭のレーダー技術と、決して重力や風の影響を受けないレーザー兵器の成せる精密な砲撃が組み合わされば、一発たりともその狙いが外れることはない……!
「――や、やりました! 直撃です!」
「やったぜざまぁみろッ、跡形もねぇぜ! ひゃっはぁあ!」
「艦長……これで、これで我々は……島の外に――」
無線通信がにわかに沸き立つ。
無理もない。
彼らの悲願なのだ。
この孤島に閉じ込められて、長い者では数十年。
誰もがもう一度、島の外に出たいと願い――そしてそれが叶わず命果てていった者も少なくない。
どんな相手だろうと、これだけの攻撃を受けて無事でいるはずがないのだ。
ようやく見えた勝利という名の光明を前に、感情を抑えろというのが無理な話である。
「――シルフィ、アリーネ、今、帰るぞ……!」
――最後尾に配置されていた大型砲撃支援艦の乗組員の一人が、大陸に残してきた家族のことを思った……その瞬間だった。
ジッ……という何かが焼け焦げるような音と共に、船が大きく傾いたのだ。
顔を上げると、空が見えた。艦内からは見えるはずのない、現実の青い空は――艦が空中で真っ二つに切断されたことを示していた。
「な……ッ……?」
制御を失い、機関室諸共寸断された船は――直後、爆発する。乗組員たちが次々と海へ転落していく。その頭上で、船は次々に破壊されていく。大きな爆発が、何度も何度も繰り返し、人類の努力を、叡智を、進化を、容赦なく踏みにじる……!
「やっ……やめろッ! やめろぉぉおおおッ!!」
落下しながら――単なる乗組員である彼には、叫ぶことしかできない。いや、その叫びすらも破壊の音に飲み込まれ、やがては海に沈んでいく……。
それはもはや……何もできないのと、同じだ。何もしていないのと――同じなのだ。
やはり何も成せないのか。ニンゲン如きには。そう思い知らされながら――艦隊は次々に海へと落ちていく……。
「ふむ……『
戦艦は悉く木っ端微塵に破壊され、海上には僅かな煤だけが降り注ぐ。何もそこまで徹底して破壊しなくてもいいのに――なんて誰もが思うくらい、常軌を逸した破壊活動を前に、戦意を削がれるなと叫べる者が一人でも残されていただろうか。……いや、いない。
「でも残念。専守防衛を旨とする私の障壁魔法は『
少女の声は、その場の全員の脳に直接響く。
紛れもない本物の神の声だ。それはただ囁きかけるだけで、恐怖と絶望をばら撒ける。誰もが心折れかけた……その時、まだ撃墜されていない一際目立つ意匠を施された船の艦上に、一人の男が現れた。
降伏かと思ったが、違う。
その目には、強い戦意の火が揺らめく。
「――こうして直接会うのは初めてですね、神……ウグメ。はじめまして。テイラー=リンドヴルムです」
「よい。知っている。私はおまえの思惑の全てを知っている。おまえが神器の力で未来の技術を先取りしていたことも……そして今日を決戦の日に決めた理由も」
「……知っていて、それでも尚、応戦するのですね。あなたは」
「……。誰も外には出られない」
「それがあなたの【Law】だから」
「分かっているのなら、引き返しなさい。それとも、ここで死にたい?」
「その方が幸せなら、我々は喜んでそうしましょう……ですが」
考古学者風の上着を、テイラーは脱ぎ去った。
露わになった彼の体は、その半分以上が機械化されていた。
「私の船は特別でね。乗組員である私と一体化することにより、最強の戦闘マシンへと生まれ変わるのですよ……! 過去を視て計算するに、その時の私の
テイラーが胸のボタンを押すと、まず彼の足場となっていた飛空戦艦が、突如として空中分解し始めた。
当然の如く空に投げ出され、両手を広げて落下していくテイラー。
――その両腕と、船の両翼部が、
――その両足には船の後尾部が二つに分かれ、
残る戦艦の主要部位たちはそれぞれがテイラー自身をカバーするパーツとなり、両腕両足に超電磁接続!
科学の力が、機体の表面に輝ける回路を浮かび上がらせ、同時に各接合部からは白煙が噴出される!
最後に、胸部へ装着された船の先端部が大きく後方へと回転すると――中からニンゲンの顔を模した頭部が現れ、その両目がビュキィィィィイイインと光を放つッ!
変形の終わりに、背部から抜き取りたるは竜骨のブレード。
その湾曲した刃に科学の光が灯る時、あらゆる悪を両断する宇宙最強の機神が、爆誕するのである……!
「完成ッ!
ドォオォオオオオン! と、背後で謎の爆発が起こり――かくしておよそ一分ほどの変身バンクを経て、巨大な人型戦闘機『
「ふっふふふ……流石の神とて、驚きのあまり声も出ないようですね」
「いや……なんかもう……なんだろう。いいから早くかかってこい」
「ウオオオオオオオオ! いくぞッ、テイラーブレード!」
(技名にも自分の名前入れるんだ――)
自己主張の強い機体から繰り出される自己主張の塊みたいな一撃を、ウグメは容易く受け止める。避けるだけなら避けてもいいのだが、なんかもうそういう気分ではない。
「っていうか……未来が視えるなら、分かっているはずだろう。私に勝つ未来が存在しないことを」
「はははははははは! ならばなぜ無駄な戦いをするのか、とでも聞きたいのですか? 実に無粋な問い掛けですね呪神ウグメッ!」
弾かれ、姿勢を崩されるが――ジェット噴射により立て直し、再び超電機空神テイラーXはウグメに突撃を仕掛けていく。
「
「…………」
「確かに今ッ、今はまだ、おまえに勝てる未来はない……しかしウグメ! 神などには分かるまい! 人間は……未来を、無から生み出せるんだ……!」
「……馬鹿馬鹿しい。無からは何も生まれない」
「生まれるさ。だから私がここにいる!」
「このシマに立ち入った時点で――おまえたちはこの世界から消え去ったのだ。いてもいなくても変わらないモノは――いないのと変わらない……!」
「いいや変わるさ!! いれば変わる、変われるんだッ!!」
「根拠のないことを……!」
――テイラーは既に、シマの過去を視ている。
だから、なぜウグメという存在が生まれたのかを理解している。
理解をして、そして誰にも、それは語っていない。
全てを知ったその上で、『下らない』と思ったからだ。
シマの真実は、きっとシマの中にあると思っていたのに。
蓋を開けてみればその答えは全て、シマの外にあったのだから。
解こうとするほど、解けなくなる謎。
出ようとするほど、出られなくなる島。
そしてテイラーは悟る。
こんなところに閉じ込められたまま一生を終えるくらいなら――最後くらい派手にやりたいと。
それまでずっとセーブして使ってきた神器の力を全開にし、数千年先の未来の技術にまで手を伸ばし――やりたい放題やってから死んでいきたいと。
だって、どうせ、ここからは出られないのだから。
何をしても、外の世界にはもう、何の影響も与えられないのだから……。
「根拠なんて要らない! 信じることが人間の強さだ! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
*
一夜明けて。
孤島からは、全ての人間の命が消えていた。
あれだけ賑わっていた村も、文化も、全てが消えた。
……それももう、見慣れた光景だった。
この島には死しかない。
流れ着いた者たちが脱出を諦め、どれだけこの島に馴染み、この島の中で繁栄を願おうとも。
百年に一度。この島は、命を飲み込んでいく。全てを、簡単にリセットしてしまう。
「……久々に、少しだけ、楽しかったわ」
テイラー=リンドヴルムを思い浮かべ、ウグメは呟いた。
独り言、のつもりだったけれど……。
空中を漂う彼女の真下で、海面から顔を覗かせる人魚娘がそれに反応した。
「――人間は面白いですよ。グメちゃんも、もっと人間と関わればいいんです」
「……百年でお別れすることになる生き物に、感情移入したくない」
この島にいる限り、百年以上を生きられる人間はいない。
全員死ぬ。だから……仲良くなったところで、意味はない。
「そんなの気にすることないですよ。どうせ人間の寿命もそれくらいですから」
人魚娘はくすくす笑いながらそう主張する。
まるで消耗品じゃないか――と言い掛けて、ウグメは思い出した。
「……そういえば。消耗品だったわね、人間は」
「そうですよそうですとも。人間は消耗品ですよ。だって――」
「「それが彼らの【Law】だから」」
二つの神は静かに笑い、広い海に姿を隠す。
再びこの島に人が流れ着き、新しい物語が始まる、その時まで――
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