Chapter 6 大蛇の牙、風の咆哮

「……」


 アスト達が敵部隊『金鱗の大蛇Gilded Serpent』に奇襲を行い、このまま敵を圧倒できるのではないかと、一部に気のゆるみが起きていた時、アストだけは渋い顔を森の向こうにいるであろう敵に向かって向けていた。


「お兄ちゃん?」

「うん?」

「……どうしたの?」

「いや……」


 アストは内心『上手くいきすぎている』と考える。それは、かつても『特殊戦術技能兵Special Tactics Skill Soldier』と相対した者独自の思考であり、遭遇戦が初めてであるマーマデューク他にはないものであった。

 マーマデュークはエリシスの魔法によるサポートを受けながら、次々に矢を放ち森を駆けていく。彼には敵が矢を受けて倒れる気配が届いており、それゆえに勝利を確信しつつあった。


(ふむ……、この程度の部隊に我が祖国の精鋭が? ……森に籠りすぎて技を衰えさせたのか?)


そんなことを思考しつつ森を駆ける金髪の野獣。しかし、不意に嫌な予感を感じて眉をひそめたのである。


「……。?!」


 ザザザ!!


 不意に背後の草むらが揺れて音を響かせる。そこから黒い影が踊りでできた。


「あ!!」


 マーマデュークの近くで魔法の歌を歌っていたエリシスが声をあげる。その突然の黒い影の正体が、敵兵であることに気づいたからである。


「マーマデューク!!」


 エリシスは悲鳴をあげてマーマデュークの方へと駆ける。


「く?! 馬鹿な? なぜ回り込まれて?」


 マーマデュークは驚きを隠すことが出来ず、必死に追いすがる敵兵からその身を遠ざけようと駆ける。

 だが、敵兵の動きはあまりに洗練されており、歴戦の英雄であるマーマデュークでさえ振り切ることはできなかった。


(くそ!! 手ごたえを確かに感じていたが……。まさかフェイクか?! 囮をこちらが狙い撃ちする間に、別動隊が回り込んでいたのか!!)


 異様な手甲から伸びた刃が、マーマデュークを切り刻もうと縦横無尽に振るわれる。その動きは、命がけの戦いをいくつも乗り越えてきた英傑だからこそなんとか避けることが出来ていた。


「マーマデューク!!」

「来ないで!! エリシス!!」


 その手の大槌を振りかぶりながら、マーマデュークのもとへと駆けてくるエリシスを、彼は悲鳴のような叫びで止める。


(エリシスでは、これは太刀打ちできない!! 援護は自殺行為だ!!)


「でも!!」

「いいから!! この場から離れて!! ほかにも敵が潜んでいるかもしれない!!」

「く……」


 エリシスは苦しげに呻くと涙目でマーマデュークを見つめる。


(やだ……、せっかく再会できたのに……)


 エリシスはマーマデュークと敵兵の大立ち回りを絶望的な気持ちで見つめる。言ってもマーマデュークは弓兵である、近接戦闘は得意ではない。ただ、歴戦の勇士だからこそ追いすがる敵兵の凶刃を掻い潜ることが出来ているだけなのだ。そして、それにはいつか限界が来る。


「くあ!!」


 不意に血しぶきが周囲の木々に飛び散る。それはマーマデュークの身から出たものであった。


「いやあ!!」


 あまりの事にエリシスは悲鳴を上げる。マーマデュークの腹が切り裂かれていた。


「がは……」


 彼は血反吐を吐きながらも、その身の動きを止めず、何とかさらなる凶刃を掻い潜っていく。


(いや!! このままじゃ……)


 エリシスはもはやその場から逃げるという思考が頭の中から消えてなくなった。なぜなら……、


(マーマデュークを死なせない!! 絶対に!!)


 そして次の瞬間、マーマデュークの耳に美しい歌声が確かに聞こえてきた。それはエリシスの……、大事な幼馴染への強い想い。


「エリシス?!」


 エリシスはその場で癒しの大魔法を展開している。その妙なる輝きが、マーマデュークの腹の傷を縫合し癒していく。


「エリシス駄目だ!!」


 その光景をマーマデュークは苦しげな表情で見つめる。癒しの歌の効果は確かに強力だが……、


(そんなことをすれば……、敵の目標は……)


 その通り。それまでマーマデュークを追っていた敵兵の刃が、その場にとどまり歌を歌い続けるエリシスへと向けられる。

 戦場でのセオリー通り、敵は攻撃目標を癒し手へと変更したのである。


「まて!!」


 マーマデュークは弓を、エリシスへと駆ける敵兵へと向ける。エリシスを避けながら敵を打ち抜く自信はあった。


「エリシス!!」


 ……だが、マーマデュークにとってこの世で最も大切な幼馴染の危機に、焦りが生じて一瞬のためらいが生じてしまったのである。


(くそ!!)


 このまま矢を放ってもエリシスへ向かう凶刃を止めることはできない。……歴戦のカンが絶望的な予想を告げていた。


(ああ……、あんな事言うんじゃなかった。エリシスを悲しませるような事を)


 ここにきてマーマデュークは、エリシスと言い合いになった時の事を思い出す。後悔と絶望がマーマデュークの心を黒く染めていった。


 ドン!!


 不意に起こった衝撃波がエリシスの小柄な体を木の葉のように吹き飛ばした。マーマデュークには、何事が起ったのか予測がつかなかった。


『ヴァダールヴォウ……アシュトヴァール……』


 それは、力ある風の大神・アシュトヴァールへの帰依を示す真言。


「あ」


 それを、森の木々を越えた向こうに立つアストが、確かに口にしていたのである。


「アストさん? まさか……」


 それは驚きの光景であった。アストは今まで剣や弓は使っていたが、真言魔法を扱った事はなかった。それが目の前の彼は……。


『暴風の大神……天空をかける大いなる風よ……。我が矢に破邪顕正の理力を与えたまえ……』


風天奉迅撃エアリアルキャノン


 森を暴風が突き抜けていく。それは的確に敵兵を貫き、その風の顎で砕きバラバラにしてしまった。

 呆然と自分を見つめるマーマデュークに笑いかけつつ、アストは心の中で決意を固めていた。


(この戦い……、こちらの切り札を隠している暇はない。俺の全力を敵に叩きつけてやる)


 その風は、まさしく嵐の始まりを告げていたのである。

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