Chapter 14 黒髪の少女
海岸線に面する小さな都市国家ガノン、それは漁業で生計を立てる漁師たちの住む海洋国家である。ラシドに比べてもかなり規模の小さい小国であり、交易船が寄港することはあるものの、明確な交易の拠点にはなっていない辺境の港町である。
鉤爪の夢魔号は、ガノンから見えない距離の海に停泊すると小舟を下してそれにアスト達をのせた。
「すまない……我々はなるべく港には停泊したくないんだ、いろいろ調べられる可能性もあるのでね。君たちとはこれでお別れになる……」
「いえ……ここまで送っていただいただけでもありがたいです。それに、いろいろな話を聞けて良かったですよ」
「そういてくれると助かる……。しかし、縁があればまた君たちをのせることもあるだろう……、我々はまだしばらくこちらに居るのでね……」
「はい……その時はお願いします」
アスト達はネモスに礼を言ってから小舟を海岸に向けて動かし始めた。
ネモスたちはいつまでもアスト達に向かって手を振っていた。
「しかし、この時代に別大陸から渡ってきてる人がいるなんて……」
リディアがそう言ってアストを見る。
「そうだな……、この大陸の調査だって言っていたが……、アークさんの歴史研究もその一環なんだろうな」
そのアストの言葉にリックルが笑いながら言う。
「そんな事より! 技術だよ!! あの船に使われている技術はすごいもんだったね!! あれなら最強最速なのも頷ける!」
そのリックルの言葉にリディアが答える。
「そうね……別大陸ってあそこまで進んだ技術を持っているんだって感心しちゃった……」
「うん!! 見てみたいな……セイアーレス大陸か……」
「これは……リックルの、パック族としての血が燃えちゃってるのかな? まだ、旅に出ちゃダメだからね」
そのリディアの言葉にリックルは笑う。
「大丈夫だよ!! 私はアシュト達の旅に付き合うって決めてるから、他大陸への旅はそれが終わってからにするさ!」
「もしかしたら。私たちも他大陸へ行くかもしれないしね?」
「そうだね!! アシュト! そうしようよ!!」
そのリックルの言葉にアストは笑って答える。
「そうだな……姉さんのことが終わったらそれもいいかもしれないな」
そのアストの答えにリックルは笑顔で言った。
「やった!! 決まりだね! 約束したぞ?!」
リックルのその言葉にリディアが突っ込む。
「こら……まだ決まってないよ。まだこの大陸でやることは沢山あるんだからね?」
そうしたリディアとリックルのやり取りを聞きながらアストは考えていた。
(ネモス艦長は言っていた……。100年の間に『狂神』が復活して世界は滅ぶと……。それが正しいとすると、今ソーディアン大陸を襲っている魔龍アールゾヴァリダがその『狂神』なのか? ……おそらく、そう考えるのが普通なんだろうが、何か違和感を感じる……。予言を残したセイアーレスの魔龍が出現したのは今から50年前……、だから『これから狂神が復活する……』という意味なら、今から100年前にすでに出現していた魔龍アールゾヴァリダは該当しないことになる。もし……俺の想像が正しいなら……、魔龍と呼ばれる存在は『狂神』の前座……。『狂神』はそれ以上にヤバい存在ということになる。そんな存在とどうやって戦う? この世界は滅びるしかないのか? そんなこと……)
アストはいつの間にか怖い顔になっていた、それを見てリディアが心配そうに聞いてくる。
「どうしたのお兄ちゃん? 何かあった?」
「え? いや、ごめん。何でもないよ」
アストは慌てて取り繕う。それでもリディアは心配そうな顔をやめなかった。
「お兄ちゃん……悩んでるなら言ってね? 私はお兄ちゃんの妹なんだから、何でも相談に乗るからね?」
「ありがとうリディア……」
アストはそう言ってため息を付いた。大切な妹に心配をかけてしまう自分に少し腹が立った。
「とにかく……このガノンでこれからのことが決まる。目撃された女性が、俺の姉さんなのかどうなのか……確かめに行こう!」
そう言ってアストは近づいてくる港を指さす。
果たして、この街で待つ黒髪・黒い瞳の女性はアストの姉・カナデなのか? ――その結果が今にも判明しつつあった。
◆◇◆
「……」
その時、バルディ・ムーアは怖い顔をして酒を飲んでいた。それを隣の女性が見とがめる。
「どうしたのバルディ? そんな怖い顔でお酒を飲むもんじゃないわ」
「いや、最近お前の周りを探っているものがいるようでな……、もうそろそろここも潮時かもなって……」
「そうなの? バルディの調査が終わったんなら、私はすぐにでも出発できるけど?」
「ふむ……そうするかな。どうやら聖バリス教会の活動はカディルナ中部地方に移っているようだし、そっちへ移動するか……」
「そうね……でも、そうなると寂しくなるわね。ここのお酒結構気にいっていたんだけど……」
「……あのな。そもそも、お前が俺についてくる意味はないんだぞ? いい加減城に戻るか?」
「いやよ……あそこ窮屈だし……退屈だし……」
「ふう……困ったお姫様だな」
そう言ってバルディは隣の女性をジト目で見る。その女性は黒髪をなでながらお酒を飲んで澄まし顔である。
「それじゃあ、その酒を飲んだら。出立の準備をするぞ……、なるべく急いだ方がいい」
「せっかちねぇ……」
そう言って女性は黒い瞳で笑ったのである。
◆◇◆
ガノンの港へ着いたアスト達は、さっそく討伐士組合で聞いた宿へと直行することにした。その宿はガノンでも有名な老舗であり、それを探すだけなら特に時間を食うこともなかった。
「急ごう……」
アストがそう言って皆の先頭を走っていく。アストはここにきて目に見えて焦り始めていた。やっと姉のカナデに会えるかもしれない――、そのことがアストの心を逸らせていた。
「お兄ちゃん……、そんなに走らなくても……」
「……」
このときには、すでにリディアの言葉すら耳に届いてはいなかった。
リディアたちは仕方なく、黙ってアストの後を追った。そして――、
「ここが……姉さんがいるかもしれない宿か……」
アスト達はとうとう、最初の目的地である、ガノンの宿・夕暮れの黄昏亭にたどり着いたのである。
アスト達がゲルダの集落を旅立ってから、すでに一月が経ってしまっていた。
「長かったけど……やっと」
「そうだね……、ここに来るのが旅の目的だったから……」
アストとリディアは感無量の気持ちで宿を見つめる。
アストは少し頷いてから宿の扉に手をかける。
「いくぞ……」
アストはそうして宿の扉を押し開けたのである。
「いらっしゃい……」
宿の玄関先の受付で主人が声をあげる。
「お泊りかな?」
「あ……いえ……そうではなく……」
宿の主人の言葉にアストがそう返すと、宿の主人が不審そうな顔になる。
「なんだい? 食事なら向かいの酒場にいてくれないと……。ここは宿泊だけの宿だよ?」
「あ……すみません。実は知り合いを探していまして……」
「知り合い?」
アストの言葉に宿の主人が不審げにそう答える。
「黒髪で黒い瞳の女性がここに泊まっていると聞きまして……」
「ふむ……」
そのアストの問いに主人は一瞬考えて。
「名前は?」
「え?」
「名前だよ……知り合いなんだろ?」
「う……」
主人の言葉にアストが言い淀む。
果たしてここに泊まっていたのはカナデなのか? そもそもカナデという名を名乗っていたのか?
しばらく考えたアストは、意を決して名を答えた。
「カナデって名前ですが?」
「……」
そのアストの言葉を聞いて、主人は一瞬ため息を付いて答えた。
「知らないね……。そもそも黒髪で黒い瞳の女性なんか泊まっていないよ……」
「え?」
アストはそれはおかしいと思った。
討伐士組合の調べでは、名前はわからないが、この宿に黒髪で黒い瞳の女性が確かに泊まっていたはずなのだ。
すると、不意にリックルがアストに小声で声をかける。
「アシュト……まずいよ……。こっち来て……」
そう言ってリックルはアストの手を引いて宿を出る。
それを宿の主人は明らかに警戒した目で見送ったのである。
「リックル? どうして?」
そのアストの言葉にリックルが答える。
「宿の主人に明らかに警戒されているよ。どうやら、アシュトはここに泊まっていた女性の名前を間違えたらしいね」
「え? それじゃあ……」
「うん……ここに泊まっていた女性はカナデという名前じゃないんだ……。アシュトが名前を間違えたから、宿の主人は警戒して嘘を教えた……。ここにはそもそも泊まっていないって……」
アストはリックルのその言葉にしばらく考え込む。
(カナデじゃない? 姉さんじゃないのか? そもそも、姉さんは本名を名乗っているのか?)
そう考え込むアストを見てリディアが言う。
「お兄ちゃん……ここで考え込んでても意味ないよ……。向かいの酒場に行ってみよう? 今度は何か聞けるかもしれない」
そのリディアの言葉に、アストは小さく頷いてため息を付いた。
「ここは止まるだけの宿だ……、食事時は向かいの酒場に行くということだから……。そこで情報を集めよう……」
出鼻をくじかれたアスト達は、そうして向かいの酒場へと入っていったのである。
◆◇◆
リックルは涙ながらに酒場の主人に話を続ける。
「そうして、離れ離れになった姉弟は八年たった現在その行方を捜して旅をしているということです!」
「そうかい、それは大変だったね……」
リックルの話に、目に涙をためて聞き入る酒場の主人。
アストとリディアは少し苦笑いしながらそのやり取りを見つめている。
「そうか……、そう言えばそこの君も黒髪で黒い瞳だね……、よく見ると目元も似てるかも?」
酒場の主人は、リックルの口車にころりと乗ってそう口走る。
「そうなんですよ! その……女性……」
リックルがわざと言いよどむ。すると酒場の主人は、あっさりと口を滑らせた。
「そう……フィリスさんの弟さんか……君が……」
「そう! フィリスはアシュトのお姉さんナンデス!!」
「そう言えば、前に言っていたよ……。『そんな弟もいた……』って……」
その酒場の主人の言葉にアストが確信を得る。
(姉さんだ……やはり姉さんがここに……)
リックルはそのアストを尻目に主人と会話を続ける。
「それで……フィリスさんはどこに?」
「ああ!! それは残念だったね!! でも急げば間に合うかも!!」
「え?」
リックルが驚いた声をあげる。主人は言う。
「フィリスさんなら、御付きの人とついさっき旅立ったよ。港で船に乗ってカディルナ中部地方のゲイブラッドへ向かうって言っていたぜ。早く港へ行きな! 間に合わなくなるぜ!!」
その主人の言葉にアスト達は慌てた。どうやら入れ違いになってしまったらしい。
「アシュト!」「お兄ちゃん!」
リックルとリディアが叫ぶ。アシュトは酒場から外に駆けだした。
すぐに、アストは狼笛を取り出して吹く。すぐにゲイルが駆けてきた。
「ゲイル!! 急げ!!」
そう叫んでゲイルに飛び乗るアスト。
そのまま、街中を港へ向けて疾走した。
「「……!!」」
そのはるか後方を叫びながら駆けるリディアとリックル。
二人はしばらく走ったあと、荒い息を吐きながらアストを見送ったのである。
(間に合って……)
リディアは、ただひたすらそれだけを思っていた。
◆◇◆
「ほら……急いで……船が出るよ」
水夫がそう言って、その二人を促す。
そう――、その水夫が声をかけたものこそ、フィリスとバルディであった。
「しかし、今時カディルナ中部地方へ渡ろうって、奇特な人間がいるとはね……。大金をもらったからどうでもいいことだが……」
バルディは努めてにこやかに水夫に対応する。
「こっちも仕事なんでな……。ホントは行きたくないんだけど……」
そのバルディの言葉をフィリスが聞きとがめる。
「なに? 私の所為?」
その言葉にバルディが笑いながら答えた。
「ははは!! そんな事これっぽっちも思っていないさ!! さあ!! お姫様お手を……」
そう言ってバルディがフィリスに手を差し伸べる。
フィリスは一瞬バルディの手を見つめた後、パシリと平手でその手を叩いた。
「いらない……」
そう言ってフィリスは頬を膨らませる。
バルディはその頬を指でつついて言った。
「急ごうぜ……船長が困ってる……」
「わかってるわよ……」
フィリスはため息を付くと、船に乗るための板に脚をかけた。その時――、
オウウウウウウウウウウ!!
どこからか狼の声が響く。
フィリスとバルディは何事かと港を振り返った。
「まさか……」
バルディがそう呟く。
その呟きを聞いたフィリスがバルディに聞く。
「どうしたの? バルディ……」
その言葉にバルディは一瞬ため息を付いて、水夫の方に向いてそちらに答えた。
「すまん……、どうやら彼らが追いついてきたらしい。少し出発を待ってくれ……」
そのバルディの言葉を、フィリスと水夫は呆然として聞いていた。
◆◇◆
「姉さん!!」
アストはゲイルの遠吠えに負けないくらいの声で叫ぶ。
港を人の波を避けて疾走する。そうするうちに、港の一角にその姿を見た。
「姉さん!!」
それは黒髪の女性であった。その女性はこちらを向いていないので顔を見ることはできなかった。しかし、
「バルディさん?!」
その隣に見知った顔を見つけてアストは驚きの声をあげる。
その言葉が届いたのか、バルディは笑いながら手を振る。アストはその場に急いだ。
「なに?」
黒髪の女性フィリスが、何事かとアストの方を向く。アストと目が合った。
「!!」
アストは絶句した。それは――、
「姉さん!!」
それは確かにカナデであった。見違えるはずもない姉の顔であった。
「?」
フィリスはその言葉に疑問符を飛ばす。アストを知らない者のような、警戒する目で見つめ返した。
「姉さん!!」
「よう! アスト」
そのアストの叫びにバルディが答える。
「やっと来たようだな……ここまで……」
「バルディさん? なんであなたがここに?」
そのアストの問いにバルディが笑って答える。
「このお姫様の護衛兼教育係さ……」
「お姫様って……姉さん?」
そのアストの言葉に、一瞬考えを巡らせたバルディは口を開く。
「フィリスがそう見えるのかい?」
「フィリスって……姉さんですよ……どう見てもそこに居るのはカナデ姉さんだ……」
「ふむ……なるほど……」
バルディは合点が言った表情で笑う。すると――、
「貴方……いい加減にしなさい?」
「え?」
そう言葉を発したのはフィリスであった。
「私はカナデなどと言う名ではありません!! この無礼者!!」
「え?」
そのフィリスの言葉に呆然とするアスト。
その顔を――姿をしばらく眺めたフィリスは、上から見下ろすかのような物言いで答えた。
「貴方……黒の部族……騎狼猟兵ですか? その貴方が……自分の主人の顔すら知らないのですか?」
「え……」
そのフィリスの物言いに声を詰まらせるアスト。
「この私を誰だと心得るか!! 私こそ、ボーファス帝国は天帝領の主人……、天帝フィリガナムなるぞ!!」
「え?!!」
アストはそのフィリスの言葉を聞いて驚愕の表情を見せる。
その表情を横目で見つつバルディが答えた。
「そう……この人は、残念ながら君の姉ではないよ……。このお転婆こそ、ボーファス帝国の現在の天帝様……、なんだなこれが……」
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