後編 巨人達の鎮魂
双方の存在が、目醒めを誘ったというのか。長きに渡り氷の中で眠り続けていた鮫型海獣と、陸鋼は――互いを見据え、牙を剥く。
巨大な牙が、銃剣の先が、快晴の日差しを浴びて眩い輝きを放ち。その光に照らされた両者の姿を、雄々しく魅せ付けている。
機体に遺された
「おい……ッ!」
戟の呼び掛けなど意に介さず、超低空を高速で駆け抜けていく陸鋼は、銃剣を海獣の上顎に突き立てる。が、牙に挟まれたその切っ先は、瞬く間に砕け散ってしまった。
間髪入れずに、折り畳まれていた前腕部のブレードを展開するが――その一閃が、間に合うことはなかった。
数千年に及ぶ眠りから覚めて間もない今の状態で、勝負になどなるはずがない。それを証明するかのように、陸鋼の巨体は瞬く間に大顎に捕われてしまったのだ。
錆び付いた機体が牙の鋭さと顎の力に軋み、ひび割れていく。ひしゃげた左腕の惨状が、その苛烈な威力を物語っていた。
「くそッ、離しやがれ! 超光波ビームッ!」
陸鋼が味方と決まったわけではない。が、この状況を黙って見ているような明星戟ではない。
彼を乗せたAは主人の意向に従い、両眼から真紅の熱線を放射する。その威力は必殺と呼べるほどのものではないが、注意を逸らすには十分だったようだ。
熱線に肉を焼かれる痛みに叫び、海獣は陸鋼を顎から離してしまったのである。吹っ飛ばされた陸鋼の巨躯は、氷原を削りながら徐々に減速し、やがてAの前で完全に静止した。
「大丈夫かッ!? 俺の言葉が分かるなら、すぐにここから――!?」
無惨にひしゃげた左腕。すでに満身創痍となっている、錆び付いた機体。改めてその状態を目にした戟は、咄嗟に駆け寄ろうとしたのだが。
それを無視するかのように、震えながらも上体を起こした陸鋼は――さらなる攻撃を開始したのである。
肩部の3連装対物レーザー砲。胸部の8連装ミサイルランチャー。その全門を展開して放つ、死力を尽くした一斉射撃だった。
絶え間なく舞い飛ぶ熱線と、弾頭の嵐。爆熱と衝撃波が周囲の氷原を溶かし、砕き、その破片を遥か広範囲に撒き散らしていく。
「な、なんて破壊力なんだッ! 氷が……氷がこっちにまで飛んでくるッ!」
「総員退避、退避ィイーッ!」
流星群となって降り注いでくる氷塊に、防衛軍の職員達が逃げ惑う中――ただ1人取り乱すことなく、剣呑な面持ちで見守っている峡蔵は、瞬きすら忘れて戦局を凝視していた。
「……彼奴を倒さぬ限りは、眠れぬというのだな」
この時代の一研究者に過ぎない彼には、対獣特装機兵の歴史や怪獣との因縁など、知る由もない。それでも、推し量ることはできる。
現代に起きた人型兵器と怪獣の戦いに、関わってきた者の1人として。今の陸鋼に遺された当時の想いを、慮ることは、できるのだ。
『戟、叶えてやってはくれぬか』
「あぁ、分かってる。……俺も、そのつもりだったさ」
それは、峡蔵の声を聞いていた戟も同じだった。彼の前では、すでに全弾を撃ち尽くした陸鋼が、震える腕でアサルトライフルを構えようとしている。
だが、大顎に捕われた際に関節部のアクチュエータを損傷したのか。腕が思うように上がらず、軋む音だけが響き続けていた。
対する海獣も、これまで蓄積されてきたダメージの顕れなのか、さらに動きが鈍っている。血を噴き出し呻き声を上げながら、それでもなお牙を剥いて迫り来るその姿は、さながら生ける屍であった。
「ほら……
そんな亡者に、引導を渡し。執念だけで動き続ける巨人に、安らぎを齎すために。戟を乗せたAは陸鋼の正面に立ち、海獣と相対する。
陸鋼に背を向け、親指で自身の肩を指す戟は。優しげな色を滲ませた眼差しで、疲れ果てた巨人を仰いでいた。
その想いを、知ってか知らずか。自身の半分程度の全長しかない、
まともに照準を合わせることすら叶わなかった右腕が、ようやく安定した。すでに海獣は、目と鼻の先まで迫っている。
「……頼むぜ」
その一言が、合図だった。Aの肩に乗せられた銃口が火を噴き、陸鋼のアサルトライフルが激しく振動する。
消えかけた蝋燭の火が、最後の輝きを放つように。持てる全ての火力が、その連射に込められていた。
天を衝く銃声、裂ける氷原、震える山。噴き上がる血飛沫、轟く咆哮、響き渡る衝撃音。
世界の終末すら連想させる激闘の余波が、南極の大地を揺るがしている。数千年の眠りと今日の覚醒は、この嵐の予兆だったのだ。
アサルトライフルの銃弾は、寸分狂わず海獣の眉間にのみ撃ち込まれている。先程、Aがイグニッションパンチを叩き込んだ箇所へ、さらに追い討ちを掛けるかのように。
すでに急所に達する寸前となっていた海獣の眉間へと。とどめの弾丸が、矢継ぎ早に突き刺さっていた。
そして、アサルトライフルの弾薬が尽き――力を使い果たした陸鋼が、仰向けに倒れた瞬間。奥の奥まで弾丸で貫かれ、脳を完全に破壊された海獣も、海中に没していく。
その様は、両者の相討ちを意味していた。唯一この場に立ち、決着の瞬間を見届けていたAは――踵を返し、陸鋼の方を見遣る。
「満足、したかよ」
言葉が通じるとは思っていない。が、それでも口をついて出てしまうのは――目の前で、陸鋼の崩壊が始まっていたからだ。
数千年にも渡り氷山に囚われた状態から、何の整備もなしに、いきなり内蔵された火器を多用し。朽ち果てた機体に無理を強いては、こうならない方がおかしい。
まるで灰で作られた山のように、ほんの僅かな風や振動で、陸鋼の機体はバラバラに崩れていく。
それは、陸鋼が戦い始めた時からすでに予想されていた結末であった。故に戟はこれ以上、動揺することもなく――ただ静かに寄り添い、その最期を看取る。
「……あんたが誰なのか。どこから来たのか、何のために戦ったのか。俺達には、何一つ分からない」
粉々に崩れていく陸鋼の前で膝を着く、Aの中から語り掛ける戟は。遥か遠くから見守っている峡蔵は。
氷原の裂け目から破片が零れ落ちていく様を、じっと見つめていた。
「だからせめて、これだけは言わせてくれ」
やがて陸鋼が身を預けていた氷が崩れ、残っていた残骸全てが、海獣の後を追うように沈んでいく。さながら水葬のように、消えていくその機体を見下ろしながら。
「……ありがとう」
通じるかどうかも分からないまま、コクピットから敬礼を捧げていた。海獣の死骸と陸鋼の破片が、一つ残らず見えなくなるまで――。
◇
その後、現地に合流した防衛軍によって調査隊が再編され、海中に沈んだ海獣と陸鋼の捜索が始まった。しかし、数ヶ月にも及ぶ調査を経てもなお、何一つ得られるものはなく――計画は中止。
メディアに取り上げられることもないまま、月日だけが流れていった。
それから、さらに数十年。数百年。数千年。
地球が、人類が、どのような歴史を辿っても大きな変化を迎えることなく。白い極寒の大地であり続けた南極の海底では――翼を持つ鋼鉄の巨人が、ただ静かに眠り続けていた。
その周囲に散りばめられた濃緑の破片は、巨人を包み込むように海中を漂っている。
肩を貸してくれて、ありがとう。そんな言葉にならない感謝を、伝えているかの如く――。
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