第4話 恋心と現実

 「20年前か…そんな昔の話?」

 

 外はまだ昼間で明るいけれど、太陽は真上からやや西に傾き、余計なほどにギラギラしていた日差しはいくらか和らいでいた。

昼間の穏やかな空気の中、大きなつばの帽子を被った女性が乳母車をゆっくり押しながらカフェの窓の向こうを通り過ぎていった。他にも厳重にアームカバーをし帽子に日傘を差した主婦が買い物袋を提げて歩いていき、ご老人など何人かぽつりぽつりとカフェの向かいの歩道を歩いていった。


 僕の回想に一休止もしくは終止符を打つように口を開いた如月さんの声音は、僕の思い出に、年月が長く重ねられ時間的距離さえ遠い話であることを印象付けた。


 「そんな昔のことを未だに引きずっているの?」

 僕は言い逃れたくなり模索するように窓の外を見れば、歩道の街路樹の葉は日の光に照らされて白く光り僕の目をくらませた。

 

 「確かに幼少期の大事な成長過程の時の記憶は忘れられないよね。

  でもこのファンレターの田河さんも書いている通り、

  彼女は今何しているかさえ分からないし、

  好きになった当時とはずいぶん容相が変わっているかもしれないよ。」


 僕は話半ばぼんやりと聞いていた。確かに確かに…

でも、動揺しているくせに僕は、なぜだかほんの少しもひるむ気がしない。


 「彼女―なずなさん、SNSをやっていたんだ。」

 「え?」

 如月さんは前のめりになり僕の顔を見上げた。


 SNSを見つけた日、それは2年前だった。

SNSのホーム記事をめくっていた時、指が止まった。


“このみ”という名前のSNS…。


昼下がりのリビングに淡い白とピンクの花柄のワンピースを着た女の子が横たわって無邪気に笑顔を向けている、そんな写真がアップロードされていた。

色白の肌に血色ピンクに染まった唇、あどけない顔…。

HNも同じであるし、20年近く前に見た10代のなずなさんの写真にそっくりで、恐らく本人だった。

横たわるなずなさんの後ろには室内用物干し竿に洗濯物がいくつもかけられていた。そして横に移ったテーブルにはマグカップが置かれていて、日常の一コマが映し出されていた。

それから二枚目、横顔アップの写真、

3枚目はテーブルに先ほどのマグカップ、そしておやつに食べるのだろうプリンが映っていた。


 その日からひそかにこのSNSを眺めていた。暇さえあれば何度でも…。

彼女はカフェで食べたティラミスの写真を何方向からも撮影してアップしていて、コメントには『あなたの為にケーキになったよ♪』とか『今準備中~☆』『おまたせ~食べて♪』とティラミスになりきって書いているのか、おどけたつぶやきが写真に添えられていた。


 またある時は、『辛い、助けて』という書き込みもあった。

それは、不思議なつぶやきだった。

『私には生き別れのパートナーがいる。』と言い、

『この世界の歪みのせいで二人離れ離れで会うこともできない。』

『一緒にファミレスもいけない。』

 と書かれていた。

それから

このみのアカウントのまま

『僕はこのみを愛している。いつかこのみを迎えに行くから。』

 というメッセージもあった。

はて、このみというアカウントをなずなさんと誰かの二人で使っているのだろうか。

『私は恋人がいないとダメだめなの。』

 とつぶやき、

そして

『でも僕たちは時々諍いさかう。いつでも心が通じ合っているわけではない。』

 というパートナーからの返信らしきつぶやき。

『いいえ。私たちはテレパシーで頭と心が繋がっているの。会いたい。』

『いつか会えるよ、その時まで、このみ、頑張って。』


こんな感じで同じ“このみ”という名前のアカウントで二人らしき会話のやり取りが述べられていた。


 「同じアカウントでこのみさんと恋人のやり取りを呟いてたの?」

 僕は頷いた。

 「それって、恋人と同じアカウントを共有していちゃついてるの?

  …?え?それとも…自作自演?!」


 僕は目を瞬かせた。

 「このみさん―なずなさんだっけ?心が病んでるのかな?」

 更に鋭く如月さんは追究した。

僕はおもむろにiPhoneを取り出した。そしてスクリーンショットの画像を開いた。

 「ああ、本当に呟いてる。一つのアカウントで二人分の会話してる。」

 「僕は、二人分、なずなさんが演じていると思う。

  本当に心の病かもしれない。というか不登校児だったし。

  でも文脈がロマンチックで…。」

 如月さんは苦笑した。

 「ロマンチックねぇ。

  現実離れしてて、なんか、ちゃんと生活できるのか心配だけど。」

 それから僕は別のスクリーンショットを開いた。

 「何?」

 それを見て如月さんは感嘆した。


 『わたしは人間ではない。

  ゼリーフィッシュのような形をした単細胞生物。

  神のいたずらによって人間の肉体に閉じ込められたの。』


 という呟きがあった。


 「何々?SF?本当に心が調子悪いんじゃないの?」

 如月さんは怪訝そうに言った。

僕はなぜだかくすりと笑ってしまった。

 「僕もびっくりしたよ。次なんか…」


 『わたしは数学を覚えたらそれでボディデザインを緻密に計算して、

  麗しいフラミンゴになりたい。』

 『将来わたしは数学的な美のあるフラミンゴになるの。』


 僕は読みながらまた笑ってしまった。

 「確かに発想は不思議。心も少し病んでるかも。でも、可愛らしい。

 ロマンスがあるよね。」


 如月さんは少し言葉を失った後にいつものような強い眼差しで僕を見た。

 「のろけ?色ボケ?は?

  ところでなんでスクリーンショットなの?」


 「彼女、このSNS消してしまったんだ。

  結構精神的に乱れた呟きも多かった。

  『怖い』とか『死にたい』とか『誰かにいじめられてる』とか。

  そういう、つぶやきを何回か連ねた後に消えてしまったよ。」


 「じゃあ、また、このみさんは消息不明なんだ。」

 とりあえず、アイスティを口に運んで気を取り直して如月さんは言った。

そして、空気に触れて少し乾き始めたミックスサラダサンドを口に運び、はみ出るほどに大きなレタスが唇を通り抜けていった。


 「ううん、彼女は同じ名前でまたSNSを始めてる。

  プロフィール写真が同じなんだ。小さな青色の春の草花のフォト。オオイヌノフグリ…だったかな。

  だけど、自己紹介には“統合失調症”と記されている。

  やっぱり病気だったんだね。」


 「うーん…プロフィールのアイコンと名前が同じなら同じ人かもしれないけど…。

  顔写真とかは出てないの?」

  もぐもぐと口を動かしながら質問する彼はまるで小動物のようだ。

 「ううん、もう顔写真は載せてない。」

 「違う人かもしれないよね。はっきりと本人とは言い切れない。」

 僕は少しだけ肩を落とした。僕が好きな彼女は実体がつかめないものだった。


 少しの間、如月さんは残りのサンドイッチを食べていた。

食べ終わると、真剣な表情に戻り言った。

 「ところで、今日は仕事の依頼相談ではなかったのかな?」


 僕は、自分から仕事の依頼をしておきながらも、触れてはいけないものに触れられるような寒気を感じた。手は一瞬、痺れを感じ、そしてまた呼吸をし直して彼に伝えた。

 「今回は詩の絵本を作成したいと思っています。

  僕の…なずなさんへの密かな思いを作品にしたいのです。」


 「また、抒情的なこと?

  感情や心は人それぞれに個性があり違いがある。様々な心の持ち方がある。

  そうした千差万別なものに僕の絵を提供したら偏った捉え方をされてしまう。

  特に恋心は人それぞれ違うのだから。

  僕のブランドは客観的に支持されるものでありたい。」

 如月さんはきっぱりと言った。

僕も予想していた。もしくはこうした彼の断りをしっかりと聞きたかったのかもしれない。宛ての無い、意味があるかもわからないこの恋心に一つの区切りをつける為に…。

 

 「結局、僕が断った『神は僕と彼女の琴線に触れる』の挿絵は、

  成田さんが描いたんじゃないか?

  とても良かったと思うよ。」


 「ありがとうございます。

  でも、僕はこの整理しきれない形のつかめない恋心を

  別の人の視点から客観的に描いてもらいたかったです。」


 アイスティのグラスは空になり、如月さんはストローで氷を鳴らせた。

おかわりを頼むそぶりもなく何かの終わりの合図のようだった。


 「成田さんの“恋愛”というものは“作品”なのかな?」

 「え?」

 僕はきょとんとした。

 「彼女に対して恋の清算をするにしても、

  恋愛としてならば、誰とも違う自分自身の素直な気持ちを表現して

  相手に伝える方が愛情が籠っているように思える。」

 僕は小さくて無力な小鳥になった気持ちがした。羽ばたこうとしても羽根もない。

 

 「成田さんの小説家としての作品への情熱に拘るのだとしても、それはいいが、

  今の成田さんは震えて動揺していて何一つ作品が仕上がりそうにも思えない。」

 抵抗するが如く僕の指先は小さく上下した。

 「それだったらいっそ、溜め込んでいる思いを、

  まとまりきれずに支離滅裂でも表現しきった方がいい。」

 如月さんはお手拭きで唇を拭い指先を拭いた。

そして静かに立ち上がった。

 「今日は話が聞けて面白かったよ。

  仕事の依頼は受けないけどね。

  君も覚悟してみるといい。

  掴みどころがなくコントロールしきれない心という魔物を。

  では、健闘を祈るよ。」

 椅子をしまい、優しくテーブルの隅に手が触れ、如月さんは振り向きもせずに去って行った。

店内は何事もなく静けさが戻り、外では街路樹の葉がそよ風に揺らめいていた。

彼が抜けていった席を僕は無言で見つめた。

ただただ、“理解しきれない、そして非現実的な恋心”と“小説家としての職人魂”とを対峙させ、一人考え込みもがいていた。

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