九重さんは、いつも不機嫌

恵ノ島すず

第1話 九重さんは、いつも不機嫌

 クラスメイトの九重ここのえ十彩といろさんは、このクラスの中心人物だ。

 まず、僕の通う進学私立高校に中学校からの内部進学組であることから、元々知り合いが多い。

 加えて本人は、超が付く美少女。勉強も運動もできれば、人当たりも良い。

 彼女の周囲にはいつもたくさんの人が集まっていて、彼女はその中心で、ニコニコしている。


 僕、平岩ひらいわ大和やまとが、話しかけさえしなければ。


「こ、九重さん!あの、日誌、僕の分書けましたぁっ!」


 ひゅっと、声が上ずってしまった自分の情けなさに震えながらも、僕は日誌を日直の相方である彼女に差し出した。


「そう、お疲れ様。そこ置いといて。あと私が出しとくから」


 はい、塩。

 先ほどまでニコニコとしていたはずの九重さんは、急激に不機嫌になって、ぶっきらぼうにそう言った。

 目すら合わない。


「はい、よろしく、お願いしますぅ……」


 相変わらずの塩対応に胃をきゅんとさせながら、僕は日誌をそっと彼女の机に置いて、速やかなあとずさりで教室を出る。


 どうして九重さんは、僕が話しかけると、いつもここまで不機嫌になってしまうのだろう。


 小学校のころまで、僕たちはそれなりに仲が良くて、【といろちゃん】は、いつでも僕の手を引いてくれていたのに。


 ――――


 僕と九重十彩さんは、たぶん、幼馴染というやつ、なのだと思う。


 まあ、偶然近所に住んでいて、偶然幼稚園と小学校がいっしょだっただけで、僕ごときが幼馴染を名乗れるわけがないのだけれども。

 それでも、昔から明るくて誰にでも優しいといろちゃんは、おとなしいと言えば聞こえがいいがつまりは気が小さくてどんくさく、活発な男子の遊びについていけない僕と、よくいっしょに遊んでくれていた。

 僕たちはいっしょに本を読み、ままごとをし、静かで穏やかで幸福な子ども時代を、いっしょに過ごした。……初恋、だったと思う。


「ねえ、大和くんは、中学って、どこに行く予定……?」


 しあわせな子ども時代が崩れたのは、たぶん、といろちゃんからそんな問いかけを受けたとき。


 地元の公立中学は荒れていて、女の子は特に、私立中学への進学を決める子が多かった。

 といろちゃんはそうして、僕はそうできなかった。

 うちの親も、一応中学受験をさせてはくれた。

 けれど、僕は落ちた。

 まあ、男だし、勉強は塾ですればいいし、と、そこまで本気の努力をしなかったことが、一番の敗因だと思う。


 さて、荒れた公立中学での、陰キャの過ごし方。

 それはもう、ちいさーくなるしかなかった。

 僕のポジションは、たぶん、パシリ、だったのだろう。

 まああんまり楽しい思い出ではないので、中学時代のことは割愛する。


 とにかく僕は、中学の同級生から逃げられるよう高校受験のときに本気を出して、めでたくといろちゃんが内部進学を決めていた私立進学校に、進学を果たした。


 正直、といろちゃんと再会できる期待を持って、この高校を受けた。

 小学校時代に既に美少女であったといろちゃんが、どれほど綺麗になっているかと、期待に胸を躍らせた入学式の日だった。


 ところが、再会したといろちゃんは、超絶美少女、だったのである。


 なんか、クラスの中心で、たくさんの友だちと笑いあう、高貴で上品で美しくてキラキラしている、みんなのお姫様っぽい感じの超絶美少女、だったのだ。


「あっ!ひさ……」


 久しぶり、と、言ってくれようとしたのだろう。

 クラスに入ってきた僕にすぐ気が付いてくれたといろちゃんは、笑顔で僕に向かって手を振った。

 けれどそのとき、一斉に、彼女の周りの、彼女と談笑していた男女5,6人が、同時にこっちを見たのだ。いや、7,8人だったかも。とにかくなんか、多いな!って僕が思った視線が、こっちを見たのだ。


 Q.超絶美少女の九重十彩に、3年も手紙のひとつも書かなかった薄情な僕ごときクソ陰キャが、今更友だち面して、話しかけて良いものか?


 A.否!絶対に否である!!


 0.3秒でそこまで考えた僕は、中学で染みついた対上位存在用の90度のお辞儀と、それでもきちんと相手に聴こえるだけの大音量で、高らかに挨拶をした。


「は、初めまして九重さん!これからよろしくおねがいしまぁす!!」


 ……と。


 いや、はじめまして、は、なかったなと、自分でも思うんだ。

 じゃあなんでお前目の前の人間が九重さんだと知っているんだと。高校に名札はねーぞと。


 でも、それくらいテンパっていたのだ。

 このキラキラしい美人に、なれなれしくしてはいかんと、本能が叫んでいたのだ。


 九重さんはたぶんそのときに、僕の格というものを、理解したのだろう。


「……ああ、そうね。です。よろしく……、は、できるかどうか、わからないけれど」


 次の瞬間、彼女は実に不機嫌な声音で、そう返してきたのだから。


 ……まあ、つまり、僕ごときクソ陰キャと幼馴染であったということが、親密な子ども時代を過ごしてしまったということが、といろちゃんにとっては、黒歴史なのだろう。

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