第4話 狐の嫁入り③

 週が明け、月曜日がやってくる。

 陰口を聞いてしまってから初の登校。

 教室のドアへ手をかけたところで、身体が動かなくなってしまった。

 どんな顔して鳴神たちに会えばいいんだ。


「何止まってんだよ。入るなら入れ」


 不機嫌そうな声。

 俺を睨みつけているのはクラスメートの六道(ろくどう)。暴力沙汰を起こして謹慎処分を受けた生徒が所属している軽音楽部に入っていて正直印象は良くない。校則違反のロン毛だし口悪いし。


「ご、ごめん」


 触らぬ神に祟りなし。こういうタイプの人間には関わらないのが一番だ。

 半ば六道に急かされるように教室の中に入る。

 いつもだったらすぐに鳴神、森、吉良に駆け寄って、自分の椅子を持っていって輪に混ざるのだが、そんなこと今のメンタルじゃできそうにない。

 自分の席につき、スクールバッグから教科書類を取り出して机の中に入れたところでやることが無くなる。

 キョロキョロと周りを見回したら、笑いながら顔を反らしていた鳴神と目が合った。


「あれ、浅野じゃん。来てたなら言えよ」


 鳴神からの連鎖反応で森もこちらを見る。


「どしたん? いつもならウザいくらい高いテンションで突撃してくるのに」


 あれ、俺、今まで鳴神たちの前でどんな顔してたっけ。何を話してたっけ。


「あはは。何か調子悪くてさ。しばらく大人しくしとくわ」

「うわマジかよ。俺らに風邪うつすなよ~」


 鳴神はそう言い、雑談に戻っていった。

 心配の言葉一つないことから、俺のことなんてどうでもいいんだろうなっていうのが伝わってくる。これまでそんなこと考えもしなかった。

 やることが無くなったから、机に突っ伏す。

 惨めだ。何やってんだろう俺。

 こんな状態でも周りの様子が気になる。皆俺のことどう思ってるんだろう。どう映ってるんだろう。


 ああ。どうしようもなく俺はキョロ充だったんだな。


 耳を澄ませて周囲の会話を聞く。俺の話をしている生徒なんて一人もいない。

 そのままボーっと会話を聞いていたら、急に教室が静かになった。誰かがドアを開閉させるのと同時に。

 先生が入ってきた? まだそんな時間じゃないはずだけど。

 気になって腕の隙間から覗き見る。

 愛野さんだ。

 堂々と背筋を真っ直ぐ伸ばして歩いている。

 向かう先は、追い出される前に愛野さんがいたグループ。


「おはようハザマっち。金曜日はごめん。あたし、最低なことしちゃった。謝る。ごめんなさい」


 談笑していた藤堂さん、間さん、深海さんの三人の前で深々と腰を折る。 

 が、三人とも愛野さんの方をチラリとも見ない。完全なる無視。これはキツい。

 それでもめげずに今度は森に向かって謝罪。これもまた無視される。

 しびれを切らした愛野さんが顔を上げた。


「ねぇ、無視はなくない?」


 反応は、返ってこない。

 しばらく女子三人を見つめていた愛野さんは諦めたのか自分の席に。

 取り付く島もない。藤堂さん、間さん、深海さんは本当に愛野さんを自分のグループから追い出したんだ。

 それからの愛野さんは見ていられなかった。

 他のどのグループに話しかけにいっても拒絶される。お昼ご飯を食べる相手もいなくていつの間にか教室から姿を消していた。

 まあお昼ご飯食べる相手いないのは俺も同じなんだけど。

 鳴神たちから風邪持ちだからと追い払われ、他の誰かに声をかけにいく勇気も出ず。


 このままだとぼっち飯。


 ぼっち飯は嫌だ。そんな姿クラスメートに見られたくない。

 とにかく教室から逃げたくて、弁当を持って廊下に出る。

 居場所が無いことに対してこんなに焦るなんて。便所飯をバカにしてた頃があったけど、ようやく便所飯をする人の気持ちが分かったような気がする。

 教室から出るとき、六道がギターを抱えながらぼっち飯してるのが目に入った。なぜかそれが強烈に頭に残る。

 あいつ、全然辛そうじゃなかったな。なんでだ。

 少し考えても分からなかったため、現実に戻る。

 どこで食べよう。隠れられる場所。避難所。やはりトイレの個室しかないのか。

 悩んでいたら胃が痛くなってきた。

 そうだ。保健室に行こう。ちょうどお腹も痛いし。カーテンで仕切ってもらえれば安全に昼食を食べることができる。

 我ながら妙案。一時しのぎでしかないが、今は一時をしのがないと何も考えられない。先のことはしのいだ後に考える。

 色んなことからくる焦燥感に追い立てられ、早足で保健室に向かった。

「失礼しまーす。あの、ちょっとお腹が痛くなっちゃったので休憩させてもらえると」


 保健室に入室すると、保健の先生と愛野さんが仲良さそうに話していた。


「あら、いらっしゃい。休んでいくだけでいい? 病院行かなくても大丈夫?」


 愛野さんとの会話を打ち切った保健の先生がにこやかに笑いかけてくれる。


「あ、はい。大丈夫です」


 言いながら、愛野さんと目線を合わせる。へにょりと唇が歪んだ複雑そうな顔をしていた。

 どんな表情を作っていいか分からず、こういうときに咄嗟に出る愛想笑いが顔に貼り付く。


「あら、二人知り合い同士なの?」

「ええ、まあ。クラスメートです」

「ならちょっと席外してもいいわよね? 職員室に用事があるから、悪いけど留守番任されてくれないかしら?」

「分かりました」

「ありがとー」


 保健の先生はお弁当箱と書類を手にそそくさと保健室を出ていった。

 愛野さんと二人取り残される。

 気まずい雰囲気が流れる。出来立てほやほやの、隠さなきゃいけない生傷を晒し合っているかのような。


「あんたも無様だったわね。鳴神たちを避けて、避けられて」


 先生のデスクのすぐ横に椅子を置いて、そこに座ってお弁当を食べながら、愛野さんがぽつりとそう漏らす。

 傷を抉るような言動にカッとなりかけたが、あんた『は』ではなくあんた『も』と言っていたことに気付き、沸騰しかけた頭に冷や水をかけられた気分になる。

 よく見ると愛野さんは自嘲的な笑みを浮かべていた。彼女に似合わぬその笑みから目を背けたくなる。


 キツイよな。愛野さんも。一瞬にして居場所を失って。

 愛野さんに対してどう返答するか悩んだ挙句、まずお弁当を食べて落ち着きたいと思い、腰を下ろせる場所を探す。

 その視線に気づいたのか、愛野さんが先生のデスクの椅子を引いてくれる。そして自身はコロ付き椅子を転がしてデスクからやや離れた。

 お互いにとってちょうど良い距離感。抵抗なく俺はデスクの椅子に吸い込まれた。

 無言でお弁当箱を開く。

 相手が愛野さんだとしても、隣に誰かがいることがありがたかった。

 お弁当を半分くらい食べたところで一旦箸を置く。


「ダメだったなぁ」


 つい口をついて出た。全てひっくるめて『ダメ』という言葉に集約されてしまう。

 先に食べ終わった愛野さんは手早くお弁当箱を巾着にしまい、背もたれに深く身を預けた。ギイと椅子が軋む音が耳に入ってくる。


「まさかあそこまで取り付く島がないなんて思わなかった。むかつくむかつくむかつくむかつく」

「蹴らないでよ。お弁当こぼれちゃう」

「うっさい」


 デスクの脚を憂さ晴らしに蹴りつけている。その度にお弁当のそぼろが縁からこぼれ落ちそうになった。

 気が済むまで静観しようと思い、弁当箱を片手で持って食べる。結局、俺が食べ終わるまで蹴りは続いた。

 お弁当箱を片付けて、俺も椅子に深く身を預ける。

 すると、愛野さんは急に立ち上がり、保健室のベッドに飛び込んだ。

 枕に顔を押し付け、ウーウー唸っている。唸り声の質からして泣いてるわけじゃなさそう。


 悔しさとかやるせなさとか、そういうもののごった煮を少しでも吐き出すための行為。いいな。俺もやりたい。

 愛野さんの隣のベッドに俺もダイブし、枕に顔を思いっきり押し当て、叫ぶ。

 そうやってネガティブな感情諸々を吐き出し、叫び疲れたところで仰向けになった。白い天井を眺めているとやけに落ち着く。


「昨日、ちゃんと言わなかったから今言う。曖昧なのはあたしらしくなかった。協力しましょう。あの日、雨の中ああいう風に出会ったのも何かの縁ってことで」


 出し抜けに愛野さんがそう言う。チラリと隣を見やると、愛野さんは天井を険しい表情で睨みつけていた。その瞳には、勝つぞ! という強い意志が浮かんでいるように見える。 

 俺なんかよりよっぽど冷たくあしらわれ、辛い状況にあるであろう愛野さんの心はまだ折れていない。俺が愛野さんの立場だったら、もう何もかも諦めて一人になることを受け入れていたはず。なら、俺が先に折れるわけにはいかないだろう。


「ありがとう。よろしく。このまま負け犬のままじゃ終われないもんな」

「は? あたしは負け犬じゃないんですけど。常に勝者なのは変わらないんですけど?」


 良さげな雰囲気がぶち壊された。なんだこいつ。


「その勝者様はさっき教室でどのグループにも受け入れてもらえなかったようなんですがそれについてはどうお考えで?」

「うっざ何それ。その言い方性格悪くない? あんただってキョドりまくってぼっちキめた挙句逃げてきたくせに! つかそれ言っちゃいけないことでしょそのライン超えたら戦争でしょうよ!」

「いいよ戦争しようどうせ俺たちには後が無いんだから!」


 ほぼ同時くらいにベッドの上に立ち上がる。

 が、そのタイミングで急に保健室のドアが開いたため、すぐに座る。なぜか俺も愛野さんも正座だった。


「二人ともお留守番ありがとね~。何も無かった? ……あらあら、二人の間には何かあったようね。ベッドの上で正座して向かい合っちゃって。なに、お見合いでもはじめるの?」

「「しません!」」

「仲良しなのねぇ。そろそろ昼休み終わるけど、二人ともどうする? 教室戻る? それともまだ休んどく?」


 保健の先生の優しい声音に甘えてこのままベッドに横たわりたくなる衝動に駆られる。

 愛野さんと目を合わせる。どうする? と言わんばかりに片眉を吊り上げる。

 俺は首を横に振った。愛野さんはすかさず頷く。


「教室戻ります」

「あたしも」

「そうね。二人とも入って来たときより元気そうだし、そうした方がいいわね。また体調悪くなったら気軽に来てね。行ってらっしゃい」


 保健の先生に見送られて保健室を出る。

 昼休み終了間近だからか、廊下には誰もいなかった。


「二人してサボると変に怪しまれるかもしれないから、これが賢明だったと思う」


 もう歩き出している愛野さんの後を追う。


「誰もあんたに興味ないからその心配は無用よ」

「お? 戦争の続きするか?」

「しないわよ」

「ってかそういうこと言っちゃうところがダメなんだって。事実は人を傷つけることがあるんだぞ」

「分かってる。あんた相手だとつい気が緩んじゃうのよ。ま、あんたで勉強させてもらうわ。何がダメで何がいいのか。それで、さっきあたしは何て言えば正解だったの?」

「普通に肯定すれば良かったんだよ。そうだねって。沈黙は金、雄弁は銀って言葉があるように、黙ってた方がいい場合もある」

「それじゃあ何も話せなくなっちゃうじゃない。それにあたしは金も銀も同じくらい好きだけどね」

「そういうことじゃないんだよなぁ」


 俺と愛野さんはどこまでも噛み合わない。

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