第34話:僕じゃないもう一人の僕
「詩織……可能ならばすっと御側にお仕えしたかった……」
ずっと騎士らしく気丈に振舞っていたソウの最後の言葉は、ささやかな願望だった。
そしてその願望はソウが口にした最初で最後の願望だった。
ソウが消える前に見せた笑顔を詩織は決して忘れる事はないだろう。
「ソウ、あなたは立派な騎士だったわ……」
この言葉はソウには届かなかっただろうが、詩織にはソウがいつもの笑顔で微笑んでいる様子が目に浮かんだ。
気付けば零れてきていた涙を拭い、いつもの笑顔を心がける。
あの人には悲しい顔は見せたくなかったから。
葵の身代わりになるという願いは叶う事は無いが、詩織も全力を尽くした結果だ。
後悔はない。
ソウが消えた場所から浮かび上がってきた、ソウのカードを持ち詩織は、海翔、クロウの方へ歩き出した。
海翔たちは順調に戦いを進めることができた。
これから起こる出来事が全て分かっているのだ。
それも当然の事である。
そして戦いを進めていくにつれ、海翔を襲う頭痛も酷くなっていた。
これまでの戦いで分かった事は、頭痛が酷くなるのはある程度の要因と周期がある、という事だ。
まず最低限一日に数回、二、三分間頭痛が続く瞬間。
次にこれまでの歴史の流れに逆らった瞬間。
そして最後、魔力を行使した時だった。
クロウに聞いても理由は分からなかったが魔力を行使した時の頭痛が一番酷い。
ライン戦の後はそのまま気を失ってしまう程だった。
魔力を行使した時が一番つらい。
そう理解している上での<バーサク>の使用だ。
バーサクは一時的であるが注入した魔力以上の魔力を得ることが出来る。
しかし当然であるが反動というのは注入した魔力量に比例して凄まじいものが返ってくる。
パンチングマシーンが分かりやすい例えだろう。
これまで最も苦しい頭痛、そして破壊衝動。
バーサクの解除があと数秒遅れていたら海翔の身体はもたなかった事だろう。
「やったね、クロウ」
片足を引きずりながらクロウの方へ歩いていく。
破壊衝動は治まったが頭痛はより激しさを増している。
「まぁな。っておい海翔、なんて面してやがる」
「はは、全くだよ」
詩織が向こうから歩いてくる。
手には淡く青色の輝きを放つカードを持っている。
この光景も何度見た事だろう。
毎回ここで海翔は、クロウを勝たせるために詩織を踏み台にしたのだ、という事を強く痛感させられる。
これはこれまでの頭痛よりも遥かにつらいものだ。
「おめでとう、海翔君」
詩織はカードを海翔に渡す。
その枯れた笑顔は入学式に見たあの笑顔と似ていた。
(ああ、そう言えば今回は詩織の願いを聞いてなかったな)
カードが集まるにつれ、海翔を襲う頭痛は酷くなっていた。
自分の事で精一杯で詩織の事はすっかり忘れてしまっていたのだ。
あの時抱いていた詩織への恋心はどこへ行ってしまったのだろうか。
「ありがとう」と短く礼を言ってカードを受け取る。
これでカードは七枚。ようやく全部揃った。
これでやっとアインへの挑戦権が与えられる。
「グッゥガッ! ア゛ア゛ア゛ァ!」
カードを受け取った瞬間これまで感じた事の無い激しい頭痛が海翔を襲った。
始めて記憶を引き継いだ時よりも、クロウと再会した時よりも、バーサクを使った時よりも、そのどれよりも激しく苦しい頭痛。
(これがあの天使が言っていた限界!?)
体内から何かが噴き出す様な感覚が全身を襲う。
放っておけば体が内側から膨れ上がって爆発してしまうのではないかという感覚。
全身を襲う痛みに耐えきれず、海翔は意識を失った。
「……!? ここは」
海翔が目を覚ますとそこはどこまでも真っ白な世界だった。
どこが地面でどこが壁なのか全く分からない不思議な世界だ。
「だから言っただろう、人間の身体には限界だって」
声が聞こえて来た方へ振り返ると、あの天使が立っていた。
いつもの通り表情は分からないが、残念そうな表情をしているだろうことはうかがえる。
「うん、君の言う通りだった」
ふと横を見てみると、スクリーンの様に倒れている自分、詩織、そしてクロウが映っている。
詩織は今にも泣きだしそうな表情をしている。
(ああ、詩織は自分勝手な僕の事をこんなにも想っていてくれていたんだ)
いまさらになって後悔の念が襲ってくる。
「ねぇ僕は死んだの? もしかしてここは既に天国だったりして」
冗談交じりの笑顔で天使を見る。
「いや、今ならまだ間に合う」
天使はこちらの方へゆっくりと歩み寄ってくる。
「海翔、お前の魔力量はもう人間には耐えきれない所にまで達している。このまま放っておけばお前は、自分自身の力で己を滅ぼしてしまうだろう」
「うん」と海翔は小さく頷く。
ここまでこの天使とも付きあって来た。
自分の身体が今どういう状況か、それくらい自分は一番分かっている。
「海翔、後は俺に任せろ。お前はもう……十分すぎる程苦しんだ」
天使は苦しそうな表情で海翔を見つめる。
「うん。後は任せたよ、僕」
無色の天使――カイトは予想外の言葉が飛び出てきて驚いた表情を浮かべた。
自分の正体がばれているなんて思いもしなかったのだろう。
「いつから気づいてた?」
「確信に変わったのは今。だけど初めて会った時から似てるなぁとは思ってたよ。まさか同一人物だったとは思わなかったけどね。
俺はお前でお前は俺、俺はお前じゃないけどお前は俺じゃない。君は僕のカードがゴルトに変化した時に生まれた八体目の天使。そしてアインを倒すための切り札だ」
海翔は満足げな笑顔を浮かべた。
「そして誰でもない。君になら……いや、自分であるならば託せる。僕の願いを叶えてくれ、カイト」
海翔はそう言って手をカイトへ伸ばす。
「……もちろんだ。お前の願いは俺の願いだからな」
カイトは寂しげに笑うと、手を海翔に合わせる。
「自分と同じ顔が二人ってなんか気持ち悪いね」
海翔は通り過ぎざまにカイトの肩を叩いて言った。
「行ってらっしゃい、カイト」
「ああ。お前は俺が救って見せる、海翔」
カイトはそのまま意識を失った。
一人この真っ白な世界に残った海翔は何となく詩織たちの様子を眺めながら微笑む。
「僕の役目は終わった。後は任せたよ……カイト」
クロウの事、アインの事、そして詩織の事。
いくら自分とはいえ無責任に放り出した感は否めない。
「だけどまぁ、仕方ないか」
海翔は眠りに落ちて行くように目を瞑った。
「俺はお前でお前は俺」 確かに彼は海翔自身なのだろう。
「俺はお前じゃないしお前は俺じゃない」
けれど彼はそれ以上に彼自身なのだ。
間違っても僕じゃない。
ごめんね、カイト。
天使が願いを叶えるのならば、どうか僕のわがままを通させてください。
君は君の……海翔ではなくカイト自身の願いを叶えて。
「海翔君!」
カードを渡した瞬間、海翔はとつぜんうめき声を上げたかと思えば、人形のように地面に倒れ伏してしまった。
海翔に特別な想いがある詩織だからという訳でなく誰だって心配するだろう。
「海翔君、大丈夫!?」
ゆするために海翔の身体に触れる。
その瞬間詩織に大量の記憶が流れ込んでくる。
「ッ!」
一瞬であるが金づちで殴られた様な頭痛が詩織を襲った。
全く知らない、けれども全部詩織が体感した事だと実感できる記憶。
少なくとも今の詩織は海翔と遊園地デートなんてしたことはない。
しかし、確かに遊園地デートをした覚えはあるのだ。
「……い、おい! 大丈夫か、詩織!」
「へっ!?」
クロウに強く体をゆすられ我に返る。
そして無意識に涙が頬をつたう。
「海翔君は私を救ってくれた……! なのに私は……!」
海翔は詩織に可能性を示してくれた。
葵と笑って暮らせる世界を見せてくれた。
それなのに詩織はその事を忘れてしまっていた。
海翔に全てを背負わせてしまったという、自分の不甲斐なさに涙が止まらない。
海翔の魔力を通じてクロウと詩織には海翔の記憶が、海翔の想いが。
これまでの海翔の生きざまがひしひしと伝わってきた。
「詩織、離れろ!」
クロウが詩織の首元を掴んで数メートル後ろに下がる。
その瞬間海翔を中心に強大な魔力が放出される。
もしあれに巻き込まれていたら詩織はただでは済まなかっただろう。
「あ、ありがとう、クロウ。でも海翔君は!?」
「分からない。あとはあいつ次第だ」
クロウも本当に分からないのだろう。
呆然と海翔を眺めている。
海翔の命運はまさに神のみぞ知るという事なのか。
海翔の身体を淡い粒子が包んでいく。
「あいつまさか!?」
その瞬間、ひときわ大きい光が海翔を中心に発生し、二人は一瞬目をつむってしまう。
「ここが……」
海翔の声が聞こえた気がして、目を開けるとそこには確かに海翔が立っていた。
しかし装いはぼんやりと輝きを放つ鎧へと変化していた。
そう、クロウたちと同じ天使の装いに。
「海翔君!」
詩織が海翔の方へ駆け寄る。
クロウは少し遅れてついてきていた。
海翔は二人を交互にゆっくりと見た後、優しい笑顔で微笑んだ。
その笑顔はいつも通りの海翔の見せる笑顔だったが、どこか違う雰囲気を感じさせた。
「始めましてだね、自己紹介をしておこうか。俺はカイト。八番目の天使だ」
「八番目……だと?」
「ああ。君が一番分かってるはずだ、クロウ」
クロウは大きく舌打ちをした。
あの海翔の想いを知ってしまったからこそ目の前にいる海翔が許せないのだろう。
カイトは海翔の想いが生んだ奇跡だ。
だが、それ以上に彼は海翔自身の歪みの象徴でもあるのだ。
「天使……って大丈夫なの? というか本当にあなたは海翔君?」
詩織が心配そうな表情でカイトを見つめる。
「ああ、俺は海翔でもあるしカイトでもある。どちらでもあってどちらでもない、そんな存在だ」
カイトは詩織を見ると、少し悲し気に微笑んだ。
「まぁいい。それで、アインを倒す方法は思いついたのか?」
「ああ。本来存在しないはずの俺という存在。それ自体がアイン攻略の鍵になる」
「なに言ってるか全く分かんねえが、まぁいい。信じてやるよ、お前をな」
クロウがいつもの悪人顔で笑う。
この笑顔には相変わらず安心させられる。
「俺たち二人なら神だって超えられるさ」
「ならばその鍵、私が奪ってやろう」
とつぜんクロウの真後ろにゲートが出現する。
そしてそこから腕が出現し、クロウの心臓を貫く。
「グフッ、ア……イン!」
クロウが口や胸から血を吹き出しながら後ろを恨めしそうに見る。
クロウの胸を貫いたままアインがゲートから出現し、クロウを哀れみの目で見ている。
「ああ、我が子クロウよ。人間にほだされてしまった可哀そうな我が子よ。我が体の一部となるがいい」
アインはそう言って乱暴にクロウをゲートの中へ放り投げる。
「アイン!」
カイトが憎しみを込めて叫ぶ。
「下劣な人間風情が我ら天使の真似事とはな。ついてくるがいい、私自ら天罰を下してやる」
アインはそう言い捨てるとゲートの中へ消えた。
あの汚物を見るような目、神というのはあんな目で人間を見ていたのか。
海翔の努力を否定する奴は神だって許さない。
ゲートをくぐるため歩き出す。
クロウを奪われた事で勝負は五分五分と言った事だが今のカイトは負ける気がしなかった。
なんせ背負って来たものが違う。
「待って……」
袖が引っ張られていたので後ろを振り返ると、詩織が俯きがちに袖を掴んでいた。
簡単に振り払えそうな程の弱い力だ。
「どうした?」
「カイト、あなたは海翔君の想いから生まれたんだよね」
「ああ。正確にはあいつの魔力からだが」
カイトという存在は海翔が何周も繰り返した魔力の積み重ねの結果だ。
一人間の想いから高魔力な存在である天使が生まれたという事は奇跡と言うほかないが。
「なら必ず勝ってね。勝って海翔君の願いを叶えて」
「勿論だ。その為に俺は今ここに存在しているんだからな」
カイトは何回も繰り返した海翔の魔力、強い想いから生まれた存在。
本来この世には存在してはいけなかった存在。
海翔の願いを叶える事だけが今、カイトがここに存在している理由だった。
「じゃあ行ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
詩織は満面の笑顔で答えた。
その頬を伝う涙はこれまで見て来たどのようなものよりも美しかった。
詩織の心の強さを表している様な瞬間だった。
(お前がこの娘に惚れた理由が分かった気がするよ)
別れを済ませたカイトは拳を強く握りしめ、ゲートを通った。
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