02.現在地の想像と妄想

「私のスマホも、時間がおかしくて……」


 都築つづきと同じように、結衣香のスマホも、時計が零時で止まっていた。


「まさか、全員そうなのか?」


 その状況に、都築は眉をひそめる。


 電波が届いていないのは分かるとして、全員の時計がもれなくリセットされる。そんな事が、あるのだろうか?


 誰かに細工されたなど、信じたくはないが……。


「あ、腕時計も……」


 差し出された結衣香の腕時計も、針がきっかり零を指していた。都築と結衣香は、目を合わせて途方に暮れる。


 地味に、理解を超える出来事が続いている。まだ身の危険を感じることは無いが、気味が悪いのは間違いない。



「まずは、みことちゃんのママを探そうか!」


 とにかく何か行動すべきと、結衣香がそう提案した。


 結衣香がママの特徴を聞くと、少女はたどたどしくも、はっきりと答え始める。


 みことは幼い印象なのだが、思ったよりも落ち着いていた。この歳で、母親とはぐれたとなれば、泣き叫んでもおかしくないと思うのだが。普段から手のかからない、良い子なのだろう。


 みことの母親を探し始めると、同じバスに乗っていた人を、数人見つけることができた。しかし、どうしてこんな所にいるのか、知る者はいない。


 通勤時間帯のバスだったこともあり、全員が早くここから出たがっていた。サラリーマン風の中年男性は、ひとり怒鳴り声をあげている。


「これじゃあ、会社に間に合わない! バス会社を訴えてやる!」


 そんなことを気にしている場合では無いだろうと、蘇我田は心の中で思った。



 人が集まっている地点を経由しつつ、都築たちは部屋全体をぐるりと周って歩く。しかし、みことの母親を、見つけることは出来なかった。バスに乗っていた全員が、この部屋にいる訳では無いらしい。


「大丈夫だよ。ママが見つかるまで、一緒にいようね」


 結衣香がみことを元気付けようとするが、少女は不安な素振りも見せず、小さくうなずいた。


 その子供らしからぬ落ち着いた態度が、都築は少し気になり始めていた。



「とりあえず、僕らも出口を探してみようか」


 都築はそう言って、近くの壁を指差した。結衣香たちをうながし、そちらに向かって歩き始める。


 都築は提案してみたものの、すぐに出口が見つかるとは考えていなかった。ずいぶん前から、人々が出口を探し回っているのだが、見つかった様子が無いのだ。中には隠し扉を探しているのか、壁の端から端を、コツコツ叩きながら進んでいる人もいる。


「一体これは、なんの建物なんだろう?」


 広い室内を見回し、都築はそうつぶやいた。


「テレビのセットかな? どこかから、隠し撮りされてるのかも!」


 結衣香の想像も、分からなくは無いのだが……。


「ドッキリにしては、手が混みすぎだな」


 これだけの規模とコストで、番組を作るのは難しい気がする。ましてや、了承なく一般人を巻き込むなど、許されることではない。


「悪の組織に、誘拐された? 私たち、人体実験されちゃうかも!」


「酔狂な金持ちが、この部屋を作ったんだよ。これからそいつと、命を賭けたギャンブルが始まるのさ……」


 結衣香のネタに、都築が被せて返す。その出来栄えに、ふたりはお互いの顔を見て苦笑する。


 都築は歩きながら、建物の天井を見上げた。屋根の骨格や照明などの器具もなく、地面と同じく、平面が端まで続いている。


 部屋全体が昼間のように明るいが、天井自体が発光しているのだろうか? 技術的には可能な気はするが、どんなに新しく立派な施設でも、そんな照明は見た事がない。


「実は、この部屋は宇宙船! 部屋の外は、もう宇宙! 地球はすでに滅んでいて、人が住める新しい星に向かってるのだった!」


 思いつきをそのまま口に出したような、結衣香の話が続く。都築は少し笑いながら、覚えていた一節を口にした。


「別の部屋に、全ての動物のつがいが乗せられている……とか?」


「そうそう! ノアの箱舟!」


 その手の話が好きなのか、結衣香は元ネタを知っていた。


「神話って、面白いよね。知ってる? 虹って、神様との契約の証なんだよ?」


 結衣香はそんな豆知識を披露するが、都築は別の考えに囚われていた。


「人類は、滅びている……か」


「え?」


 都築の呟きに、結衣香は少し戸惑った表情で聞き返す。


「ここは核シェルターで、爆発から救助された人々が集められた。時計の時間がおかしいのは、爆発の電磁パルスの影響……と考えると辻褄つじつまが合うかもしれない」


 結衣香の表情が一瞬硬直するが、すぐに軽い口調で笑った。


「も〜。リアルな、怖い話はやめてよ〜」


 彼女の話すテンションが高いのは、不安を隠すためなのかもしれない。冗談と笑い飛ばすには、今の状況は特殊すぎるのだ。


 都築は不安をあおる発言を反省して、結衣香に軽く微笑み返す。




 そうこうしているうちに、目指していた壁際に到着した。


 そっと目の前の壁に手を触れてみると、コンクリートでもプラスチックでも無い、なめらかでさわり心地の良い、不思議な感触だった。


 都築はこの建物に、ずっと違和感を感じていた。使用用途が全く想像できないのに加え、かすかな傷や汚れひとつ無い。綺麗すぎて、建物に現実感が無いのだ。


 結衣香が壁をかるくノックすると、厚みを感じさせる、鈍い音が返ってきた。


「変な建物だよね。新築よりも、新しいというか……」


 同じような違和感を、結衣香も感じているようだった。


 ふと、都築は足元の壁に目を止めた。膝をついて凝視すると、地面と壁が接した部分が、定規で引いた線よりも正確に、まっすぐに伸びている。それを見て、都築の中の違和感が、確信へと変わる。


「完璧すぎる……」


「え?」


 かすかなつぶやきに反応した結衣香に、都築は先ほど見ていた、地面と壁の境目を指差した。


「どんな建物でも、壁の接地面には多少の隙間や歪みがあるはずだ。けれど、この建物は、それが全く見当たらない。ミクロ単位の精度で、仕上げられている……」


「仕事が、すごく丁寧って事?」


 結衣香には、その凄さがいまいち伝わっていないようだ。


「これだけ大きな建物なら、どんなに正確に作っても、多少の誤差は出るはず。そもそも、そんな精度で作る意味がない。数倍どころか、数百倍のコストがかかるはずだ……」


 都築は改めて、部屋全体を見回した。


「これだけ大きな建物なのに、柱が一本も無い。こんな建物を建てるのは、今の技術では無理なのかもしれない……」


 やっと都築が言いたいことを理解して、結衣香は息を飲む。


「それって……」


 人が建てたものでは無い、とするならば――。


「さっきの説だと、宇宙船というのが一番有力なのかも……」


 都築は、天を仰ぎながらそう答えた。

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