人文科学ユニット(3) 眠り姫
「色んな事があったんですねぇ」黒田が同情するように小さく
「でも、今では良い思い出よ。あの頃のことを忘れないために、いつもテーブルに私が太っていた頃の写真を飾っているの。さっきの食事の時に若い頃の話で盛り上がっていたので、ついつい、昔のつまらない話をしてしまったわ」と人見が言い訳をした。
人見の説明が途切れたところで、意を決したように赤城が人見に質問した。
「この前の誘拐事件の犯人の犯行動機について、是非聞かせて下さい!」
「わかったわ。まずは、どこから話そうかしら・・・・・・」
「名前をいちいち言うのは面倒くさいから、三人の犯人を仮にA、B、Cと呼ぶわね」
「ここで、Aは主犯で、BとCはそれぞれ共犯よ」
「お金に困っていて前科がある犯人Bは、ネットカフェからアクセスした闇サイトで知り合った主犯のAから誘われただけ。犯行動機は単純にお金目的なので、心理学的にはちっとも面白くないわね」
「犯人Cは、コモリンのように引きこもりでニートだけど、ネットゲームの仲間には“いつかドデカイ事をしてやる”と豪語していたようね」
「こちらも犯行動機は、
「犯人Aの場合は少し複雑ね」
「コモリンが調べてくれた犯人Aの経歴を見ると、意外にも保育士だったことがわかったわ」
「しかし、犯人Aにはギャンブル癖があり、借金が
「それから、自身のブログなどで嫌韓・反韓的な書き込みが多いことや、ヘイトスピーチの集会に参加していたこともわかったわ」
「その他の情報も合わせて、犯人Aについて次のように心理サウンディングしたわ」
「犯人Aは、ヘイトスピーチに反対していたリベラルな民自党の毛利党首を
「政治的な信条と個人的な恨み、といっても逆恨みだけど、これが主な動機ね。それから借金が多いので、やっぱりお金も犯行動機の一つね。これもコモリン情報だけど、闇金融から執拗に返済を迫られていたみたい」人見が主犯Aの犯行動機を締めくくった。
「なるほど。心理サウンディングのやり方が、少しだけ理解できました」と黒田が
「ところで、人見さん。仙石所長について心理サウンディングは可能ですか?」赤城が思いきって聞いた。
「あなた、面白いことを考えるわね」
「もちろん、正体不明の謎の人物には心理学的にも興味が湧いたので、研究所に入った当初に一度試みたわ。だけど、心の無いバーチャロイドではうまくいかないわね。やはり心理サウンディングのための情報が少なすぎるわ」
「ただ、これまでの所長の話の内容だけからサウンディングすると、思考や価値観が少しアメリカ的だわ。でも、日本人的な古風な感性も感じるわ。私と同じようなハーフか日系人の可能性も否定できないわね。心理サウンディングからわかることは、これ位かしら」
「しかし個人的には、所長は実在していなくて、様々な国の人の思考をミックスさせた人工知能かもしれないと私は疑っているわ」微笑みながら人見が答えた。
「いきなりですが、私や赤城主任も心理サウンディングできますか?」黒田が興味深そうに聞いた。
「そうねぇ・・・・・・。赤城さんは身長にコンプレックスがあるわね」と人見が切り出した。
「どうして・・・・・・」しどろもどろになっている赤城を横目に、人見が続けた。
「危機管理局の資料によると、あなたの身長は百五十センチとなっているわ。だけど、研究所が解析したセキュリティデータによると約百四十八センチになってるわよ。あなた、身長を二センチくらいサバ読んでるでしょ?」手元の資料を見ながら、人見が説明した。
「ど、どうして、そんなことまでわかるんですか?」と赤城が動揺しながら聞いた。
「研究所のセキュリティシステムでは、顔認証のほかに、その人の推定身長と推定体重がわかるのよ。女の子だから体重については、ここでは触れないことにするわ。セキュリティシステムの推定誤差は二パーセント程度なので、ほぼ間違っていないでしょ?」人見は確認するように、赤城の顔を見たが、赤城は下を向いて顔を合せなかった。
「それから、シークレットシューズを履いてるので、データを見なくても身長にコンプレックスがあることはすぐにわかったわ」赤城は人見の観察力に感心して、頬(ほお)を少し赤らめて
「それから黒田さんは・・・・・・」人見は心理サウンディングを続けようとしたが、言い終わらないうちに意識が
「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」近くにいた黒田が、椅子から崩れ落ちそうになった人見を支えながら言った。
「大丈夫です。いつものナルコレプシー、睡眠障害です。日本では”居眠り病”とも言われています」青山が平然と言った。
「ナルコレプシーの原因はまだ詳しくわかっていませんが、脳の視床下部から出る神経伝達物質オレキシンの欠乏だと考えられています」
「この病気は十五歳前後で発病することが多いのですが、人見さんもハイスクールで失恋した頃に発病したそうです」青木が続けて説明した。
「通常は長くても一時間程度で目が覚めますから心配いりません。そこのソファに寝かせましょう。申し訳ありませんが、手伝って頂けますか」
黒田と青木の二人で、人見を近くのソファまで移動させ、ソファの肘掛けに置いてあった薄手のブランケットを人見の体にかけた。
「人見さんの専門は心理学ですが、当研究室に入った最大の目的は、当研究所の脳科学者とナルコレプシーの共同研究をすることです。そして、ナルコレプシーの治療法を確立して、ご自身を治療することです」
人見をソファに寝かせたまま三人が研究室から出ると、赤城と黒田の両方の情報端末にメールが送られたことを知らせる着信音が、静かな研究所内に鳴り響いた。
「申し訳ありません。緊急連絡のようです」と赤城が説明した。
赤城と黒田に送られたメールは、危機管理局にすぐ戻るようにとの鬼塚からのものだった。
「何か事件の進展があったようです。我々はこれで失礼します。色々と教えて頂き、ありがとうございました。白鳥先生にもよろしくお伝えください。こちらからも頻繁に連絡を差し上げたいと思いますが、何かわかりましたら私共までお知らせ下さい」赤城が青木に協力の感謝を述べて、二人は足早にMADサイエンス研究所を後にした。
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