星久保村(2) 仙人の噂

 東京都西多摩郡星久保村は、奥多摩町のさらに奥にある小さな村である。その昔は、星窪ほしくぼの漢字があてられており、流れ星が落ちてできた窪地くぼち、つまりクレータであるとの古い伝承が、この村に残されている。また、その頃にできたと伝わる星窪神社では、その時の隕石が御神体として祭られている。『平成の市町村大合併』に乗り遅れたこの山村は、ご多分に漏れず過疎の村である。この村は、東京という大都市が近いこともあって少子高齢化が加速度的に進み、これ以上人口が減ると村を維持できなくなる、いわゆる『限界集落』に近づいていた。

「昨日、あれから目的地について少し調べたんですが、こんな所に本当に研究所があるんでしょうか? ゴーグルマップの衛星画像でも、そんな建物は見当たらなかったんですけど・・・・・・」黒田がいぶかしげに言った。

 ゴーグルマップは中国の検索サイトが運営している地図サイトで、人工の密集している地域なら、衛星からの鮮明な画像を見ることができる。また、専用の偏光ゴーグルを付けると地形の3次元立体視ができることから、最近特に人気のある地図サイトである。

 危機管理局では、危機管理官同士で様々な情報をやりとりするために、特別仕様の高性能な情報端末が国から支給されている。この情報端末は、警察手帳のように危機管理官の身分証明証を兼ねており、電話としても使えるが、政府の様々な機関のデータベースに直接アクセスできるのが大きな特徴となっている。

「念のため、ゴーグルマップよりも解像度の高い国産スパイ衛星の画像も調べてみたんですけど、該当する建物は見つけられませんでした」と黒田が続けて言った。

 あまり知られていないが、日本も通称“スパイ衛星”と呼ばれる独自の情報収集衛星を保有している。なお、危機管理官に支給された情報端末を使えば、その高解像度の画像をリアルタイムで見ることができる。

「私も気になって、研究所所長の仙石善人について、警察庁や外務省のデータベースを使って調べてみたんだけど、面白いことがわかったわ」

「仙石善人は伝説的なハッカーで、今から十年ほど前に、当時のアメリカ合衆国副大統領、現合衆国大統領の娘の誘拐事件解決に関係しているらしいと、ある報告書に書いてあったわ」

「このことは極秘事項なので、アメリカでも日本でもほとんど報道されていないわ」

「その後、仙石は中南米のコカイン密売組織の壊滅にも手を貸しているみたいね。あくまでも噂だけど・・・・・・」

 赤城が、就寝前に調べた仙石についての情報を黒田に伝えた。

「そんなにすごい人なんですか!」黒田が驚いていると、赤城がさらに続けて言った。

「ただし、仙石善人というのはネット上の名前で、年齢、性別、本名もわからないわ。日本人かどうかも怪しいわね。仙石はそのカリスマ性から、ネットの世界ではその名前を縮めて“仙人”と呼ばれているわ。それから、ここ十年は表だった活動の記録が無いわね」と赤城が説明を補足した。

「仙人ねぇ。この山奥で、かすみを食って生きてるんですかね?」

「その伝説の仙人に、今日は会えるんですね」黒田が嬉しそうに言った。

「――残念だけど、たぶん会えないと思うわ。仙石善人が人前に現れて素顔を見せたことは今までに一度もないと、その報告書には書いてあったもの。本当に難しい仕事になりそうね」 

 赤城は、事前に調べた情報から、今回の仕事の難しさを改めて実感していた。

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