償い

シュンジュウ

償い

 柳瀬やなぎせ涼子りょうこという少女がいました。彼女は無口でおとなしく臆病な子でしたが、真面目で心優しい女の子でした。

 しかし、そんな少女は早川はやかわ香織かおりら三人組の標的になってしまいます。いわゆる一軍の女子たちです。

 真面目な彼女を教師に媚び売る腹黒い人間だと思ったのでしょうか。それともおとなしく文句を言わない彼女になら、何をしてもいいと思ったのでしょうか。ただ単に自分の立場の優位性を確認したかったでしょうか。

 毎日毎日、彼女はゴミのように扱われ、ハブられ、周りのクラスメイトたちも早川香織たちを恐れてかそれを黙認します。柳瀬涼子の親友、時村ときむらさやかもその一人でした。時村さやかには何も出来ませんでした。怖かったのです。時村さやかもまたいじめを黙認してしまっていました。

 六月二十三日、柳瀬涼子は自宅で首を吊りました。自殺をしたのです。

 いじめの事実が発覚し、学校側は事態を深く受け止め、徹底的な調査を行いました。そして、いじめの主犯であった早川香織ら三人は高校を退学することになりました。



 でも、それだけじゃ足りない。




「ハッ」

 またこの悪夢だ。強烈なめまいと吐き気が襲ってくる。汗だくになった自分の身体をベッドから起こし上げて、トイレに駆け込む。そしてそのまま嘔吐した。まだ辺りは暗い。

 あの日から安らかに眠れた日なんて一日もない。ずっと後悔だけが惨めに残った。

 私はあの頃の私を呪った。私は加害者だ。許されてはいけない加害者だ。罪の意識に耐えきれないまま、私は家に引きこもるようになった。

 でも、あの日私は決意した。その日が来るまで自分の罪を償い続けることを。

 携帯を見ると、既に日にちは六月二十三日になっていた。その日が来たのだ。ついに、その日が来たのだ。


生きていてはいけない人間を滅ぼさなくてはならない。




「好きです。俺と付き合ってください。」

 清水勇輝のその言葉に私はごめんなさいと頭を下げる。頭を上げると清水勇輝は到底受け入れることができない様子で、唖然としていた。彼には私と彼が両思いであるという確かな手応えがあったんだろう。実際私は彼のことが好きだった。優しくて、明るくて、いつも私を励ましてくれる。そんな彼を心から愛している。

 でも、ダメだ。

「今まで本当にありがとう。さようなら。」

 そう言い残すと、呆然と佇む彼を後ろに、私はその場を去った。これで彼と会うのも最後だ。ごめんなさい、勇輝くん。

 私にはやらなくてはいけないことがある。あの日罪を犯した人間を罰さなくてはならない。





 ここに来るのは何年ぶりだろう。私が通っていた高校が廃校になったことは知っていたけど一度も来ていなかった。いや、来たくなかった。あの日を思い出してしまうから。来るのが怖かった。

あの頃使っていた教室に入る。あの頃、私の身体をちっぽけに見せていたその教室が極めて小さく見えた。

 私は待った。彼女が来るのを。誰もいない教室で待った。ただ扉だけを見つめて。教室を見渡すのは怖かった。


私は自分の手が震えるのを必死に押さえた。



 ガラガラ。

 教室の扉が開いた。一人の女が入ってきた。その顔を見ただけで、すぐに私はその女が誰であるのか分かった。

 彼女は私を見つけるなり、私のことを睨み付けた。しばらくの沈黙に震えが一層大きくなっていく。まるで生きた心地がしなかった。

そして、彼女がようやく口を開いた。

「私が来たことを驚かないのね?」

「ええ……」

「どうして?」

「一年前の今日、柳瀬涼子をいじめていた二人が死んだわ。事故死と言われてたけど、本当は事故死じゃない」

「あんたまさか……」

 彼女は驚いた眼で私を見つめてきた。彼女は私に強い口調で言う。

「善人にでもなったつもり!!ふざけないで!!」

 私の目から涙が溢れた。

「……違う。私は善人なんかじゃない。私の罪は償っても償いきれない……」

「そうよ、あなたは私の大切な人を奪った。」

 そう言って一滴の涙を流したは、握ったナイフを私の腹部に突き刺した。私は抵抗することなく、ただただその黒い一撃受け入れた。痛みが震えを止めた。ナイフの突き刺さった部分からは暗い色の血が流れてきた。紛れもない私の血だ。この血が流れなくてはならなかった。

 たとえ私が死んだとしても一人の尊い命を奪った私の罪は消えない。私は罰せられるべき人間だ。私は消えるべき人間だ。


「やめるんだァー!!」

 聞き覚えのある声がした。一人の男が教室に飛び込んできた。驚いた時村さやかはナイフから手を離した。

 私の体は重力に任せて崩れ落ちた。それを清水勇輝が受け止めた。

「香織!」

「どうして……」

「ごめん……様子がおかしいから尾いて来てたんだ。話も全部聞いていた。でもまさかこんなことになるなんて……」

「いいのよ……私は幸せになっちゃいけないの……だからあなたの愛には答えられない……」

 そう言って早川香織は目を閉じた。彼女の呼吸の音が、脈拍の音が、段々と沈黙の中に溶け込んでいく。

 清水勇輝は彼女の体をゆっくり下ろした。

「どうして殺したんだ……?」

 清水勇輝は自分の怒りを必死に噛み殺して言う。眼は僅かに潤んでいた。

「こいつは私の親友をいじめて死に追いやった!生きてる価値なんてない!」

「でも、香織は後悔していた!必死に罪を償っていた!なのにどうしてだ……どうしてだよ!!」

「関係ない!!彼女は私の大切な人の尊い命を奪った!何もかもを奪った!私は涼子を助けられなかった……これが私の罪滅ぼしよ!」


 早川香織は過去の自分の行いを悔いていた。苦しんでいた。必死に罪を償おうとしていた。一度罪を犯してしまった人間は二度と赦されないのか?彼らに救いはないのか?

 赦されるべきなんて、そんなこと清水勇輝には言えなかった。早川香織は確かに一人の人生を奪った。赦されて良いわけがない。赦されるべきだなんてことは、被害者でもない清水勇輝には口が裂けても言えることではない。

 それでも、彼女は罪を償ってきた。

 彼女は死を覚悟していた。この日を待っていた。だから彼女は今日までずっと自分の罪を償ってきたんだ。その日まで苦しくても耐え続けてきたんだ。加害者なら苦しむのは当然かもしれない。

『私は幸せになっちゃいけないの』と彼女は言った。本当にそうなのか?早川香織は死ぬべきだったんだろうか?

 ああ、もう分からない。何が正解かなんて分からない。この世の中には絶対的な正しさなどはないと人は言う。

なら俺はどうすればいい?

なら俺たちはどうすればいい?



「そうかよ……」

 清水勇輝は早川香織に刺さったナイフを引き抜いた。早川香織の体はもう動かない。

「お前は俺の大切な人を奪った。」

 そう言うと血まみれのナイフを時村さやかに突き刺した。時村さやかは小さなうめき声を上げて倒れた。

 一粒の涙が清水勇輝の頬を伝った。

 清水勇輝は泣きながら愛した彼女を抱き上げた。


 清水勇輝は早川香織を愛していた。ただ、それだけだった。

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