第64話 オニとタヌキの間にゃ入れぬ

 空には分厚い雲がのしかかり、コンクリートの地面をちょうど反転させたような様相である。灰色に包まれた世界のどんよりとした空気感とは裏腹に、細波は一切落胆の色を見せることなく、「ボス」の家を出てからどこへやら、行方も告げぬままに歩いていた。


 私とリコはそれについて歩いていたが、ふと、リコがなにやら重大な決心をその心の内でしたらしく、急に私と細波に背を向けてまったく反対の方向——「ボス」の家の方へ走り引き返し始めた。あまりに急であったために私はリコの手を掴んで引き留めることもできなかったし、リコの健脚、その速さに追いすがることもかなわないので、ただ気を揉むことしかできなかった。リコはやっぱり「ボス」の家へ行ったのだろうか。一体どうして? 何のために? 危険ではないか? 私たちも引き返した方が良くはないだろうか? 


 しかし細波は平静とそれを見届け、リコの背中が見えなくなるとくるりと踵を返し、また元のように歩きだした。ぎょっとしてそれを引き留め、私たちも引き返そうと提案するも、細波はいつものように軽い調子で「必要ないだろ」と、言った。


「リコが心配じゃないのか?」

「ああ。まったくもって心配してないさ。俺にはリコが何をしに引き返したのか、そしてその結果どういうことになるのか大体予想がつくからな。それよりも少し予定が変わったことの方が気がかりだ。行く先も変えなきゃならんしな」


 私には細波の言わんとしていることを理解することなどとてもできなかった。ただ今すぐに私だけでもリコを追いかけたいという気持ちを抑えることができたのは、細波の言葉に多大な信用があるからに他ならない。また細波は親切なことに、訳が分からず呆けている私に対してはいつも、もう少し具体的にことを説明してくれるので、よけいに私の根拠なき心労がばかばかしく思えてしまう。


「そうだな……おそらくこれから『ボス』は外に出て、昼飯でも食べに大学の食堂へ向かうだろう。俺たちも今からそこに向かい、上手くいけばもう少し話ができるかもしれない」

「どうしてそんなことがわかる?」


 私が尋ねると細波は愉快そうに、また呆れたようにケラケラと笑った。そして私が首を傾げていると例によって言葉を継ぎ足してくれた。


「マア、女の輪の中に男が入ることは難しいもんさ。その上あの二人の関係を考えたら『ボス』が弾かれるのはまず間違いないだろうよ……」

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