SS in a Flame

来堂秋陽

S.S. in a frame.

 理不尽だ、と俺は思った。


 悪友と呼んで差し支えないであろう咲島董子さきしまとうこに、日曜いきなり呼び出されたかと思ったら、集合場所には本人の姿はなく、代わりに海東かいとう知香ちかが控えめな笑顔で待ち受けていたのである。

 正直に言おう。

 確かに海東はかわいい。気にならないかと言われたら、気になる方であるのは間違いない。しかも、ランク付けするならかなり上位の方で、である。

 今時珍しく、清楚という形容が似合うぬばたまの黒髪に、本人少し気にしているという話のたれ目がちな目、すらりと伸びた手足は、その見た目に違わぬ性能で、運動もそこそこできる、言わば完璧超人系の子であるな。無論、成績においても他人にはそう遅れをとらないのはいうまでもない。

 そんな彼女が、なぜ、今この場で俺に微笑みかけているのか。少し考えたが理解できん。

 とりあえず、俺を呼び出した当人に電話してみるとしよう。

 まだ俺をにこにこと見つめる海東とは言葉の一言も交わしていないのだが、中途半端な愛想笑いで会釈をすると、俺は彼女に背を向けて、普段ありえないくらいの勢いでアドレス帳を検索し、元凶に電話した。

『はーい、もしもしー? 無事に合流したかな?』

 携帯から聞こえた能天気極まりない声に、一瞬殺意が沸く。それを押し殺した声で、俺は低く相手の名を呼んだ。

「咲島」

『はいはい、咲島ちゃんだけど?』

「お前今どこにいる」

『んー自宅だよ』

「ほぅ、お前、俺を呼び出さなかったか?」

『出したねぇ。まぁ、正確には、あんたを呼ぶように頼まれたんだけどね』

「お前、一言でもそんなこと言ったか?」

『言ってない』

 こいつ、しれっと答えやがった。

『まぁほら、この際あたしがほんとの事言ったところで、たぶん本気にしなかったんじゃないの?』

「その本当のことが未だにわからんのだが?」

『知香があんたとどっかに出かけたがってるから、行ってあげて』

 一瞬頭が真っ白になった俺が、ちらっと海東のほうを振り向くと、不安げな表情でじっと俺を見ていた。なんとなく罪悪感を覚える。そんな瞳で俺を見ないでくれ。

『話は理解したかな?』

「理解はしたが、その、なんでそういうことになったかが理解できないんだが」

『そんなことはいいから。あんたは今日、知香をエスコートして』

「いや、だから」

『知香泣かせるような事したら、絶対に、許さないからね』

「あ、おい、だから」

 最後に低い声で穏やかならぬことを言うと俺の言葉を無視して電話は切れてしまった。

 かけ直そうかと考えていると、背後から

「あ、あの」

と声がかかった。そうだ。ずっとほっぽってた。

 くるっと俺が振り向くと、海東は改めて姿勢を正して、ぺこり、とお辞儀をした。長い黒髪が揺れる。

「おはようございます」

「あ、お、おはよう、ございます」

 俺が後半もごもごとなった挨拶を返すと、海東、さん、は、少し不安げな表情のまま、おずおずと尋ねてきた。

「あの、董子ちゃん……咲島さんにお願いして、呼び出してもらうようなことになってごめんなさい。迷惑、でしたか?」

 ここで、この憂いに満ちた表情の彼女に対して、迷惑だ、などと面と向かって言える奴がいたら、そいつにはきっと人の血が通ってないね。俺には人の血が通っているので、手を顔の前ですばやく振りながら、なんとか笑顔になってみた。

「いや、迷惑だなんてことはない」

「でも、今咲島さんに、」

「いやいや」

 不躾ではあるが、ここで言葉はさえぎるべきだろう。

「あー、その、ここで海東さんが待ってるって聞いてなかったもので、それでちょっと混乱したんだ。別に、海東さんとどこか行くのがいやだとか、そういうわけじゃない。むしろ、喜んでご一緒させてほしいというか……」

 しどろもどろの挙句に言葉に詰まった俺を見て、海東さんはくすっと笑みをこぼした。

 なんというか、その表情を見ただけで、俺はもう今日ここまでの出来事が実にどうでもよくなった。

「えっと、その、どうしようか。言ってくれれば、どこか行くところとか探してきたんだけど」

「いえ、今日は、私に付き合ってもらいたいんです」

 少し真剣な表情で、海東さんは俺を見上げてきた。

「一緒に、見たいものがあるんです」



 電車を二回乗り換えて、揺られること約一時間。ついたところは海辺の町だった。

 潮風を胸いっぱいに吸い込みながら、ぐっと伸びをする。海東さんは、そんな俺を見てくすり、と笑みを漏らした。

「見たいものは、夕方になるまで見られないんです。ですから、まずは水族館を見に行きませんか?」

「見せたいもんってなんだ?」

「それは、その時までのお楽しみです」

 普段から、明るい表情のことが多い海東さんだが、今日はことさらに笑顔が多い気がする。今のはそう、何か隠し事をしているいたずらっぽい笑顔というか、そんな感じ。ふむ。

 先に歩き出した彼女の背中を少しぼうっと見つめていると、くるりと振り返る。どうしたのか問うようなその表情を見て、俺は思考を放り出した。ま、考えてもしょうがない。今は今日という日を楽しむとしよう。

 俺は小走りに追いついて、一緒に水族館のゲートをくぐった。

 二人でゲームソフト一本分という、割とよいお値段の入場料を払って中に入る。海東さんは、付き合わせたんだから払わせて欲しいと言ったが、そんなことは断固として拒否だ。俺にも張りたい見栄はある。

 中は控え目な照明で、水槽だけが中からライトアップされていた。

 海の浅いところから徐々に深いところへと生態系を模した水槽を順繰りに回っていく。説明書きにある魚介類を水槽の中に探して指差しあったりしているうちに、なんだかすっかり打ち解けた雰囲気になっていた。

「あ、ほら、マンボウですよ。かわいいなぁ」

 それだけが独立した、巨大なマンボウがいる水槽に駆け寄った海東さんは、張り付かんばかりにじっと見ている。

 泳ぐというよりも浮いているその魚は、うつろな瞳であらぬ方を見遣っていた。つか、どこを見ているのかよくわからない。かわいいのだろうか。俺には理解しがたいのだが。

「大きいですねぇ。ここのマンボウは飼育日数が世界一なんですって」

「へぇ」

 ここまで何を考えているのかわからない感じだと、確かに育てるのは難しそうだ、などと少々ずれた感想を抱いた俺にはきっとロマンが足りない。

 思うさまマンボウを堪能した海東さんは、あろうことかばいばい、と手を振って水槽を後にした。意外と子供っぽい、というか、なんというか、……俺の感想についてはこれ以上不要だろう。

 名物だという大水槽でしばし、魚の探しっこに興じ、エイがなぜガラスに張り付いて滑り降りていくのか互いの見識を披露しあったり、クシクラゲの水槽で魅せられてしまった俺を海東さんが笑いをこらえて見ていたりと、一通り見て回った後、イルカショー、ゾウアザラシショー、アシカショー、ベルーガショーとショーのはしごをした頃には日はすっかり西に傾いていた。


 水族館を出て、駅から反対方向に海沿いの道を歩く。水族館ではあれだけ打ち解けた笑顔を見せてくれた海東さんは、思いつめたような少々硬い表情で、言葉少なに俺の隣を歩いていた。

 俺もなんとなく話しかけづらくなって黙って歩く。

「ここ、です」

 少し突き出た岬のような場所に立った小さな美術館。むしろギャラリーといってもいいくらいの小さな建物の前で、彼女は立ち止まった。

「ちょうどいい時間かな」

 見れば、太陽はそろそろ海面にたどり着こうといったところ。

うながされて入ると、建物に似合いの、ひげを生やした老人が一人。軽く会釈をすると周りの絵には目もくれずに、彼女は建物の奥に入っていった。どうやら入場は無料らしい。

 一番奥側は、階段で三段くらいの段差が付いて低くなっていた。外から見た感じからすると、ここはおそらく海の上に突き出た部分だろう。

 奥の壁には、やたらと幅の狭い、縦長の窓がひとつ。その窓から1メートルほどのところを指差して、海東さんが言った。

「あの、ここに立ってもらっていいですか?」

 否やはない。何が見えるのか期待しながらその場所に立つと、海東さんは、肩が触れ合わんほどに俺にくっついて隣に立った。

 俺、少し動揺。少し間を空けようとすると、まっすぐ窓に視線を向けた海東さんが口を開いた。

「始まります」

 その言葉に、俺は窓に目を向ける。少し張り出した岬の突端が右側に見える。そして、沈もうとする太陽が今まさに海面に触れんとしているところだった。

 すべてをオレンジ色に染め上げて、太陽がゆっくりと海面へ溶けていく。

 縦長の窓が、その風景を切り取って、一つの絵を形作っていた。

 背後から照らされた岬の影の黒さ、そして、太陽が沈むにつれて、高いところから暗くなっていく空。残照を浴びて赤く染め上がる海、波。

 何か感想を言うことすら忘れて、俺はただその光景を、太陽が海に溶けきるまで見つめ続けていた。

 薄暗くなって我に返ると、俺の左腕は、海東さんに抱えられていた。ごく自然に。

 目が合って、なんとなく微笑みあった俺たち。そこで海東さんは、俺の腕を抱え込んでいたことに気が付いて、真っ赤になって離してしまった。ちょっと、いや、かなり残念。というか、急に失われてしまったぬくもりが実に物悲しい。

「あの」

と、二人同時に口を開く。海東さんが少しうつむいて、上目遣いに俺を見つめた。ここは俺から口を開くべきだろう。

「えっとさ、また、一緒に見に来たいって言ったら、迷惑かな」

 海東さんは、無言で首を振った。

「そう言って欲しいなって、思ってました」

 そう言って、見せてくれた表情は、今日のいくつもの笑顔の中でも、最高の笑顔。

 理由なんかどうでもいい。海東さんがあの夕暮れを、そして今の笑顔を俺に見せてくれたことが、何よりもうれしかった。


 行きよりも会話も増えた電車を二回乗り換えて、揺られること約一時間。すっかり暗くなったいつもの駅に降り立つと、改札の前にはニヤニヤ笑いを浮かべた咲島が待ち構えていた。なんでいやがんだ。

「んー、その様子だと、楽しい一日だったみたいねぇ、お二人さん」

「そうだな、たった今、その楽しい一日とやらも終わったようだが」

 いささかため息混じりに言ってやると、咲島は表情そのままに指をぼきぼき鳴らしだす。

「なに、あたしが出てきたらお終いか? この野郎」

「そんなことないよ董子ちゃん」

 海東さんがなだめに割って入る。いや、こいつにそんな気を使わなくていいと俺は思う。

「だよねぇ。ほら、知香はよくわかってるじゃん。わかってないのはあんただけだ」

 海東さんの肩を抱き寄せてにししと笑う咲島。大げさにため息を付く俺。まぁ、見かけほど機嫌悪いわけじゃないけどな。今日という日があったのは、こいつのおかげでもあるわけだし。と、そこで素朴な疑問がわいた。

「そういえば、咲島と海東さんて、そんな仲良かったのか? あまり話するところを見た記憶もないんだが」

と、いう俺の問いに意外といえば意外な答え。

「私と董子ちゃんは、お隣さんなんです」

「そう、幼馴染ってわけよ。まぁ、それはともかく、今日の楽しい出来事を根掘り葉掘り聞いてやるから、ファミレスにでも行くとしましょ」

「お前のおごりだな」

 残念ながら、今日の俺は既にからっけつだ。お前が余計ないたずら心を出さずに最初からちゃんと伝えてくれていれば、もっと財布の中身を充実させてきたものを。

「んっふっふ~、そう言えばいつもひるむ董子ちゃんだと思うなよ? 今日は気分がいいから、晩飯くらいおごっちゃるわ」

「え、いいよ、そんな」

 意外な成り行きに訝しげな表情をしたに違いない俺と、素直に驚いた表情をする海東さん。

「明日は雪か……」

 俺の漏らした一言に、すかさずチョップが入る。イテッと反応する一瞬で、さっさと走り去ってるのはいつものことだ。

「ほらほら、早く来ないと置いてくぞ~」

「別についていくこともないんだけどな」

 俺がぼやくと、海東さんがくすりと笑う。

「せっかくだから、ごちそうになりましょう。今度はいつこういう機会があるかわからないし」

「そうだ、ね」

 いつものファミレスの前で、ぶんぶん手を振って待ち構える咲島に、向かって、俺と海東さんは肩を並べて駆け寄っていった。


 どうやら俺の、いや、俺たちの楽しい一日は、まだ終わらないらしい。

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