出逢いと別れ 1
その昔、騎士の一人が王となり、国を作った。
激しい戦が繰りひろげられ、戦果を得るごとに領地は大きく広がり、森も荒野も海も山も川もある国へと勢力を拡大させた。
ナイトレイ王国。
現在は土地を返還し全盛期のころよりは縮小したがそれでも力は衰えず。国は繁栄を続けている。
国の中央。
城を中心に広がる城塞都市、バベル。
街を作るに当たり、騎士王は敵の襲来に備え、都市を守りやすくするために四つに地区を分けた。
ミカエル地区。ガブリエル地区。ラファエル地区。ウリエル地区。
戦いが終わり、平和となった今の世にも街の形は変わらずに歴史は築かれる。
南に位置する、ラファエル地区。
等間隔で並ぶガス灯が不気味に揺れ動く。
日没から夜は深まり、暗く世界を闇に染める。
家の明かりもすっかり消え、生者は寝静まり、夢へと誘われる。
レンガの街並みはより一層影を落とし、ガス灯のない裏路地はその先の道を暗く閉ざしてしまう。
光ない暗闇の中、少年ミヤ・ルーファスは月明かりだけを頼りに裏路地を駆け抜けた。
逃げなければ、逃げなければ逃げなければ逃げなければ。
捕まるわけにはいかない。
早く、はやくはやくはやく。
馴染みある街の地図をなんとか頭に描き出して、必死に足を動かす。
金色のあでやかな髪がゆらゆら揺れる。紅蓮に染まる目は大きく開いて、暗闇に続く道をうすらぼんやりと映す。
その後ろから吹く不気味な風。
おかしな影。
今にもミヤを喰らいつくそうと後ろに迫る。
息が苦しい。
太ももが、ひざが、足が悲鳴を上げる。
もう止まりたい、休みたいと懇願する。
立ち止まってはだめだ。
体を乗っ取られてしまう。
自分ではいられなくなってしまう。
死に物狂いで足を動かしていたが、体がついていけず、躓き地面へと体を打ちつけた。
痛い。めちゃくちゃ痛い。
けれど、立たないと。
逃げないと。
痛みを我慢しつつも、顔をあげる。
だが、目の前には絶望しかなかった。
――――道が、ない。
あるのは行く手を阻む、高い壁。
無意識のうちに走っていた先は行き止まりだった。
背後から、黒い無数の“悪霊”が迫りくる。
最悪だ。逃げ場がない。
あぁ、もうだめだ。
助けを呼んでも意味がない。どうせ誰も助けてはくれず、また奇異の目にさらされるだけ。
それに、こんな夜更けに起きてる人間なんていない。
もう、誰も助けてくれないんだ。
ミヤは静かに目を瞑る。迫りくる恐怖に少しでも耐えようと、現実から目を逸らす。
だが、恐怖や悲しみ、憎悪は訪れない。代わりに哀れな悲鳴とともに、天から風が吹き上げた。
鋭い刃で切り裂く音が響き渡る。
今の音はなんだ。
重く沈んだ瞼をゆっくりと開く。
……こ、ども?
視線の先には、ミヤよりも少し低い子供が背格好に似つかない大きな鎌を手に立っていた。
なんでこんな時間に人が?
というか、あれはなに?
混乱するミヤを置いてけぼりにして、少年は呟いた。
「……さてと」
子供が鎌を持ち直し、地面を蹴って天に舞った。
人とは思えない超脚力。くるりと体を猫のように回転させて次々と黒い化け物を切っていく。
壁を切り方向転換しては切り、なんの躊躇もなく鎌を振り下ろす。まるでダンスでもしているように、軽やかにステップを踏んでは空を舞う。
無数にいた黒い物体もあっという間に残りわずかになっていた。
ミヤはただ茫然と見守ることしかできず、子供が狩りつくすまでその様子を眺めていた。
一体、この子は……――――?
ミヤを追っていたものが消え去り、子供はくるりと身を翻し、鎌を突きのばす。切っ先が、ミヤの喉元をとらえる。
突然のことに、ミヤは身動き一つとれず。ただただ身体を震わせた。
「あれ、キミ、生きてる―――?」
少し低音の大人びた少年の声が、問うた。
生きているのか、おかしな事を聞く少年だ。
足も、手も、身体も存在している。
僕は生きている。死にそうではあったけど。
もしかして、霊だと間違われているのか。
生きてる、という点において即座に答えの出たミヤは首を縦に振った。
「ごめんね。まさか生者がいるとは思わなくて」
納得してくれたのか、少年は鎌をひっこめる。身体よりも大きな鎌の柄の末端を地面につけて立てかけた。
そうしてから、再びミヤに質問をした。
「ボクは生まれてこの方此の街にいるんだけど、大量の悪霊に追いかけられる子には初めて会った。もしかして君は、此の街の外からやってきたのかい?」
ミヤは首を横に振った。生まれたときからずっと此の街ナイトレイ王国城塞都市バベルに暮らしており、街の外に出たのも片手で数えられるほどしかない。
「ずっと此の街で暮らしてる」
「此の街で……ずっと? 今までこんなこと、なかったよね?」
「……う、うん」
「こうやって彼らに追われるのは初めて?」
「はじめて、じゃない……二、三日前から……」
「二、三日前……」
少年は首を傾げ考える。それからすぐに、あぁと何か思いついた。
「もしかして、キミの大切な人が亡くなった?」
ビクリ。ミヤは肩で反応を示す。
少年の言うとおり、四日前、ミヤの祖母、ヘレン・ルーファスが亡くなったばかりだったからだ。
ヘレンは、父方のルーファス家の者だったが、とても物静かで優しい人だった。
おかしなものをみるミヤにも優しい眼差しを向けて、頭を撫でてくれる。本当に心の底から優しい人だった。
「そっか……そういうこと」
少年は一人納得したのか、それ以降質問責めにすることはなかった。
「あ、あの……君は、一体――――」
何者なの――? と紡がれるはずのミヤの言葉がかき消された。
おぞましい叫び。
憎悪。悲痛。渇望。
呻きが何度も何度も、消えては響く。
「悠長に話してる場合じゃなさそう」
少年は再び鎌を構えた。
「あぁ、キミは本当に可哀想なほどおいしそうな匂いをさせる―――また、こんなにも集まってきた」
少年の視線の先、ミヤの背後にはおびただしい亡霊が蜂の巣の子みたいにうじゃうじゃと這い出る。
「……っ!?」
背筋が凍る。突き刺さる視線にミヤはおびえ、身体を震わせた。
逃げないと、逃げないと逃げないと。
身体が動かない。
腰が、足がたてない。
ミヤが慌てふためいている中、少年は音もなく近づき、あるものを手渡した。
「これ持って、そこにいて」
手渡されたものは、長い紐に括り付けられたペンダント。大きな星の形をした綺麗な石。
ミヤが手にした途端、星が淡く瞬きを放つ。
それはとても温かく。
涙を流す心を穏やかにさせていく。
「その石はキミを守ってくれる。だから、決して動かないように―――でないと、間違えて切ってしまうかもしれないよ」
少年は力強く地面を蹴り、空に舞う。
無数に漂う亡霊を手に持つ鎌で切り裂く。
容赦なく、次々と。
風が吹くように。
花弁が舞い散るように。
瞬く星の光のように、灯を灯し、暗闇を切る。
すべてを切り裂いて、少年は静かにたたずみ、手にした鎌の持つ先をトンと地面に打ち付けた。
大地より青い光が生まれあふれる。
――― 神々の導き手よ。鳥籠の街を彷徨い堕ちた魂たちに救済を。
「葬送」
ふわり。
光が舞って、空へと泡のように消えていく。
神のもとへと導かれるように淡く、儚く、天へと昇る。
「これでしばらくは亡霊たちも静まる」
少年は視線を戻し、ミヤのまっすぐに貫く目線に目を合わせる。
「生者は眠る時間。キミももう眠らないとね」
送るよ。と付け加え、座ったままのミヤに手を伸ばす。ミヤは手を取るか逡巡したが、今一人で帰ったところでまた同じ繰り返すだけだと思い、少年の優しさに甘えることにした。
「そうだ、キミの名前は?」
「僕は、ミヤ。ミヤ・ルーファス。君は――――」
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