裂け目

@NOTAROU

裂け目

 夏休み最後の日。

 生徒会長の奥田くんがいなくなって、

 三組の彼の席にはもうソが座っている。


 つつじ団地は新しい西棟が現れ、

 倒壊した給水塔の代わりがもういっぽん地面を割って生えてきた。


「奥田くん。行っちゃやだよ……」


 泣きじゃくる私の周りをソが取り囲んでいる。


 生徒会室のロッカーの中には奥田くんが隠していたお菓子の袋がもうないのだ。

 扉の裏に貼った去年の合宿の写真はきっとソで埋め尽くされているから

 見ないように剥がして捨てた。


 サイレンが鳴っていた。

 あの首筋に垂れたスイカの汁が、目に焼き付いて離れない。



「おっはようございまーす。会長さん」


 夏休み明けの最初の朝、教室に入った私は奥田くんの机に駆け寄った。


「佐伯か」


 私は奥田くんの首に後ろからきゅっと抱きついて、彼の頬に指を滑らせる。「ねえ、こっち見てくださいよ」


「わかったことがあるんだ」


「無視ですかー?」


「たぶん、もうずっとあれは開きっぱなしだったんだよ」


 黒板に張り付いた大きな蛾を睨みながら奥田くんはぼそりと言った。


「ソが多いだろう。裂け目のせいさ」


「え?」


 私は彼の首に滑らせた手を止めた。


「生徒会室がこっちと向こうの通り道になっているんだ。その、なんというか、門というか……」


「ちょ、ちょっと待ってください」珍しく私は慌ててしまった。「通り道を見つけたんですか?」


 奥田くんはびくっと肩を震わせた。色白の、きれいな顔を私に向けて、さっと目を逸らした。


「すごく嫌な臭いがするんだ。教室の床の下で誰かが腐っていってるみたいなのが、ここのところ毎日。それでやっと気がついたよ。これもソのしわざだったんだって」


「あの、毎日って」私は吹き出した。


「しっかりしてくださいよ。昨日まで夏休みだったじゃないですか。今日が最初の授業でしょ?」


「そうだったっけな」


 私はうつむく奥田くんの顔を覗き込んだ。相変わらず、彼はかわいい。生徒会長のくせに小動物のようにおどおど忙しない。だから守ってあげたくなるのだ。


「考えすぎですよ会長。そんなへんな匂いもしません」


「あ、あのね、僕だってこんなのあり得ないと思ってるさ。でも現にみんなソになっていくじゃないか。学校中みんな。いやみどりが丘のいたるところで入れ替えが始まって、どんどん色々なことがおかしくなってる」


「たかがソですって。どっしり構えていないとダメですよ。ヒーローさん」


 背の低い奥田くんは目をぱちぱちさせてキッと私を見つめた。


「佐伯だってわかっているんだろ? 僕がおかしくなった訳じゃないよな」


「ソを消す方法は前任の人から聞いていないんですか」


「緑の石を使えばいい、らしい」


「へへん、やっぱり私の言った通りでしたね」


 私は胸を張った。



「気づくのが遅すぎたよ」


 奥田くんが血相を変えて縋り付いてきたのは、昼休みのことだった。


 そう、あれは購買部にうす緑の小さな封麤尖石(とっても甘い!)を買いに行ったときだった。


「会長、腕が痛いですって」


「歴*三八〇ヲの言ったことがやっとわかってきたんだ。急いで生徒会室に戻らないと。取り返しがつかなくなる前に」


 奥田くんはよく「歴*三八〇ヲ」という名前を出した。もちろん人ではない。「ソ」だ。


「仲がいいんですね。あの子と」


「僕の身も危ないのかもしれない。とにかく早く戻らなくちゃ」


「あの、なに言ってるか全然わかんないんですけど」


 列に並ぶみんなに聴こえないように私はひそひそ抗議した。「緑の石で心臓を突けば入れ替わったみんなが元に戻るんですよ。忘れちゃったんですか? おさぼりの会長さん」


「逆なんだ。みんな入れ替わっていた訳じゃない」


「だから、どうしたんですか」


「ここにはもう僕と佐伯しかいなかったんだ」奥田くんは私の手を引いて真っ暗の廊下を駆け出した。


「ちょっと、落ち着いてください」と言っても奥田くんの目はもうすわっている。「そんなに走ったら崩れますよ。この世界はすっごく脆いんですからね」


「戻るべきなのは僕たち、いや僕なんだ」


「ダメです」


 私は悲しくなった。”夕方”になるまでこれを使いたくはなかったのに。


「気分が悪くなってきた。吐きそうだ」奥田くんの顔はみるみる白くなっていった。「臭いがひどい」


「ね、もうすこしの辛抱ですって。明日にはみんな元どおりになっていますよ」


「佐伯。僕に九月二日は来るのか? なあ、きみは二年生だったよな?どうして三年生の僕の隣の席にいるんだ」


 辛そうに見上げる奥田くんをみると胸がずきずきしてくる。


「大丈夫ですよ。私がいるでしょ?ソと戦ってみんなを取り戻すんです」


「佐伯、もういいよ。だって僕は本当はもう」


「会長!」ぐったりした奥田くんを抱きしめると、まだ人間の汗のにおいが微かに薫った。


 その後はいつも疲れてしまう。奥田くんを黒い保健室に送って、処理をしなければならない。夏場はやっぱり長くは持たないのだ。



「おっはようございまーす。会長さん」

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