EP02 安心してください、穿いて……
手入れの行き届いた制服、真っ黒な髪、緩みのないリボン、そしてニキビ一つない顔。今日もすべてが完璧。私はそういう人間。そういう人間でいなければならない。
『続いて、生徒会長の言葉。薄衣さんよろしくお願いします』
司会に指名され、階段前で一礼してから壇上へ上がる。何度も経験している場所だとはいえ、大勢の方の視線に晒されるのは未だに慣れない。しかし、焦ったりしてはいけない。落ち着き払っているよう装いつつ、ポケットからメモを取り出し、広げた。
「おはようございます。生徒会長の薄衣せいらです」
私は由緒あるこの南荒川学園女子中等部の生徒会長。常に模範的生徒であらねばならない。その緊張感と無数の視線。それが一周回って気持ちよくなってしまったのはいつからだろう。
こんな大勢の前なのに、快感で身体がよじれそうになる。むしろ、はしたないことをしてみたくなる。視線だけなのに、身体中をベタベタと触られているようにも思える。
表向きは、まさしく完璧だと自分でも思う。でも、そんな完璧人間の私にはたった一つだけ、誰にも言えない秘密があった。
「南荒川の生徒として、自覚を持って生活しましょう。ご清聴ありがとうございました」
袖に戻っても緊張の時間は終わらない。授業中はもちろん、休み時間、登下校時さえ気が抜けない。完璧でないと、私は私ではなくなってしまう。私は完璧だから私なのだ。
そんな私でも、一瞬だけではあるが安息の時間がある。それは下校中、周りに人が誰もいなくなった時。
もっとも、偶然ではなく意識的に一人になるような時間に校門を出て、一人になるようなルートを通って帰っている。
今日もそうして、うまく一人になったところで河川敷の歩道へ出た。そして私はそこでいつものように
「ふーん、あなたってそういう人だったんだ」
突然聞こえた声にびっくりして悲鳴を上げそうになる。振り向くと南荒川の生徒だった。声をかけられなければあのままやっていたのかと思うと背筋が凍った。
でも今「そういう人」って? まさか……いやでも、そんなはずは。
「ど、どうかなさいましたか?」
「今さら冷静ぶっても遅いよ」
彼女はそう言うと、私の目の前でジャムの瓶のようなものを開けた。
「悪く思わないでね」
「なんですかこ、れ」
瓶から出てきた謎の黒い煙は意志があるかのように空中を自由自在に飛び回り、私の身体に張り付いた。不敵に笑う彼女の顔が歪み始めてから意識が崩壊するまで、それほど時間はかからなかった。
「生徒総会ってなんのためにあるのさあぁ」
「主に生徒からの質問、意見について学校側が回答をする場であり、場合によっては生徒会にて決議された報告等の項目などから構成される、総合的なか」
「だあああ! 御託はいいんだよどーでも!! 列になって座ってたらカップリング確認できないでしょうが!!」
「浜崎ユリ、うるさいぞ」
ちぇ、なんだよスミレも先生も。長ったらしい集会なんかみんな嫌に決まってるでしょ。先生はまだ立ってるだけだからいいかもしれないけど生徒は冷たい床にずっと座ってなきゃなんないんだぞ! 女の子は特に腰が冷えることがダメなんだからそこんところ考えろよこの野郎。
「それにしたって無意味だよこんなの。大体『意見はありますか』『ないようなので次に進みます』の繰り返しじゃんか。スミレは嫌にならないの? その効率の悪さに」
「効率が悪かろうが、上の指示に従って生きるのが一番手っ取り早く簡単で確実で労力も使わないからね」
「うわ出たよ、社会の歯車宣言じゃん。ちっくしょー省エネ人間め見損なったぞ!」
「浜崎! うるさい!!」
いい加減先生がキレそうだなー。あーあーあー、暇暇暇暇暇暇暇暇暇。
『続いて、生徒会長の言葉。薄衣さんよろしくお願いします』
もう生徒会長の言葉なんて「今日も一日頑張りましょう」程度でいいよー。どうせ誰も聞いてないんだからさあ。つらつらと長ったらしく話すよりもそっちのがよっぽど有意義なん
「って、あっ!」
「いい加減にしろ浜崎!」ガッ
いったいな、出席簿で殴るなよ膀胱パワハラだぞこれ。……ってそうじゃなくて。昨日河川敷にいた人、生徒会長だったのか。通りで知ってるはずだ。流石にそれくらい知ってないと私の交友関係のNASAがバレるって。
「何? 世紀の大発見でもした?」
「いや、そう言われると」
なんか咄嗟に大声出しちゃったけど、よくよく考えたら一回河川敷で見かけただけだしな。あまりに生徒総会がつまらないせいでなんか変にドラマチックに感じたっぽい。スミレの憐れむ目が痛い。
「じゃあただの殴られ損じゃん」
「ほんとだよ」
我ながらアホだよなあ。流石に今日はもう先生に怒られないように話聞いてる風の格好して寝てよ。さあて寝てしまえば夢で妄想の世界にどっぷり浸っ
「はぁまぁさぁきぃ??」
巡回してるなんて知らなかったんですごめんなさい。
「純さんは生徒総会って意味あると思う?」
帰り道、またも純さんと出くわしたので生徒総会の愚痴を延々と聞かせていた。てかこの警官いっつも私と話してんな。暇か?
「うーん、僕はぼーっと聞いてただけだから意味があるかは分からないけど、先生に逆らう勇気はなかったかなー」
「なんだよ、警察のくせに意気地なし」
私も積極的に反抗してるわけじゃないけどさ、校則とか強制参加の行事とか、気持ちのいいものではなくない? そもそも強制ってだけですべてが嫌なものに見える。
「まあ、今までやってきたことを突然変えるっていうのは難しいことなんじゃないかなあ」
「あ、そうやって諦めるんだ」
「諦めるわけじゃないけどね。僕は一応警察官だし、警察学校に通ってたのね? その時に、教官や先輩、同級生から嫌と言うほど『女だから』って扱いを受けたんだよ。男っぽい僕でさえそうなんだ、他の子たちなんかもっと感じていたと思う。でもそういうのは誰かが声を上げたからと言って変わるものでもない。最悪、学生全員が一致団結して抗議したとしても、体制自体は変わらないで学生が全員退学になるだけな気がする。だから今あるものを変えるって言うのは想像以上に難しいんじゃないかな」
女だから、か。
私はこれまでの人生で女に生まれたことを後悔した経験はないんだよなあ。割と男子とかともよく遊ぶ子供だったし、生理も重い方ではないから滅多に苦しいとは思わないし、女子としての特権が割とあるから。何より女子校っていう百合天国に入学できるだけでもパラダイスだしね。でもそれは私の場合ってだけで、周りには苦しんでる人はたくさんいるんだろうな、純さんみたいに。
「さっきも言ったけど諦めてるわけじゃないよ。若い人たちの中ではそういうのに不満を持ってる人が多いだろうし、世間にだんだんそういう考えが広まっていけば自然と変わってはくると思うんだ」
「生徒総会もいつかなくなるかね」
「なくなりはせずとも、効率化はされてくんじゃないかな。希望者のみ参加、とか形式ばった集会じゃなくてとんとん話が進むような流れにするとかね」
「なるなら早くなってほしいなあ。だんだん広まってくのを待てるほど私は我慢強くないよー」
とにもかくにも目の前に嫌なことがあるそれ自体が嫌なんだよな。我ながら損な性分だわ。まあ生徒総会が開かれるなら開かれるでその日は黒タイツ&ハイソックス率が急上昇するからむちっとしたふくらはぎ太ももと光沢のある黒が足のえっち度を極限まで高め
ズザザッ『荒川本部から各局』
「うわっ、びっくりした」
昨日の化け物の声がしわがれてたからまた背後に来られたかと思ったじゃんか。心臓に悪い。
「僕の無線だね。なんだろう」
『南台地区境川付近にて不審者に、えー、鎧? のようなものをぶつけられたとのマルデンあり。付近のPMは向かえ』
うわぁ、本当に警察無線ってこんななんだ、半分暗号じゃん。
「境川ってすぐそこだよ」
「ん? どこ?」
「いや、昨日帰り通った河川敷のとこだって」
え、あの川、境川って言うんだ初めて知った。どこにでもありそうな名前だなあ。
「ユリ! ユリ!!」ガサガサガサッ!
「ちょ、いでででで、ロー太暴れないで! 腕ちぎれる!」
てめえそんな動きしたら関節イカれるだろうが馬鹿か!!!!!
私としてはロー太を学校に連れていくつもりはなかったんだけど、「道中で化け物に遭遇したらどうするロ!」とかなんとか言ってうるさかったから黙ってることを条件にリュックに詰めてきた。
リュックの中でロー太が暴れているせいでわきと肩と胸がお亡くなりになりました。葬儀の日程は改めてお知らせします。胸に関してはこれで胸の発育が遅れたらてめえまじ切り刻んでからプレス機で粉々にして金属の部分だけ取り出して売りさばくからなこの野郎。
「ユリ! フェミックスのにおいがするロ!」
「におい?」
「そうロ! だからその不審者は化け物かもしれないロ!」
「……あんたそんなことできたの? 昨日そんな探知機能があるなんて聞いてない気がするんだけど」
「聞かれなかったロ」
こ、こいつ屁理屈で丸め込みやがって。本当に私を助ける気があるのかこいつ。
「とりあえず化け物がいるっていうならなおさら早く行こうか。ユリちゃんは変身する準備はしておいてね」
「うん、エロい妄想は常にしてるから大丈夫」
「う、うん、そうか」
一瞬純さんがガチ目に引いた気がしたけど多分気のせいだろうから気にしないでおこう。
住宅街を抜けて河川敷に出ると、通報者は本当に目と鼻の先にいた。
「あ、おまわりさん!」
被害者の人はまあ多分私の親くらいの歳のおばさんで、なんだかよく分からない分厚い金属のようなものが顔を除く全身にくっついている。これは……そういう趣味、なのかな?まあ趣味は人それぞれだし
「助けてください、この変なの全然取れそうにないんです。急に鎧っていうか甲冑みたいなものを着た人が近付いてきたと思ってらこんなものつけられて、本当に困っちゃうわぁ」
あ、化け物にやられたのね。このおばさんが変質者かと思ったわごめん。
「すみません、後でなんとかしますので不審者がどっちに行ったかだけ教えていただけますか」
流石は交番のおまわりさん、相手に不快な思いをさせることなく自然と聞きたい話に移行させた。なんかクソ高圧的な警官に比べたら純さんはよっぽど立派に職務を遂行しているのかもしれない。
「ああ、あの変な人なら三ノ輪橋の方に行ったわよ」
「ご協力ありがとうございます!」
おばさんには申し訳ないけど、多分その鎧の化け物を倒さない限りその変な金属は取れないと思うから後回し。すまん、おばさん!!
「確かにだんだんにおいが強くなってるロ!」
んなもん聞かなくても分かってるわ。このロ〇ター野郎、正直さっきから全然役に立ってない。
「純さん! あれ!」
おばさんの言っていた通りちょうど三ノ輪橋のところに、金属的な何かでできた装甲を身に纏う、巨大なヤツがいた。もはや素顔すら見えなくて、ロボットみたいな頭が上に乗っかっている。なんだなんだ、鉄人なんとか号か?
『露出ハハシタナイ! 男ニ媚ビテイル!! 肌ヲ隠セ!!』
騒ぎながら暴れる巨人の周りには、さっきのおばさんのように変なものが大量にくっついた人たちが逃げたり倒れこんだりしている。三ノ輪橋は割と人通りもあるし、変身して戦うにしても人がいるとまずいなあ。
「純さん、避難誘導頼んでいい?」
「わかった。みなさん、危ないですから逃げてください!」
「ユリ! 変身ロ!」
いちいちアンタが言わなくても分かるわ。さあ妄想妄想……。
百合が映えるロケーションと言えば学校なんだけど、屋外も捨てがたいんだよねぇ。自然公園みたいなところの茂みに隠れたベンチでさ、
『やっぱ自然多いと空気がきもちいねー』
『うん、人もあまりいないしのんびりできるね』
『そう、だね。誰もいないね』
『え、ちょ、近いよぉ』
『いいでしょ。ちょっとだけだから』
って半ば強引に押し倒されて野外で二人の営みが行われ
「おっしゃきたきたきたー! 変身!!」
昨日と同様、身体が宙に浮いて服が変形していく。そしてまた魔法少女のかわいいあざとい衣装に
「ってあれ? ナース服?」
フリフリとか宝石的なのはあるから魔法少女っぽくはあるけど、昨日とはだいぶ趣向が違う。なんというか、コスプレチックっつーか……。
「あくまで性欲の力で変身してるからその時の気分によってコスチュームも変わるロ」
「そんな本日のおすすめ定食みたいなノリで言われても」
そしてステッキ(電マ)は何も変化はないのね。それこそ毎回攻撃手段が変わってたら扱いづらくて嫌だけど、ナース服に電マとかもはやそういうビデオの企画では。
「まあ何はともあれ敵を倒せればそれでいいか」
『露出ハ許サヌゥ!』
露出を許さないってことはつまり露出狂か。とは言ってもそんな性欲どうやって叶えろってんだよ、あの重装備脱がさなきゃいけないわけ??
まあ考えるよりとりあえず攻撃して無力化させればいっか。
空気を蹴って一気に化け物との間合いを詰める。重そうだし私の攻撃避けられないだろ!
「食らえ! 音波攻撃!!」
これまた昨日と同様にステッキの先から出た音波が化け物にぶつかった。昨日と同じくぴゅいんぴゅいんぴゅいんみたいな音が出そうな形の光線が空間を切り裂いて、一直線に化け物に突き刺さった。
……そして何も起こらなかった。
「うん?」
『ハレンチィッ!!!』
重すぎて音波が打ち消されたのか!? まずい、これじゃあ無防備な状態で敵の目の前に飛び出してただけだっ……。
化け物は下のアスファルトを割るほどの勢いで地面を蹴り、弾丸のごとく私のもとへ突っ込んできた。
「ぐっ!!」
咄嗟に空中に逃げたけど、左足のつま先だけかすっちまった!! いてえじゃねえかクソ!!
そしてさらに最悪なことに、ぶつかったところから他の被害者と同じように身体が金属的な何かに覆われ始めた。チクショー、かすっただけでこれかよ!! チート野郎め!!
身体の半分以上を覆われた段階でとうとう浮いてることができなくなって、勢いよく歩道に墜落した。腕もろくに動かせないからステッキを向けることもできないし。万事休すか……。
「ユリ!」
「ロー太、なんか抜け出す方法ないの?」
「分からないロ」
てめえなんのためにいんだよクソピンクハゲ玩具野郎がよ。
『ハシタナイィィィ』
「あれ? なんかあいつまだ私の方向いてない? この変な金属みたいなのに覆われたら興味失うんじゃなかったの? 被害者全員それでほっとかれてたじゃん?」
「昨日も言ったロ、化け物は性欲を憎んでるから魔法少女には余計敵意を向けてくるロ」
忘れてたわけではないけどこんな露骨に殺意向けられんのかぁ。ははは、あいつ本気で私の方突進してこようとしてるじゃん。おいおいおい、死んだわ私。
『露出ハ控エヨォ!』
露出ねえ。こっから抜け出してあいつの身ぐるみはがすとか無理ゲーでしょ。二枚の壁隔てて相手に攻撃与えられる術ありゃあまだ分からないけど。
……二枚の壁隔てて攻撃? まてよ、もしかしたらワンチャンスあるかもしれない。あの方法なら「あいつの中身が装甲に密着していれば」脱がすことも可能なはず!! 一か八かそれを試してみるしかない!!
「動けぇ私の指ぃぃ!!」
ステッキを持つ右手の親指を限界まで伸ばす。スイッチにさえ届けば!!
『露出ゥゥウオオ!!』
頼む、届いてくれ……頼む!!!
「よっし! 届いた!!」
ぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううううん。
電気マッサージ器が最大出力で振動しだす。果たして狙い通りいくか……?
『隠、セ……』
「よっしゃ止まった!!」
足をピタッと止めて呆然としている。狙いは的中したようだ。
「ユリ、何をしたロ? 新しい魔法を習得したロか?」
「いいや、私はただ電m……じゃなくてステッキのスイッチを入れただけだよ」
「ロ?」
「この間理科の実験でやったんだよねえ。空気の振動が遠くの物体を揺らすやつ。共振って言うんだっけ」
この物体に合った周波数は知らなかったから一か八かではあったけど、うまくいってよかった。それに、
「この方法なら『確実に』あいつを脱がせられる」
『グ、アツ、露出ハダメ、デモアツィ』
当然、身体に接している部分が振動すれば摩擦熱で熱くなってくる。熱くなれば脱がざるを得なくなる。まさに北風と太陽作戦だ。
……あっ、でもまった……これっ、あ、私も、やば、いかも。全身が擦られて、立って、られな、くっ、あっっっ
『モウ無理ィィィィ!!!』
私が果てるより前に、化け物が根を上げて中から汗まみれになった人間が飛び出してきた。あれだけ重装備だし熱がこもったんだろう。その中身の人間は、なんとまたしてもうちの学校の制服だった。
『露出、シチャ、タ』
彼女がそう言って倒れると、化け物の装甲も、被害者たちにくっついてたものも、私にくっついてたものもすべて泡のように消えた。
「すごいロ!! よく頑張ったロ!!」
「はあ、はあ、はあ……」
まじでやばかった。あと一秒遅かったら私も意識トんでた。
「ユリちゃん!! 無事?」
「あ、純さん……とりあえず命に別状はありません」
女として何か大事なものを捨てた気はするけど。
「それより怪物になってた子を」
うつ伏せで倒れている彼女の元へ駆け寄り、抱き起こす。相当中が暑かったと見えて制服がスケスケになるくらいまでびっしょりと濡れている。
「ってあれ、生徒会長っっ?」
それはいつもの凛とした姿はないものの、紛れもなく今日壇上に立っていた生徒会長だった。なんたって生徒会長がこんなところに。
「とりあえず、できるだけ涼しい恰好にしてお水飲ませてあげよう」
「うん、僕お水買ってくるね」
純さんが水を買いに行っている間に私はしっかり看病をしなくちゃな。生徒会長を静かに仰向けに寝かせてブレザーを脱がせる。
……ん?
「買ってきたよ。って、どうかした?」
「う、ううん、なんでもない」
……これは誰にも言わないでおいてあげよう。
「……んっ」
「あ、目ぇ覚めた?」
化け物を撃破してから十五分くらいで会長さんは目を開けた。もうちょっとかかるかと思ってたけど、回復が早いに越したことはない。
会長さんは上体だけ起こして呆然と周りをきょろきょろと見渡す。まあ気付いたら道に寝てるんだから混乱するのは当たり前だわな。
「痛いところとかない?」
「えぇ、まぁ。でもなんで私こんなところに」
不思議そうに周りを一通り見ると、今度は自分の身体を確認し始めた。そこではじめて自分がブレザーを着ていないこと、そして胴体にタオルが一枚かけられていることに気付いたらしかった。
「ま、まさか、あなたもしかして……」
「……うん、ごめん。汗だくだったからブレザーだけ脱がせたんだけど、そしたら、さ」
会長さんはタオルを胸元でぎゅっと掴みながら、顔を真っ青にした。
「だ、大丈夫大丈夫! 私以外の人には見られてないから。すぐにタオルかけたし。だからそんな気にしないでよ、ね?」
ブレザーを脱がせた時、濡れたワイシャツの下にあったのは下着ではなくて何も包むものがない、じかに見える二つの膨らみだった。咄嗟にタオルを被せたので純さんにもバレてはない……と思う。
純さんも会長さんを気にかけている様子ではあったけど、無理を言って仕事に戻ってもらった。今回は怪我人もいないし刑事事件にはならないだろうということで、応援も特に呼ばずにいてくれた。だから今ここにいるのは私だけだ。
「だ、め。もう……ダメ」
「だ、だから、本当に大丈夫だから気にし」
「そんなこと言って!!!」
生徒会長は涙を浮かべながら私の目を睨みつけてくる。苦しくて痛くてたまらない、そういう顔だ。
「そんなこと言って、あなただって軽蔑してるんでしょう。馬鹿なヤツだ、気持ち悪い、近付きたくない、そう思ってるんでしょう」
「そんなこと」
「そんなことない? 本当にそんなこと言えるの? 私は露出狂なのよ? 場合によっては犯罪者。そんなのを趣味にしてるなんておかしいに決まってるじゃない! おまけに普段は優等生ぶっていい子のフリして。気持ち悪くないわけないじゃない!!!」
はあ、はあ……と肩を大きく上下させて怒鳴った。そうなる気持ちはなんとなく私にも分かる。
怒鳴ったかと思いきや、今度はそのまま背中を丸くしてむせび泣いた。
「まあ、そうかもねぇ」
私の言葉に会長さんは身体をビクッと震わせる。多分問答無用で酷い言葉を浴びせられると思っている。怖いんだろうな。
「確かに、理解されにくい趣味だと思う。気持ち悪いって思われることも、絶対にあると思う」
「ほら、やっぱりそうじゃ」
「私もいっぱい言われたことあるよ、気持ち悪いって。近くに寄るだけで煙たがられることもあった」
そう言うと、会長さんはやっとまともに私の顔を見てくれた。私は涙の跡が残るその顔に精一杯の笑顔を向ける。
「でもね、それってどんな趣味も同じなんだと思う。例えば電車が好きな人っているじゃない? あの機械がどうだ、とかなんとか系がかっこいい、とか。そういうのも見る人が見れば気持ち悪いし、変だと思われると思うんだ」
話しながらゆっくり近寄って、小さな背中に手を当てた。会長さんはもう、その手を振り払ったり、睨みつけてきたりはしなかった。
「だからね、自分の趣味を否定する必要はないと思うの。自分がそれを心から好きなんだったら、誰が何と言おうが好きでいていいんだよ。不安なら私が保証してあげる」
「で、でも、私がやってるのは犯罪で」
「別に会長さんは他人に見せようとしてるわけじゃないでしょ。むしろどこぞの芸人みたいに『見つかりそうで見つからないドキドキ感』が目的なんでしょ? わざとみせようとしない限りは公然わいせつは適用されないって、知り合いの警察の人が言ってたよ」
これだけはちゃんと、さっき純さんに聞いておいた。純さんも化け物の言うことから会長さんが露出狂であろうことは薄々気付いてたと思うけど、詳しいことは聞かずに教えてくれた。そういう気遣いができるあたり、純さんは信頼できる大人だと思う。
「そう、なの」
会長さんは既に丸まっていたのにさらにへなへなと体勢を崩した。よほど「犯罪をしている」ということと「変だと思われる」と考えることが重圧になっていたんだろう。今まではそれを一人で全部抱えてたんだろうな。
私は会長が沈黙している間、黙って背中をさすり続けた。
「……私の父はね、区議会議員なの」
ちょっと間を置いてから、会長さんが自分から口を開いた。
「そうなんだ。有名人だね」
「父は怖い人ではないんだけど、でも肩書だけで私にはいつもプレッシャーだった。失敗は許されない、常道を外れるのは許されない、そう言われてる気がして」
親からのプレッシャー。それって子供が誰しも一度は感じるものだと思うんだけど、自分の親が政治家だとしたらそのプレッシャーはどうなるのか。私には到底、想像も及ばない。
「だから私は必死に優等生でいようと努めてきたし、親や周りの期待にはできる限り応えようとしてきた。結果としてそのほとんどには応えることができたと思う」
「すご、やろうと思ってもなかなかできることじゃないよ」
世の中、やろうと思ってもできなくて苦しんでいる人はたくさんいる。やろうと思ってできてしまう人のことを、世の人は「天才」と呼ぶ。
「でもね、中学に上がった辺りから思ったの。それって本当の私なのかなって。いっつも他人の言いなりで、自分で何かを選んだことなんてそれこそただの一度もなくて。私は何のために頑張ってるか分からなくなってしまって」
他人の言いなりか。あまり考えてはこなかったけど、実際、私を含めほとんどの子供が、気付かない内に親の言いなりになって動いてるんじゃないかな。
それにただ一人気付いてしまった孤独感っていうのは、多分計り知れない。
「そんな時、一度だけ洗濯に出すのを忘れて、ベストを学校に着ていかなかったことがあったの。当然、ベストなんて目立たないから、校則で決まっているとは言っても誰にも注意はされなかった。気付かれなかった。その時にふと、『どこまでならバレないんだろう』って気になったの。比喩とかではなく、夜も眠れないくらい好奇心でうずうずしてた」
「自分で興味を持ったんだね」
「そう。はじめはそれこそベストを何回か着ていかなかったり、校章バッジをわざと外していったりしてるだけだったんだけど、途中からなんだか楽しくなってきてしまって、いけないと頭では分かってるのに、体育がある日以外は毎日下着をつけないで学校に行くようになってしまったの。でも、それがたまらなく楽しくて。下着をつけてない間はプレッシャーだとかそういうしがらみから解き放たれて、自由になれた気がしたの。自分でいられてるって、そう感じられたの」
そう語る会長さんの横顔は、とても楽しそうだった。心からそれが好きなのだと、誰が見ても分かる顔。
「ちなみに、昨日河川敷にいたのもそれと関係ある?」
「え、えぇ。意外にあなた鋭いのね」
私が鋭いだなんて言ったら多分世の中の全員が鋭いことになると思いますよ会長。
「あそこ、広い割にあまり人通りがないでしょう? だから、ちょっとムズムズした時はあそこに行って、誰にもいないところでスカート、たくし上げてたの」
「へえ。いい趣味してる」
「いい趣味ではないと思うけれど……」
今度それに同行させてもらえないかな。女の子がそういうことしてるって情報だけでもうおなか一杯なのに会長みたいな美少女がやってたら見てるだけで勝手に魔法少女に変身しそう。
「でも、こんな話したの、あなたが初めてよ。本当に受け入れてくれてるみたいだし」
「そうなの? それはちょっと嬉しいかも」
美少女の「初めて」をもらっちゃうなんてぇ、なんてハレンチなのかしら♡
「あ、そうだ。それでね、なんで会長さんがここに倒れてるかって話なんだけど」
露出談議のせいで忘れてたけど、経緯を説明しておかなきゃ本人も釈然としないだろうし。
「魔法で操られて化け物に?」
「そう。露出は許さんーってすごい勢いで突撃してきてさ。それって、多分会長さんの心の叫びだったのかもしれないなって、さっき思ったよ」
「心の叫び、ね」
会長さんは私からブレザーを受け取るとさっと羽織った。なんというか、見られないようにする所作を完璧にマスターしてる感じ。毎日ノーブラっての、まじなんだなあ。
「あなたが話すと、意味の分からない話も真実に聞こえてくるわね」
「意味の分からないだとお? ほんとだからなー、証人の警察官連れてこようか!」
「必要いらないわ。私はあなたのことを信じる。助けてくれてありがとう」
あわわ、急に直角で礼なんて、相手が上品すぎるとどうやってふるまえばいいのやら分からなくなるわ。えーと、ごっつぁんです?
「あ、それから、一つだけ聞いてもいいかな」
「ええ、私に答えられることなら」
「化け物になる前、つまりここで目が覚める前の記憶ってある?」
これは純さんが職務に戻る代わり、聞いておくように頼まれたことだ。被害は大きくなかったとはいえ、黒幕の正体は探っておかなければならない。
「えぇと、さっき言ったように河川敷にはそういう理由で来たの。でも、ここに着いてから何があったのかは、申し訳ないけど覚えていないわ」
だよなあーーー。そんなに簡単に犯人が分かれば苦労しないわ。
「分かった。ありがとう」
「それじゃあ、そろそろ日も傾いてきたし、帰りましょうか。あなた、名前は?」
「あ、ユリです。浜崎ユリ」
「ユリさんね、覚えておくわ」
生徒会長に名前覚えられちゃった……。これからはあんまし変なことできねえなこりゃ。
「じゃ、帰りましょ。気を付けて帰りなさいね」
「うん。会長さんも気を付けて!」
会長さんは背を向けてスタスタと歩き出した……かと思ったら不意に足を止めて長い髪の毛をなびかせながら顔だけこちらに振り向いた。
「せいらでいいわ」
「へ? せ、せいら、さん?」
名前で呼ばれるとせいらさんは満足そうに眼を細めると、また前を向いて川沿いの道を帰っていった。
……せいらさんか。遠い存在だと思ってたけどまさかこんな風に話す日が来るなんてね。これからもっと仲良くなれるといいなぁ。
……成績融通してもらえるかもしれないし。
※ ※ ※
両脇に曲線を描くように作られた階段があり、三階まで吹き抜けになった応接室。このお城の一室のような場所で一人、私はソファに座っていた。壁にある巨大なステンドグラスは今の時間はまぶしくて直視できない。
「待たせたわね」
声がして振り返ると、パンツスーツ姿の女性……私のお母さんが扉を開けて部屋に入ってくるところだった。その手にはいつもの小瓶。
「お母さん、せっかくのお母さんの魔法だったのに」
すぐに向き直って頭を下げた。頭を下げたってどうにもならないのは知っているけど、これくらいしか謝罪の気持ちを表せる行動を知らなかった。
「『あの子』たちが二匹とも負けたんだってね、『魔法少女』に」
「魔法、無駄にしてごめんなさい」
なおも謝ると、肩をポンと叩かれた。顔を上げるとお母さんは困ったように眉をハの字にして笑っていた。
「あなたは何も悪くないわ。むしろ謝らなきゃいけないのはお母さんの方。こんな変なことを何度も頼んでしまってごめんね」
「ううん、変なことなんかじゃないよ。だって私のためなんでしょ? 私のために必要なことなんでしょ?」
興奮する私の頭に、お母さんはしなやかな手をゆっくりと乗せた。昔から私がべそをかくとすぐにこうして頭をなでてくれるんだ。
「そうよ。これはあなたが苦しい思いをしないためなの。だから、もう少しだけお手伝いしてね」
「もちろん」
私が目を見て即答すると、満足そうな顔をして立ち上がった。お母さんが笑ってくれるなら、私はなんでもできる。……人を傷付けることであろうとも。
「それと、別に『あの子たち』が倒される分には構わないわ」
お母さんはテーブルの上に置いてあったスノードームを手に取って傾けながらそう言った。
「そうなの?」
「魔法少女とやらが現れたのは正直驚いたけど、あの子たちの役割は『騒ぎを起こして女性差別を認知させること』。既に警察や一部メディアでも取り上げられてるし、無駄にはなってないわ」
そうなんだ。やっぱりお母さんは頭がいい。私なんかより全然先のことが見えてるし、安心して信じることができる。そんなお母さんが私は大好きだ。
「そういうわけだから、引き続きお願いね」
「うん、任せて、お母さん」
お母さんは瓶を私に手渡すと、携帯で秘書と通話をしながら慌ただしく出て行った。こんなに忙しいのに常に私のことを考えてくれているんだ。そう思うと俄然やる気が湧いてきた。
私はお母さんに頼りにされてるんだ。私も頑張らなきゃ。私にはお母さんしかいないんだ。お母さんには私しかいないんだ。
受け取った三個目の小瓶を持つ手に、自然と力が入った。
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