第4話 シベールとの散歩

都心からかなり離れた郊外の、ある駅からバスで25分揺られた終点から、さらに歩いて6分、そんな田舎にわが家はある。通勤、通学にはとても不便な場所で、そこに小さな一軒家を買った時、私は「東京の果て」に来てしまったと感じた。


給料は安いし、こんな果てに家を買うことになったのは仕方なかったのだが、妻はポジティブ思考を働かせ、この地での生活を楽しむことになる。

不便ながらも、逆にいい所もあったのだ。

それは何と言っても山村に来たような自然の豊かさだ。


家から5分も歩くと視界がすっかりひらけ、畑が広がり、遠くにぽつん、ぽつんと建つ洋風の家や山小屋風の建物が見渡せる。歩いてみると、小鳥がさえずり、木々の緑や、遠くの小高い山々が、日々の喧騒に疲れた心と体 を癒してくれる。森の中をハイキングする人もいれば、テレビドラマのロケ地にもなった洒落た喫茶店もある。

そんな美しい風景を我が物のように楽しめるのは、こうした場所ならではの良さだと思う。思わず絵の一枚も描きたくなるような風景だ。


ゴッホが絵を描いたアルルという地方には行ったことがないし、こんな風に自然豊かな土地であったかも分からないのだが、まさに″プチ・アルル〝(小さなアルル)だ、と、この風景を妻と見て、私は満足したのだった。

妻は仕事がない日、シベールを連れてよくここを散歩した。シベールというのは愛犬であるコーギーのメスの名前で、ご存知の方も多いと思うが、古いフランス映画「シベールの日曜日」からとったものだ。いくらなんでもキザだな、と思いながらもとても気に入っていた。何より私も妻もこの映画が好きだったということもあるが、シベール(Cybele)は、映画の最後の方でハーディ・クリューガーという俳優が呟くsi bell(とても美しい)という言葉と語呂合わせができる。

その名の通り、シベール(愛犬のほう)はとても綺麗な顔立ちをしており、毛並みもよく、散歩をしていると「うわーかわいい」などと通りすがりの人によく言われたものだった。


妻は外国人だから、異国で、母親を亡くした時も、父親を失った時も、シベールを連れてこのプチ・アルルを散歩し、悲しみを少しずつ癒したのだと思う。

そのシベールが、ひと月ほど前に癌で亡くなった。12歳だった。私も、妻も、一人息子も、深い悲しみに沈んだが、とりわけ情の深い妻は悲しかったに違いない。


もうコーギーを連れてプチ・アルルを散歩する妻の姿を誰も見ることはない

最近は季節も良くなり、木々も紅く色づき始め、ますますあたりは美しさを増しているが、その風景は、今は妻にシベールを思い出させるだけのものでしかない。

妻も少しずつ元気を取り戻してはいるが、美しい風景も、時には悲しい思い出に変わることを、シベールの死は教えてくれた。

それでも私たちはここに住み続けるだろう。そして、また、妻とプチ・アルルを散歩する時が来るだろう。

それまでは、時の流れだけが妻の薬である。

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