第178話 剣聖

 ベンが語ってくれたエピソードは、ベンジャミンという男がこれまでに歩いてきた人生の軌跡であった。


 剣聖との出会いに特別なエピソードはなく、普通に客として工房にやってきたのがきっかけだったらしい。


 剣聖はベンの父親が作る武器を気に入り、鍛冶師であるベンの父親と意気投合。


 すでに老齢に差し掛かっていた剣聖と、働き盛りの30代であるベンの父親。親子ほど年の離れた二人であったが、不思議と気が合ったそうだ。



 剣聖は晩年、戦いの無くなったアスラート王国で無気力に暮らしていた。


 アスラート王国はメガド帝国と関係性を深めることで、少国家群の他国に攻められることがなくなったのだ。


 経済的属国になった代わりに、多くの利益と圧倒的な後ろ盾を手にしたアスラート王国は平和を享受した。


 そして、救国の英雄や戦鬼と称され、多くの絵本や劇の題材になった剣聖を持て余すことになる。


 平和な時代に、圧倒的な戦力を持った個人は歓迎されない。使いみちの無くなった強力なコマを、宮廷雀たちはうとんじた。


 剣聖は無用の長物と化したばかりか、強い影響力を有している。国のため、長年命がけで戦った剣聖に対して敬意を払う人間は多い。


 子供の頃に憧れた、絵本や劇の主人公である剣聖。その憧れを大人になっても持ち続ける貴族も存在する。


 剣聖に権力欲は薄かったが、その影響力を無視する訳にはいかないレベルになっていた。


 さらに、剣聖に絶大な信頼を置いていた国王が崩御。新しく王へと即位した王太子は、影響力の強い剣聖へ危機感を覚えた。


 先代の王と剣聖には強い絆があったが、新しい王は剣聖には絆など存在していない。剣聖がクーデターでも起こせば、簡単に成功するだろう。


 また、王族でも平気で諫言をする剣聖を新王は苦々しく思っていたのだ。


 新しい王や宮廷の権力者たちにうとまれた剣聖は、長年住んでいた王都から追い出されることになる。


 名目上はアスラート王国の要地であるトゥロン。そこの騎士団を鍛えて欲しい、後進を育成して欲しい。それが表向きの理由であった。


 政治には疎い剣聖ですら理解できる左遷。政治の中枢である王都から、剣聖を追い出そうとする意図が透けていた。




 トゥロンは確かに国の要所である。


 しかし、アスラート王国で最も安全な町だ。港にはメガド帝国の船舶が数多く停泊しており、町には多くの帝国人が暮らしている。


 そんな場所を攻撃する愚か者はいない。超大国であるメガド帝国と敵対すれば、少国家群の国など一溜ひとたまりもないからだ。


 トゥロンに剣聖を送るのは、王の仕打ちに不満が爆発した剣聖が決起したとしても、メガド帝国なら容易く反乱を抑えられると考えてのこと。


 アスラート王国最強の剣聖といえど、超大国メガドと争えば簡単に殺されてしまうだろう。




 全てを悟った剣聖は、王の勅令を静かに受け入れた。


 疎まれるばかりか、反乱を起こす心配までされていると知った剣聖は絶望したという。


 危険なモンスターや敵国の侵略から命がけで国を守り、自分からその見返りを求めたことは一度もない。


 その結果が、王に疎まれての左遷である。


 失意のまま、僅かな武具と兵法書だけを荷物に剣聖はトゥロンへと向かった。


 いつまでも嘆いていては仕方がない。トゥロンでしっかり後進を育成しよう。決意を新たにした剣聖は、トゥロンの町で再び絶望することになる。




 赴任したトゥロンの騎士団はすっかり腑抜けていた。最強の後ろ盾と平和な日々が騎士団を腐らせたのだ。


 実力主義だった騎士団は、爵位と家柄の優れた人間が能力もないのに出世してふんぞり返っているありさま。


 ぬるい環境に甘やかされた騎士たちは、少し厳しく稽古をすると実家に泣きつき実家経由でクレームが入るというていたらく。


 直接本人に文句をいう気概すらないのかと、剣聖は唖然としたそうだ。


 剣聖は完全にやる気を無くし、無気力になってしまった。


 そして、最後は戦って死にたいと願うようになる。


 森の奥に生息する高レベルのモンスターに挑み戦いの果てに散ろう。そう考えた剣聖は、モンスター用に最高の武器を欲した。


 剣聖は様々な鍛冶師を巡り、そのときベンの父親と出会ったそうだ。


 剣の打ち合わせをやっている間にふたりは意気投合。友人を得たことで死ぬのが馬鹿らしくなった剣聖は、死ぬことを止めた。


 そして、ベンたちの家にちょくちょく遊びに来るようになる。




 この一連の話は、酔っ払った剣聖が苦笑いしながら話したことらしい。


 その話を聞いた俺も、思わず苦笑いを浮かべてしまった。


 王でも社長でも、トップが変わればまず行われるのが先代に仕えていた重臣の粛清だ。


 自分の権力基盤を固めるため、権力の強い旧家臣団を粛清。さらに、空いたスポットに自分の親族や手下を送り込んで地盤を固める。


 いつの時代も、どの場所でも行われるありきたりな行為。


 それが、剣聖と呼ばれる人間に降りかかるとは。


 剣聖という中二心をくすぐる称号を持った人物も、現実の生々しい権力闘争に翻弄されてしまう。


 現実が強すぎて、夢が簡単に破壊されるなぁ。そりゃ、自然と苦笑いが浮かぶってもんよ。


 俺がそんなことを考えている間にも、ベンの語る剣聖とベンの物語は続いていく。




 剣聖は弱みを作らないため、家族を持たなかったそうだ。


 だから、ベンやエマさんを自分の孫のように可愛がった。


 ベンが剣術を習う年齢になると、剣聖自ら剣術の指導をしてくれたそうだ。


 そして、剣聖はベンの才能に気付く。


 騎士団が腑抜けていたためできなかった、後進の育成。くすぶったままの剣聖の情熱が再び燃え上がった瞬間だった。


 剣聖は惜しむことなく自らの技術を伝え、ベンはその全てを吸収していった。


 ベンはそのまま剣聖の弟子として騎士になる予定だったそうだ。エマさんにお婿さんを迎えて、その人に鍛冶師を継いでもらう予定だったとか。


 ところが、ベンとエマさんの両親を不幸が襲う。


 代替わりしたトゥロンの領主に、即位式で着る儀礼用の鎧を発注されたことがきっかけだった。


 今までの実用性を重視した地味で重厚な鎧から、ド派手でハッタリの利く鎧に変えたいという依頼であったそうな。


 ベンの両親は、その鎧に使用する特殊な鉱石を直接取りにいった。


 そして、鉱山町で発生していた疫病にかかってしまう。疫病で死んでしまったベンたちの両親は、遺髪すら取られず火葬されてしまった。


 深い悲しみに暮れる暇もなく、困難が二人に襲いかかる。


 剣聖と仲良くしていたことが原因で、剣聖に反感を持った貴族たちに目を付けられたのだ。


 鍛冶師が死んでしまったことで、鎧の制作はキャンセルになるのが普通であろう。


 しかし、一度受注したものはしっかり納品しろ。そちらの事情など知らぬ。領主側はそう主張したのだ。


 明らかな嫌がらせであり、その対象はベンたちの後ろにいる剣聖に向けてのものであった。


 憤慨した剣聖が単身領主の住む城にカチコミを掛けようとするのを必死に止め、ベンは父親の仕事部屋。鍛冶場へと足を踏み入れた。


 剣聖も、ベンの家族であるエマさんも。あるいは、ベン本人でさえしらなかった事がある。


 剣聖にもその剣の才能を認められたベンは、剣の才能を凌駕する『鍛冶の才能』があったのだ。


 基礎的な技術はすでに身につけていた。幼少期から父親に鍛冶仕事を叩き込まれていたからだ。凡百な鍛冶師など、すでに凌駕する技術は身につけている。


 ベンは工房内にある素材。それこそ、完成品の鎧すら材料とみなし鎧の制作を開始した。


 ベンは鍛冶仕事が好きでも嫌いでもなかったそうだ。物心がついたときから当たり前のようにある存在。


 あまりにも生活に密着したソレは、刺激たっぷりな剣の修業に比べてひどく退屈であった。


 しかし、自分主導で自由に『ものづくり』ができる環境になってベンは気付いた。


 楽しい。何かを作り出すのは、こんなにも楽しいのか……と。


 師である父がおらず、特別な材料もない状態でベンは最高の鎧を作り上げた。


 ベンは父親に叩き込まれた優れた鍛冶の技術と、クリエイティビティを持ち合わせた鍛冶の天才だったのだ。


 鎧の素晴らしい出来栄えに誰も文句が付けられなかった。もちろん、無理やり難癖をつけることはできる。


 しかし、親友の死をくだらない政治の駆け引きに使われた剣聖がソレを許さなかった。


 怒りに目を血走らせた剣聖は、左遷されて無気力になった哀れな老人ではなく、戦場で数々の強敵を屠った戦鬼の姿を皆に思い出させた。


 こうして、鍛冶の才能を開花させたベンは父親の後を継ぐことになったのだ。


 剣聖の内心はわからない。自らの技術を継承する存在であるベンが、剣の道を諦めることには複雑な思いがあったはず。


 それでも、剣聖はベンを快く送り出した。


 以前のように近い距離では、また政争に巻き込まれるかもしれない。そう言ってベンとエマさんから少し距離を置いていたらしいが、それでも影からずっとふたりを見守ってくれていたそうだ。




 ふたりの立場が安定したのを待っていたかのように、剣聖は数年前に亡くなった。


 剣と戦いに狂い、国と親友の忘れ形見を守り抜いた男。彼の晩年は不遇であったが、最後まで何かを守る生き様を貫いた。


 かつては戦って死にたいと願った剣聖だけど、彼の本質は守ることにあった気がする。


 国と孫とも言える親友の子どもたちを守りきった生き様は、剣聖の名に相応しいと心から思う。


 俺のような凡人に褒められても嬉しくはないだろうが、心からの敬意と冥福を。




 いきなり領主が注文した鎧を作ることになったベンもハードな状況だったが、エマさんはもっと大変だった。


 ベンより若かったエマさんは、かろうじて基礎を学び終えた状態で師を失ってしまう。


 習った基礎的な技術と、技術を盗まれないため暗号で書かれた解読不能な母の手記。そして、工房に僅かに残された形見とも言える作品。


 エマさんは形見の作品を師に、研鑽を続けてトゥロン最高の革職人にまで上り詰めたのだ。


 エマさん本人は、職人の修行より暴走するベンの面倒を見る方がよっぽど大変だと笑っていたけど。



 剣聖とベンの関係性。ベンとエマさんの歩んできた人生。人に歴史ありと言うが、ふたりとも中々に濃い人生を歩んでいる。


 人に恵まれた部分もあるだろうが、苦難にもめげず職人としての才能を開花させたふたりには尊敬の念を抱かずにはいられない。


 そして、そんな素晴らしい職人に装備を作ってもらえる。そのことに、俺は改めて感謝した。

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