第132話 優しさはときに残酷

 工房地区の近くには、工業製品を販売する店舗が多数存在している。


 高級品は北地区の貴族街にある店舗へ行くため、売っているのは一般向けの商品だ。


 一般向けだから品質が悪いといったわけではなく、華美な装飾などがついていない実用的なモノが多い。


 数ある店舗のなかでも、一般向けにしては高級そうな店を選んで入る。大金が浮いたので、多少贅沢をしても構わないだろう。


「いらっしゃいませ」


 店に入ると、落ち着いた声が耳に届いた。


 清潔感のある店内。装飾は地味だが、明らかに質のいい商品棚。上品で落ち着きを感じる店の雰囲気。


 鼻の下にヒゲを生やした『THE老紳士』といった風貌の店主が、柔らかく渋い声で来店を歓迎してくれた。


 貧相な身なりの俺に嫌な顔ひとつせず、丁寧に対応してくれる。この店は『当たり』かもしれない。


「何かお探しでしょうか?」

「ブラシを探しているのですが、おすすめはありますか? 多少値が張ってもいいので、品質のいい商品が欲しいのですが……」


 俺のリクエストを聞いた店主は、カウンターの後ろにある棚からブラシを取り出す。


 一瞬。


 普通の人間なら気付かないほどの僅かな時間。


 前世で武術を学び、こっちの世界で命のやりとりを繰り返してきた俺だからこそ気付けた視線。


 この店主……。


 ブラシと聞いた瞬間、俺の生え際を確認しやがった! 客に不快感を与えず、相手の『頭の様子』をチェックしたのだ、あの一瞬で……。


 この男、できる。


「こちらの品など、いかがでしょうか?」


 店主が紹介してくれたブラシは、大泥猪 《ビッグ・クレイボア》の毛を使ったブラシだった。


 固くしなやかな大泥猪 《ビッグ・クレイボア》の毛を職人がなめすことで柔らかさとしなやかさを両立したブラシになっている。


 植え込まれた毛の密度は低めで、髪に負担を掛けずにやさしく髪を整えてくれる一品とのことらしい。


 M字の俺にぴったりな商品である。


 店主の気遣いはありがたい。


 貧乏そうな身なりの俺がブラシに大金を出す。


 頭皮や髪へダメージが甚大になり、断腸の思いでブラシに大金を出す決意をしたと判断したのだろう。


 後退を続ける生え際。いや、前進を続けるおでこを見て一瞬で適切な商品を選んだ腕には感服仕る。


 しかしである。


 これ、俺のじゃねんだわ。


「あの、もう少し毛量が多くてしっかり目のブラシはありますかね?」

「ございますが、当店でお客様に一番ふさわしいブラシはこちらだと胸をはっておすすめいたします」


  店主の発言を押し付けがましいと思うか、プロ意識の高さからくる行動か。どう感じるかは人それぞれではある。


 ただ、俺は今ものすごく気まずい。


 頭皮のやべぇハゲにおすすめの商品これね! 絶対いいから! これで間違いねぇから! と、すすめてくる人に、俺は確かにハゲだが、そのブラシは俺用じゃねぇ! と言わなければならないからだ。


「あの……お気遣いは本当にありがたいのですが、ブラシは自分用ではなくてですね……」


 俺が気まずげに言うと、店主は顔色ひとつ変えずに「左様でございましたか、失礼いたしました」。そう言って新しいブラシを持ってきた。


 新しいブラシも大泥猪 《ビッグ・クレイボア》の毛使った商品だったが、部位が違うのか硬めの質感だった。


 値段を聞くと、払える金額だったので購入することにする。


 プレゼント用に包むか聞かれて気付く。


 そうか、自分で使わないということはプレゼント用と判断されたのか。


 硬めで毛量の多いブラシ。髪の長い女性へのプレゼントだと思われたに違いない。


 ここで断って変に思われるのもアレなので、綺麗に包装してもらうことにする。


 パピーへのプレゼントと考えれば、別におかしいことじゃない。


 店主が包装を終えた後、会計になる前に俺は言った。


「さっきのブラシ、自分用に買うのでください。包装はして頂かなくて結構です」


 俺がそういうと、店主はにっこり笑いながら「お買い上げ、ありがとうございます」と、優しげな声で言った。


 その視線は、俺でなきゃ気付けないぐらいの速度で一瞬だけ頭のM字に向けられていた。

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