第130話 皮なめしはドラム式
防具の材料になる革。革は生物の皮をなめしたモノを指す。
人類は旧石器時代と呼ばれる太古の昔から、毛皮や革を利用してきた。
生き物から剥いだ皮は腐りやすく硬い。衣服として加工するため、人類は皮をなめすことを覚えた。
噛む、叩く、揉む。物理的な刺激でほぐす原始的なやり方から始まり、そこから様々な方法が生み出されることとなる。
煙で燻すくん煙なめし。油やタンニンなどを使ったなめし。変わったところでは、鹿の脳漿を使った脳なめしなどがある。
なめし技術は時代と共に進化し続け、現代の主流はクロムなめしになっている。
なぜクロムなめしが主流なのか? その理由はなめしが完了する時間が圧倒的に短いからだ。
タンニンを使った皮なめしは、早くとも一か月。こだわって作れば数か月はかかってしまう。
ところが、クロムを使ったなめしは最短で一日。かかっても数日という圧倒的な速さで皮なめしが終わる。
皮を回転するドラムに入れ、薬剤を浸透させながら処理することで今までの製法とは比べ物にならないほど短時間で皮をなめすことができるのだ。
正直、おぼろげな記憶を頼りに語る雑な知識に価値があるのかは分からない。
しかし、ダメ元で言ってみてもいいのではないだろうか? 知識に価値を認められなくても、俺にはなんのデメリットもない。
少しでも金になればラッキーぐらいの感覚で、少し大げさに話してみるとするか。
「金はないが、知識はある。正確には覚えていないが、役に立ったら値引きをしてくれないだろうか?」
俺の発言を聞いたベンが、面白そうにこっちを見て言った。
「ふーん。自慢じゃないけど、僕とエマはこの町で一番の職人だよ。その僕に知識を、しかも金貨数百枚分の価値がある『秘伝』を教えてくれるっていうのかい?」
ベンはおどけながら、それでいて少し不快さを滲ませながらまっすぐこちらを見ている。
彼の職人としての矜持を刺激してしまったらしい。
不味いことになった。中途半端な知識を披露しても、ベンを怒らせるだけかもしれない。
ただ、今さら引くわけにはいかない。俺は動揺を隠しつつ、なるべく自信満々に見えるように言った。
「ドラムなめしと呼ばれる方法がある。その方法を使えば、なめし時間を短縮することが出来るんだ」
「短縮? どのぐらいだい?」
「なめし剤によっては、たった一日で皮なめしが終わる」
「巫山戯るんじゃないよ! たった一日でなめしが終わる訳ないだろ!」
「エマ。まずは話を聞いてからだって言ったよね?」
「でも、兄さん。こんな与太話」
「エマ! 話を聞いてからだよ。いいね」
「……分かったわ、兄さん」
この二人、エマさんが主導権を握っているようで、実はベンが握っているみたいだ。エマさんより、ベンを説得した方が良さそうだな。
俺はドラムなめしの方法を説明した。そして、説明しながら改めて思った。やっぱり、この不完全な知識で金を取ろうとか無理じゃね? と。
アイディアは確かに重要だ。
だけど、それ以上に必要な物が決定的に不足している。具体的なデータが全く存在していない。
どれだけアイディアが優れていても、それを実用段階に持っていくのは恐ろしく労力が掛かる。
機材を揃え、労力を使い、時間を掛けてデータを蓄積させる。
そして、誰がやっても同じ結果になるよう再現性を持たせて初めてアイデイアは金になる。
知識は出す。機材への投資と検証はそっちでやれ。これで『金貨ください』だ。
舐めてんのか? って話だよな。
自己修復が欲しすぎて、まともに頭が回っていなかった。言うだけタダとか、アホなことを考えてしまった。
俺自信にデメリットはなくとも、相手の心象を損ねることで俺にデメリットが生じる可能性は十分あったのだ。
自動修復というパワーワードに目がくらみ、まともな判断ができていなかったようだ。
俺は焦りが顔にでないように気をつけながら、なんとか説明を続ける。
こうなったら、金持ちベンの気まぐれに掛けるしかない。
技術の秘匿が当たり前の世界では、断片的な知識やアイディアでも価値が高いはず。
このままアイディアが却下されても、二人を怒らせても仕方ない。
今さら後には引けないのだ。駄目で元々。気楽に行こう。
そう思うと、背中にびっしり掻いていた汗が引いた気がした。心の持ちようって大事だね。手に入らないのが当たり前だと考えたら、少し気が楽になった。
テレビ番組で見た、おぼろげな知識だった。改めて人に説明していると、どんどんと思い出すことがある。
その度、自分の知識がいかに不完全かを理解する。
必要な物の名称は分かっても、それが何なのかがさっぱり分からない。
まず、クロムが何者なのか分からない。そして、マスキング剤という物質がいるのだが、それが何かも分からない。
なめし剤を温める必要もある。温めるのは、反応を促進させるためだ。温度が上がることで反応が促進される。
底辺高校出身の俺でも、聞いたことがあるぐらメジャーな知識だ。
そして、促進させた反応を安定させる必要がある。そのために使うのがマスキング剤。だが、この物質が何者なのかさっぱり分からない。
『何の物質なのか分からないが』という言葉を話すたび、自分の見込みが甘かったことを痛感させられる。それでも、俺はなるべく堂々と話す。
細かい交渉のテクニックなど知らん。堂々と自信満々に話せばなんとかなるはずだ。派遣で飛び込み営業をやったときも、堂々としていろと教わった。
俺は自信満々を装いながら、ドラム式なめしの説明を終えた。
腕を組み、思案していたエマさんが口を開く。
「樽を回転させてなめし剤を浸透させる。確かに理には適っているかもしれない」
「それじゃあ!」
「でも、大きな問題がある」
喜びの声を上げる俺に食い気味でエマさんが言葉をかぶせてきた。
「不鮮明な部分が多すぎる。適切な回転速度、温度、なめし剤の種類、安定剤。これらが全て不明だと、実際に試して出来るのかも分からないよ」
何も言い返せない。全くもってその通りだ。
「それに、悪いけどヤジンさん。アンタの職人としての信用度が全くない。そんな素人の戯言に金貨二百枚は出せない」
やっぱりダメか。ダメ元とは言え、少しへこむなぁ。自己修復、付与したかったなぁ……。
「だけど、新しいなめし方法のひとつを教えてくれた。そのことはありがたいと思っているよ。実際にモノになるかは、試してみないと分からないけどね」
本当に皮をなめす時間が短縮されるかは分からないけど、なめし方のバリエーションが増えたことは評価できると……。
「そうだね、今提供してくれた技術の対価に金貨五十枚分値引きするよ。付与魔法は時価だからいくらになるか分からないんだ。運が良ければ金貨百枚で付与できることもある。それなら、ヤジンでも払えるんじゃないかな?」
もし付与魔法が最安値なら、全部込みで金貨百五十枚用意すればいいってことか……。
そのぐらいなら頑張れるだろ? ってことかな。
こんな不完全な知識で、金貨五十枚もの大金を値引きしてくれるだけでもありがたい。
知識の対価ってだけじゃなく、最初に話を聞かずエマさんが怒鳴ったことに対する罪悪感があるのかもしれない。
ベンが値引きしてくれたのは、知識の対価よりエマさんの気持ちを思いやってのことが主な理由な気がする。
いい兄ちゃんしてんじゃないか、ベンの野郎。
最初は懐疑的だったエマさんも説明を聞いていたときは、そんな方法が! と、びっくりしていた。
革職人としての矜持とは別に、理にかなっているならあり得るかもしれないと柔軟な思考ができている。それがエマさんのすごいところだ。
既得権益をガチガチに固め、停滞を好むこの世界では珍しいタイプな気がする。だからこそ、若くして街一番の職人と呼ばれているのかもしれない。
しかし、金貨百五十枚か……。
虎の子の宝石を売って、装備が出来るまで死にものぐるいで働けば用意できるかもしれない。
ただ、リスクが高い。余裕のないスケジュールは事故につながる。
それに、付与魔法が最安値である保証もない。あらゆる幸運が重ならないと不可能だ。
こちらの世界のリスクは命に直結する。悔しいが諦めるしかない……。
俺が諦めようとした、そのとき――。
「ねぇ、ヤジン。他にも何か知っているよね? 今の技術で金貨五十枚。ほら、もう少し頑張って全額分値引きさせちゃいなよ」
ベンが突然そんなことを言い出した。
「ちょ、兄さん何言っているのよ」
「エマは気付かないのかい? ヤジンの容姿はアレだけど、明らかに教養がある。冒険者とは思えないぐらい丁寧にしゃべるし、知識も豊富だ」
エマさんは『確かに』という表情をして、ジロジロと俺を見る。
「冒険者の過去を尋ねない。暗黙の了解だから詳しくは聞かないけど、容姿といい明らかに『普通じゃない』よ。だから、もっと色々知っているんでしょ?」
ベンが無邪気な顔をして聞いてくる。
俺は人を見る目がない。まったく嫌になる。ぽやんとした技術馬鹿だと思っていたが、食えないやつだ。
しかし、全額分の知識とは無茶なことを……。
ただ、これはチャンスだ。他にも技術が提供できれば、自己修復に手が届く。問題は、俺の残念な脳にろくな知識がないってことだ。
どうしたもんか……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます