第04話 野人化

 この世界に来てから、三か月経った。


 森に順応した俺は、完全に野人と化していた。


 今は、匂いを消すためと虫除けのため全身に泥を塗っている。


 黒曜石っぽい石のナイフと、ナイフで尖端を尖らせた木の棒を武器として装備。


 服は木の皮の腰蓑こしみのから、嚙んでなめした動物の皮にバージョンアップしている。


 ゴブリンの耳を置いておいた場所にねずみが入り食べられたので、乾燥したゴブ耳を細い木のツタを通してネックレスのように首からかけることにした。


 体に巻き付けた動物の皮とゴブ耳のネックレスと合わさり、蛮族感が半端ない。


 レベルが上がったことで身体能力も上がり、野生動物も簡単に捕まえられるようになった。


 最初は火を通していたのだが、加熱するとビタミンが破壊される。


 大自然でのサバイバルが長期間になると確定した今は、寄生虫などがいないか薄く細かくスライスした肉をよくチェックして生で食べたり、新鮮な血液を飲んだりしている。


 ビタミンやミネラルが不足すると、様々な病気になることはよく知られている。


 そのため、寄生虫や病気のリスクはあるが生肉や血液でビタミンやミネラルを補給する必要があるのだ。


 全身に泥を塗り、石のナイフで動物を解体して生肉を食う。完全な野人である。



 ゴブリンを倒し続けてレベルも八に上がった。


 干し肉は最初はうまく行かなかったのだが、森で激辛トウガラシを見つけ肉に刷り込んでみたところ、殺菌効果があるのか干し肉を作ることに成功。


 この激辛トウガラシは気付けにも使える。


 移動しながら獲物を探していると、安全な拠点に帰れず眠気が限界になりそうなときがある。


 そんなときに少し齧ると、一発で目が覚める。


 攻撃をくらって意識が朦朧としたときにも使えるので、皮の服の窪みに常備している。


 この謎の窪みが尻穴の残骸でないことを祈りつつ、トウガラシの殺菌効果を信じているので尻穴でも大丈夫だ。キリッ。


 干し肉とドライフルーツの貯蓄も順調に増えてきた。もうそろそろ、人里を探す旅にでようと思っている。


 ちなみにゴブリンの肉は、とてもじゃないが食えなかった。


 化学薬品のような突き刺さる刺激臭と、舌がビリビリしびれるようなエグみの塊なのでとてもじゃないが食べられない。


 ネズミが食べても死んでいないので、強い毒などはないのだろうが……。


 毒性はなくとも、エグみがすごすぎて体が飲み込むことを全力で拒否するのだ。他の食料が確保できる今、無理にゴブリンを食べる必要はないと思っている。



 レベルが上がったおかげなのか、三か月も野人生活をしているせいなのか、五感が異常に鋭くなった。


 五感が強化され、遠くの気配まで察知できるようになっている。気配察知のスキルでも追加されたのかと思ったが、スキルは増えていなかった。


 人間も元々は野生動物。大自然でサバイバルをすることで、現代生活で鈍った野生動物としての本能が目覚めたのかもしれない。


 

 野生動物はみな勘が鋭い。そうじゃないと食べられてしまうからだ。


 その動物に奇襲攻撃を繰り返すことで気配の隠し方もかなりうまくなった。しかし、隠密スキルなどは追加されなかった。


 スキルの習得は、かなりハードルが高そうだ。



 今のステータスはこんな感じである。


レベル

スキル

唐手


 古いほうの空手かよ。というか、漢字表示できるのね。なんか前回に比べていじり方雑だな、あの野郎すでに少し飽きてきてるじゃねぇか。まったくとんでもない神様だぜ。



 いつものように野生動物の痕跡を探しながら、果実の生る木が群生している場所へ向かっていた。


 すると、ゲギャゲギャとゴブの声が聞こえてくる。見かけるたびに殺してるのに、何処から湧いてくるんだこのゴブたちは。


 いい加減、レベルも上がらなくなってきている。戦うのも面倒臭いからこのまま隠れてやり過ごそうか、そんなことを考えている時だった。


「ぐぉおおおおお」


 腹の底からビリビリしびれるような声だった。ゲギャゲギャ騒いでいたゴブたちは、ピタッとしゃべるのを止め青い顔(本当は緑色だが比喩表現である)をして直立不動になっている。


 森の奥から、何かがこちらにやってくる気配がした。森の奥から姿を現したのは、身長百八十センチメートルほどのガッシリとした体を持つ緑色の戦士だった。


 棍棒しか持っていないゴブリンと違い、粗末な革鎧と錆の浮いたロングソードを装備している。ラノベでお馴染み、ゴブリンの上位種ホブゴブリンかもしれない。


 俺は気配を消しながら様子をうかがった。


 すると、ホブゴブリンが突然ゴブリンに向かって剣を振り下ろした。


「ゲギャアア」

「ゲゲグギャ」

「グゲッ」


 袈裟斬り一振りで、三体のゴブリンが叩き潰された。錆の浮いた剣では斬るというより叩き切るといった感じになり、三体のゴブリンが非常にグロい状態で肉片と化している。


 他のゴブリンは、ブルブル震えながら何もできずにいた。すると、ホブゴブリンが何かを指示し森の奥へと歩いていった。


 残されたゴブリンたちも、ホブゴブリンの後を付いて行く。


 ゴブリンたちの気配が完全に感じられなくなった頃、緊張感から開放された俺はぶはぁと息を吐く。


 緊張のあまり、呼吸を止めてしまっていた。


 ゴブリンの上位種。せいぜいちょっと鍛えた人間程度だと思っていたがとんでもない。ゴブリンとはいえ一振りで三体も肉片に変えた剛力、荒い太刀筋だがスピードも速かった。


 さらに、ボロボロとはいえ武器や防具を装備している。今の俺はあいつと戦って勝てるだろうか……。


 モンスターをゴブリンしか見かけなかったから、この森はゴブリンしかいないとたかをくくっていた。


 それは間違いだった。この森には、恐ろしい化け物がいる……。



 町に向かうには森を抜けなければいけない。あいつや、あいつより強いモンスターもいるのかもしれない。


 保存食だけでは不十分だ。レベルも上げないと、町に辿り着けないと痛感した。生活が安定して、どこか楽観視していた部分があった。気を引き締める必要がある。



 レベルを上げる必要はあるが、ゴブリンではこれ以上のレベル上げはきついかも知れない。


 前回レベルが上がってから五十体は倒しているが、レベルが上がる気配が無いからだ。


 レベルが上がると雑魚を倒しても経験値が得られない仕様なのだろうか? 単純に必要経験値が膨大になったのだろうか? どちらにせよ、ゴブリン以外のモンスターを倒して経験値を稼ぐ必要がある。







 移動して良さそうな場所を見つけては、拠点を作りまた移動してを繰り返す。太陽を目印に同じ方向に歩き続けたのだが、どこに移動してもゴブリンしかいなかった。


 ゴブリンの楽園か、ここは。


 これだけゴブリンが多いと、ゴブリンキングなどが発生して巨大ゴブリン帝国でも作り上げていそうだ。


 だけど、前に見かけたホブゴブリン以外に進化したゴブリンを見ていない。なにか理由があるのだろうか? ラノベなどの知識から考察してみた。


 この森は食料が豊富で、ゴブリン以外のモンスターがおそらくいない。人間の形跡もホブゴブリンの装備以外見当たらない。


 レベルアップする機会がほとんどないのだろう。


 食料が豊富だから、奪い合いや共食いで殺しあうこともない。ほかのモンスターも存在しないため、縄張り争いなどあで殺し合うこともないはずだ。だから、レベルが上がらず進化しない。


 食料が豊富で飢えの心配がないから、数だけはガンガンに増えていく。だからこの森は普通のゴブリンだらけなのかもしれない。


 となると、ホブゴブリンに進化した個体は、たまたま迷い込んだ冒険者を殺して進化した可能性が高いように思う。


 ホブゴブリンだけ、文明のを感じさせる装備をしていたことからも分かる。


 この森に、金属製の武器を作れる文明があるとは思えない。あの装備が、外部からやってきたことは明らかだ。


 この森はとても閉じた環境にある。原始の森がそのまま残り、文明の痕跡は何ひとつ見つけられない。


 森に沈んだ過去の遺跡や、人間が作った山道。木こりたちがつくった獣道や、木材を伐採した古い痕跡すら見当たらない。


 何処までも、果てしなく原始の森が続いている。


 あの装備の持ち主は、なぜこんな森の奥へとやってきたのだろうか? なにか特別な素材を求めて? 逃亡した犯罪者だった?


 色々考えてみたものの、アホの俺がいくら考察したところで正解にはたどり着ける気がしない。


 確実にわかっていることは、あのホブゴブリンがやべぇってことぐらいだ。ホブゴブリンを避けつつ、森の出口を目指そう。







 この世界に転生して何か月経ったのだろう、もう何日経ったか数えるのはやめた。今はただ文明が恋しい。


 あれからどれだけ歩いただろう。どれだけのゴブリンを殺したのだろう。俺は十レベルに到達していた。


 ゴブリンの干し耳は膨大な量になり、持ち運べなくなったのでもう作っていない。これだけ殺せばゴブリンキラーの称号でも付くと思ったのだが、そんなシステムは存在しないらしい。


 いつものように気配を探りながら歩いていると、ゴブリンより大きな気配を感じた。ホブゴブリンかと一瞬警戒したが動き方が違う。


 なんというか素人くさい歩き方なのだ。


 もしや人か! テンションの上がった俺は、別の可能性を無視し駆け出した。


 視界の悪い森を走り抜け察知した気配に近付くと、二十メートルぐらいの距離でその姿を見ることができた。


 籠に草を入れている人間の女性だった。くすんだ金髪と茶色の眼、そばかすの浮いたお世辞にも美人とは言えない女性だった。だが、たしかに人間である。


 嬉しくなり全力で走りながら声を掛けた。言葉が通じるかなんて懸念は少しも浮かばなかった。ただただ嬉しかった、ようやく人に会えたのだ。


「おーい!」

「きゃああああああ」


 俺が全身で喜びを表し飛び跳ねながら近付いていくと、村娘っぽい女性は籠を放り投げて全力で俺から逃げ出した。


 人を見て逃げるなんて失礼なヤツだ。そう軽くイラついたが、俺は気付いた。


 今の俺は全身に泥を塗った状態。さらに、噛んでなめした獣の皮を体に引っ掛け、首に大量のゴブリンの干し耳をネックレスにした物を掛けている。


 控えめに言ってもヤバ過ぎる。


 俺なら問答無用で攻撃するだろう。完全な不審者である。


 人間を見つけてテンションが上がりすぎて忘れていた……自分の外見が完全に不審者であることを。


 俺は慌てて村娘を追いかけた。


 村娘の足はそんなに速くない。それに、走りにくい森の中だ。森になれた俺ならすぐに追いつくだろう。


 そう楽観視していたのだが、村娘の逃げた方向にやばい気配を感じた。例のホブゴブリンだ。


 まずい、俺は荷物を捨て全力で村娘の後を追いかけた。


「いやああああ」

「ぐるぁあああ」


 村娘の悲鳴とホブゴブリンの雄叫びが響いた。


 クソ、間に合わなかったか。舌打ちをしながら視界を遮っている木を抜けると、ホブゴブリンに担がれてじたばたしている村娘がいた。


 ほかの種族でも繁殖できる、ゴブリンの生態のおかげで殺されずにすんだか。安心したが、ホブゴブリンから村娘を奪い返さなければならない。


 幸い、ホブゴブリンは一体だけで手下のゴブリンは連れていないようだった。俺はスピードを一切落とさずホブゴブリンに向かって走り続けた。


 足音に気付きホブゴブリンが俺の方を向いた瞬間、ホブゴブリンの不細工な鼻めがけて飛び膝蹴りを突き刺した。


 加速したエネルギーを膝から相手にすべてぶつけるように突き刺したのだ。


 人間の雌に気を取られ直前まで気付かなかったホブゴブリンは、まともに飛び膝蹴りをくらいふらっと体のバランスを崩した。


「きゃああああ」


 ホブゴブリンが肩に担いでいた村娘を落とし、地面に叩き付けられる寸前に何とかキャッチ。


「大丈夫か?」

「いやあああ、ゴブリン! 見たことないゴブリン!! 誰か助けてええ」

「誰がゴブリンじゃい! 落ち着け村娘、少し格好は変わっているが俺は人間だ」

「え、あの、少しっていうか……本当に人間ですか?」

「お前、こんな状況なのに意外と冷静だな」

「いや、あなたの格好がすごくて……吃驚びっくりし過ぎて逆に落ち着いたというかなんと言うか」

「こんな格好してる俺が言うのもなんだけど、結構グサッと来ること言うね」


 意外にも言葉が通じた、言語チートは標準装備らしい。あの神様にしては珍しく親切だ。


 そんなことを考えていると――。


「ぐごおおおおお」


 ホブゴブリンが鼻血を出しながらブチ切れていた。かなりの勢いでぶつかったんだけど、あんまり効いてないな。これはまずい。


「村娘、安全なところに逃げろ。あいつは俺が抑えておく」

「村娘じゃありません、私の名前は」

「そういうの今いいから、早く行け!」

「あの、村からすぐに人を呼んできますから、新種のゴブリンさん死なないでください」


 そう言いながら村娘は走っていった。新種のゴブリンじゃねぇから! 俺がそう突っ込む前に村娘は森へと消えていった。


「人が第一村人との交流を楽しんでるってのに無粋なホブゴブだな」

「ごがああああああああ」


 言語チートもゴブリン語は非対応か。ホブゴブリンぐらいなら会話できると思ったんだけどな、ってかすんげぇブチ切れてるね。


 正直めっちゃ逃げたい。ただ、今逃げて村娘の方に行かれてもまずいしな。


 あれだけ加速した飛び膝蹴りくらってダウンすらしやがらねぇ、どれだけタフなんだよ。そこら辺に伝説の聖剣とか落ちてないかね。素手でどうにかできる未来が浮かんでこない。


 村娘とのんびりお話なんてしないで、追撃するべきだったんだろうけど……パニック状態のまま近くにいられると邪魔だからな。


 後、思った以上に会話に飢えてたみたい。久しぶりの会話は楽しかった。なんていうか、何かが救われた。


 気付かない間に、孤独が心を蝕んでいたみたいだ。


 文明への切符とはいえ、さっき会ったばかりの村娘のために命がけ戦うことを決めたのだから、我ながら単純だ。


 そんなとりとめのないことを考えていると、ロングソードを振りかぶったホブゴブさんがるき満々で襲い掛かってきた。

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