第13話 精神的ボディブロー

 エレベーターと布団屋のちょうど中間あたりまで来たころだろうか。静かに後ろを歩いていた笹葉が急に大声を出した。


「ママ!」

「へ!?」

「俺はママじゃない……ん?」


 いつものノリで突っ込んでしまった天斗だったが、それが自分に向けられたものではないことに途中で気づく。それに、天斗よりも先に反応を見せた女性の声があった。


「……なんで神楽がここにいるんだ」

「偶然よ! 授業は午後だけだからちょっとショッピングしようと思って……」


 いつの間にか天斗たちの後ろにいた沙織は、バツが悪そうに言葉尻を濁す。


「どうした。その調子だと、俺達をストーカーしてきたのか?」

「そんなことするわけないじゃない! ちょっと電話越しに笹葉ちゃんが『デパートに行きたい』言ってるのが聞こえたから来てみただけで……」

「立派なストーカーじゃねぇか」


 沙織はシュンとなって縮こまる。その際にうなだれた姿勢になり、持っていた買い物袋が地面に擦れた。


「ママは何を買ったんですか?」


 その中身に興味を示した笹葉は、買い物袋に手をかけ、背伸びをして中をのぞく。


「ちょっ! 止めてよ笹葉ちゃん!!」


 何故か中身を見られまいと、沙織は買い物袋を背に隠したが、突然のことにワンテンポ反応が遅れてしまった。少し顔を赤くしながら必死の様子の沙織と、中身を見て驚いた顔で固まっている笹葉の間に、しばしの静寂せいじゃくが訪れた。


 5秒ほどの膠着こうちゃくの後、先に動きを見せたのは笹葉だった。


「はえ~」

「『はえ~』って何!? 『はえ~』って何なの!?」


 笹葉の反応に羞恥心しゅうちしんが爆発した沙織は、似たような言葉を連発した。


「何を見たんだ笹葉、パパに言ってみなさい」

「えっとね……」


 腰を落とした天斗に笹葉が耳打ちをする。


「こんな時だけパパ面しないでよ! それに笹葉ちゃんも言わないで!」


 沙織の方はかなり必死な様子だが、そこまで言われてしまえば聞きたくなるのが人間のさが。天斗と沙織、どちらの言うことを聞けばいいか決めあぐねている笹葉に、天斗が頷いて続きを促す。


「えっとね……白いぱんつと、白いぶらじゃーが入ってました」


 笹葉は天斗の耳元で中身をささやいた。


「神楽……お前、ショッピングモールで下着揃える人なのか……」

「何よ! 悪いって言うの!?」

「いや、意外なだけだ」


 天斗は沙織のことをブランドもの好きだと思っていたので、かなり面食らった。全部白なのは予想通りだったけど。


「ショッピングモールの下着だって……最近は良いのがいっぱいあるのよ」

「そうかそうか」

「真面目に聞いてよ!」

「なぜ俺が女性下着の動向を真面目に聞かにゃならんのだ」

「……それもそうね」


 天斗の冷静なツッコミに、沙織は頭に上った血を何とか下げた。数回深呼吸して調子を取り戻そうとする。


「じゃ、俺ら帰るわ。午後の授業に遅れるなよ」


 壁に掛かっていた大きな時計が示していた時刻は十時半。このショッピングモールは大学前を通る地下鉄がすぐ近くにあるので、20分とかからずに大学に行けるだろう。それでも天斗が午後の授業のことを言ったのは、沙織との話に区切りをつけてさっさと家に帰りたかったからだ。


 エレベータに向かって再び歩みを進めようとした天斗の袖を、笹葉がクイクイと引っ張った。


「何だ?」

「笹葉も……ほしぃ」

「あ? もっとはっきり喋ってくれ」


 下を向いてぼそぼそと喋る笹葉の声は、天斗の耳には届かない。


「笹葉も! 可愛い下着が、欲しいですぅ……」


 恥ずかしいのか、最初は威勢の良かった声も段々と尻すぼみになっていく。


「いや、神楽からもらった趣味の悪いパンツがあるだろ」

「趣味悪いとか言わないでよ!」


 昨夜の笹葉のお着がえ会で、天斗も一応すべての服に目を通していた。オーソドックスな柄物のパンツまではまだ許容できたが、今の時代にクマの絵柄は流石に目を疑った。笹葉もそれだけは無言で隅にやっていたのが印象的だ。


「だってあれ……可愛くないもん」

「笹葉ちゃんまで!?」


 沙織は思いのほか評価の低い過去の自分のパンツにショックを隠し切れない。笹葉にまでダメ出しをされて涙目である。


「……下着コーナーいくか? 神楽も一緒に」


 流石の天斗も、今の沙織を不憫に思ったのか、ついそんな言葉が口をついて出た。半ば無意識だが、結果として沙織に名誉挽回の助け舟を渡した形になる。


 各方面から精神的ボディブローを喰らって満身創痍な沙織は、コクンと首だけで小さくうなずき、天斗の船におとなしく乗った。

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