第2話 誘拐犯か隠し子か

 しばらくして、沙織はどうにか正気を取り戻し、3人は天斗たちの通う大学のキャンパスのベンチに場所を移した。生暖かい風が3人の間をなめるように通り抜ける。青々と茂る芝生の上には、今のところ天斗たち以外に人はいない。


「それで、どうするのよ。この子」


 沙織は膝に座る少女の首筋の汗を、カバンから取り出したハンカチで拭き取る。


「警察に任せる。それが1番だ」

「けーさつはいやです!」


 天斗が沙織の質問を端的に返すと、少女がそれを真っ向から反対してきた。


「何言ってんだ。お前みたいな迷子は警察に任せるのが一番なんだよ」

「ささは」

「……は?」

「『お前』じゃなくてささは!」

「ささは? ……あぁ、『笹葉』、お前の名前か」

「ささは!」

「いちいち大きい声を出すな……笹葉」

「うん!」


 笹葉は満足そうな笑みを顔いっぱいに浮かべる。それを見た沙織は、笹葉を後ろから思いっきり抱きしめた。


「うえっ?!」

「かわいい……、可愛すぎるわこの子!」


 いきなり抱きかかえられ、笹葉は驚きの声を上げる。


「嫌がってんだろ。やめろよ」

「何? パパの嫉妬は見苦しいわよ」

「誰がパパだ。……話が逸れすぎたな。とにかく、こいつ……笹葉、は警察に任せる。親元に返すのが1番だ」


 笹葉のことを「こいつ」と呼んだ瞬間、女性陣から冷ややかな視線を浴びせられ、天斗は渋々呼び方を変えた。


「けーさつはいや、です」


 笹葉の返答は先ほどと同じものだった。しかし、何故かトーンが数段落ちた。


 天斗は幾ばくかの違和感を覚えたが、自分には特に関係ないだろうと思い、追求はしなかった。その代わり、沙織がその話題に触れる。


「笹葉ちゃんはどうして警察が嫌なの? お母さんやお父さんが探しているかもしれないわよ?」

「……家出だもん」


 沙織の問いかけに、笹葉は俯きがちになって小声で答える。その顔からは最初の快活さは全く感じられなかった。


「お父さんもお母さんも、笹葉のこと好きじゃないもん」

「そんなことないと思うわ。こんな可愛い子を嫌いな親なんていない」

「おうち、帰りたくない……」


 沙織はいつになく優しい口調で笹葉をなだめる。頭をなでているうちに、笹葉は静かに泣き出した。

 

 天斗はそんな2人のやりとりを隣で黙ってみていた。人を慰めるという経験があまりにも欠如していたため、かける言葉が何1つとして浮かばなかったのだ。


「神楽は面倒見がいいんだな」

「そうかしら。これくらいは普通のことだと思うんだけど」


 そう言いつつも、沙織の顔はどこか得意げだった。たしか沙織は末っ子のはずなので、お姉さんぶれて嬉しいのかもしれない。


「よし、じゃあ笹葉のことは任せたぞ」

「分かったわ……って、あなたはどうするのよ」

「帰る」

「何で!?」

「ここにいる意味がないからだ。たしか神楽の家の近くに交番があるんだったよな。帰りしなに笹葉を届ければ万事解決だ」


 天斗は最適解を言っているつもりだったが、明らかに不満そうな顔をしている沙織に少しばかりの不快感を覚えた。


「笹葉ちゃんの話、ちゃんと聞いてた?」

「あぁ、聞いていたぞ。家出だろ? どうせすぐに帰りたくなる。今のうちに返しておくのが1番だ」


 天斗はベンチから立ち上がり、軽く伸びをする。帰宅の準備は万端だ。しかし、沙織は立ち上がるそぶりを見せない。泣いているのか、眠っているのかわからない笹葉を腕で抱き留めている。


「ねぇ、笹葉ちゃんを少しの間だけ泊めてあげてよ」


 神妙な顔つきで、天斗にそう頼んだ。


「はあ? 何言ってんだ。完全に誘拐犯になるだろそれじゃ」

「……1週間くらいなら問題ないわ」

「問題大有りだ。そんなにかくまいたいなら神楽が引き取れよ」

「私は、その、実家暮らしだし、親も厳しいし……」


 沙織は痛いところを突かれ、あたふたと言い訳を取り繕う。いつものお嬢様のような気取った態度は完全にを潜めていた。


「隠し子ってことにすればいいんじゃないか。髪の毛の色も似てるし」

「それこそ問題大有りよ!」

「じゃあ僕だって無理だ。結局、警察に任せるのが一番なんだよ」

「待ってよ!」


 沙織の制止も空しく、天斗は振り返ることもなくスタスタと地下鉄へと歩いて行ってしまった。

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