雪見旅情譚
1. 東京駅より
ゆらゆらと揺れる車内にアナウンスが響く。
日本語、英語、他いくつかの国の言語。
東京の都心、東京駅ともなると電車の音声案内でさえ海外を意識したものになる。あまり聞き慣れないアナウンスなだけあって、まだ何も始まってすらいないのに新鮮味を感じてしまう。
ただし、今回のあたし"たち"の旅先は国外にあらず。どこをどう取っても国内にしか向かないため、外国語の楽しみはいつかの未来に取っておこうと思う。
――――♪
ドアの開閉音に混じって駅到着の音楽が聞こえてきた。音楽というか、ベルというか、チャイムというか。
流れ出すように電車から降りていく人の波を眺め、落ち着いたところであたしも席を立った。
スーツケースを持ち、駅のホームに降りて引きずっていく。
エスカレーターに乗る前、電車とホームの屋根との隙間から見えた空は灰色で。今にも雨が降りそうな空はよくよく冬の色を表していた。
地上から地下へ移動する途中、先ほど見た景色が脳裏に過ぎる。景色、というよりは"冬"という季節そのものかもしれない。
冬。それと山形県。
このキーワード二つで何を思い浮かべるかは人によると思う。あたしの場合、温泉と雪が思い浮かんだ。
どうして温泉と雪なのか、どうして山形県なのか。それはもちろん旅行だから。
お仕事柄、いろんな地方に行くことは多い。それこそ温泉地だって普通の人より訪れている自信がある。でもやっぱり、お仕事として行くのと遊びとして旅行するのとじゃ気持ちが違う。リラックス度の差が段違い。
それに加えて、今回はもう一つ絶対に外しちゃいけない大事な違いがある。そんなの言うまでもなく――。
「――っと」
危なかった。エスカレーターで躓きそうになっちゃった。
考えるのをやめて周囲を見渡す。
流れる人、人、人。
「……うん」
無言で小さく頷いちゃったあたしは悪くないと思う。
七時過ぎの電車に乗って一時間と少し。通勤に燃える人たちの波を抜けてここまでやってきた。車両を選んだり始発を選んだりとして満員電車はなんとか避けられたけれど、それでもちゃんと疲れた。普段混み合った電車に乗らないからこそ疲労感もなかなか。
疲れもあれば暑さもあり、冬だと言うのにずいぶんと暑くて困る。十二月中旬で汗が滲むのはよくないと思う。
みんな厚着して、電車は暖房かかってるから温度も上がる上がる。ヒートテック着てきたけど、やめればよかったってちょっぴり後悔しちゃった。でもたぶん、これから行く山形は寒くて着てなかったら逆に後悔してたはず。
後々のことを考えたらやっぱりあったかいの着てきたのは正解ね。
考えるのは一度やめて、しょうがなく人波に乗って歩いていく。向かうのは新幹線乗り場のある改札方面。
長距離移動もそれなりに経験してきたから東京駅なんて地元のようなもの……嘘ついた。地元は言い過ぎだったかも。見知った場所、くらいが正しいわね。
適度に辺りを見ながら歩き、すぐに目に映ったのは"東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸(長野経由)新幹線のりば"の文字。わかりやすく大きい文字で書かれている。
新幹線への乗り換え口だからか、大きな荷物を持っている人が多い。左右を見ると"北のりかえ口"と"南のりかえ口"が見えた。どちらからでも入れるらしい。そういえばそんなシステムだったような気がしないこともない。
「……ふぅ」
一息。
南のりかえ口の側の椅子に腰を下ろさせてもらった。
郁弥さんに会いたい郁弥さんとお喋りしたい郁弥さんと――鞄から携帯を取り出してSNSアプリのNEMUを開く。通知は一つだけ。送り主はあたしのラブリーな恋人、
【東京駅ついたよー】
「……む」
連絡が来ていた時刻は今から五分前。あの人、あたしより早く東京駅に着いていたらしい。
顔をあげて周囲を見渡す。人の波に加えて、あたしと同じく椅子に座っている人が近くにちらほらと。あたしほどとなると恋人の姿は一瞬で見分けられるので、顔どころかシルエットを見なくても違うとわかる。
左右をちら見して、次に後ろは。
「……ふむ」
小さく頷く。
なんとなく。なんとなくね。
後ろ姿はそれっぽくて、格好もどこかで見たことがあるような気がしないでもない。当人かなぁって思っても、人違いだったら嫌だしすぐに声はかけない。この人イヤホンしてるし、もし郁弥さんだったらそれとなーく名前呼べばお返事くれそうな感じがする。
後ろの人に聞こえるか聞こえないかくらいの音量で声をかけた。
「……いくやさーん」
「ん、はい?」
そっと囁き声で名前を呼ぶと反応があった。イヤホンを外して振り向いたその顔はあたしの知ってるいつもの顔で、温かくて愛おしくて大好きな人の顔だった。
「日結花ちゃんおはよう」
「おはようって……いたなら言ってよね、もう」
「あはは、ごめんね?こっちからだと見えなくてさ。これで許してくれる?」
言いながらきゅっと手のひらを掴んでくる。手袋をしていなかったから手が冷たい――なんてことはなく、あたしが手袋をしているせいで全然何にも伝わらない。体温が足りないわ。
あんまり嬉しくない。ううん、嬉しい。嬉しいけど嬉しくない。
「少し待って?」
「え、いいけど」
素直に頷いてくれたので、繋がれた手を解いてすぐさま手袋を外す。ささっと鞄に放り込み、準備完了。
「はいっ」
「はい」
改めて手を差し出す、あっさり手を繋ぎ直してくれた。
結構冷たかった。冷えてる。でも……うん、あったかい。
「えへへ、じゃあ行きましょう?」
「ふふ、うん。あぁでも、先に切符渡しておくね」
「ん、ありがと」
ほっこりしながらも鞄をごそごそする恋人から切符を受け取る。
朝だからあたしも彼もテンション低め。それでも手をにぎにぎすればしっかり反応がある。もう数え切れないほど手を繋いできたのに、お互いまったく飽きる気配がない。
こんなに楽しいことなんだもの。ずっとやっていられるわ。人の愛は無限大って言うけど、あれ、事実なのよ。証拠はあたしと郁弥さん。
頭の緩いことを考えながら切符を眺め、そういえばと改札を見やる。
切符を入れたりカードを翳したり携帯を翳したり。出入りする人はそれぞれ異なる方法で改札を進んでいた。割合としては意外にも切符が多いように思える。新幹線への改札ならではの光景かもしれない。
「郁弥さん郁弥さん」
「なに?」
「ミナカと切符、どっちが先かわかる?」
改札前で立ち止まる。
切符やら改札やらと、前にもどこかでこんな話をした記憶がある。主にDJCDの収録で何度か。その時からあたしはずっとミナカ(カード型)を使い続けているから、この辺の流れはもう慣れたもの。
切符もミナカも携帯に移行してカードレスにしちゃった方がいいとは思うんだけどね。あたし、ミナカのデザイン好きなのよ。
「え?切符が先でミナカが後でしょ?」
「……うん。その通り」
「どうしてしょんぼりするのさ……。日結花ちゃんほどじゃないけど、僕も新幹線くらい使うことあるからね」
つまんない。もっとこう、"あら、知らないの?ふふ、教えてあげるわね。こうこうこうするのよ~。きゃっきゃうふふ"みたいなのをやりたかった。
こういうのも恋人との旅行の醍醐味だと思うの。
「日結花ちゃんってたまにそういうところあるよね。こう、僕に教えてあげようとかそんな感じのやつ」
「ん、そうね。あるかも。嫌?」
「ううん。嫌じゃないよ。そういうところも好きだから」
「そ。……あたしもあなたのこと好きよ」
「ふふ、うん。知ってる」
真正面から好意を伝えられたら相手の目を見れなくなっちゃっても仕方ないと思う。ちゃんと返事はしたからいいの。目は合わせてないし顔は逸らしてるけど、これくらいは許してほしい。耳が熱い。
照れながら誤魔化しでちょっぴり足早に新幹線の改札を抜け、少し減った人の流れを縫って待合室に入る。待合室は待合室でまた人が多くて、それでもタイミングよく座っていた人が抜けて椅子に座れた。軽く一息。
「今日雪降ってるかな」
「ん、午後から止むって天気予報で聞いたわよ」
「だよねぇ……」
目を伏せて溜め息でも吐きそうな雰囲気。表情もちょっぴり不満げに見える。
この人、恋人になるまでこういった表情全然見せてくれなかったから、今みたいな些細なことでもすごく嬉しい。ドキドキとかじゃないんだけど、ほんわかする。ついつい頬が緩んじゃった。
「ふふ、雪降ってた方がいい?」
「まあ、うん。だってせっかくの冬景色だよ?もったいなくない?」
「それはそうねー」
わざわざ東北に行く意味を考えると、当然雪はあってほしい。まだ十二月中旬とはいえ、昨日一昨日と低気圧のおかげで雪は降ったらしいからたぶん積もってはいる。
「とりあえず、雪積もってるとは思うわよ?」
「うん。それは僕も思ってる。でも降ってるところが見たいんだ」
「なら雪の神様にお祈りするしかないわね」
「そうだね。一緒に祈ってくれる?」
「ふふ、いいわよ。任せなさい」
どうでもいいけど、待合室だから郁弥さん囁き声っぽくなってて耳が幸せ。もうちょっと近くでお喋りしてくれてもいいわよ。
言葉に出さず無言で距離を詰め、自動的に彼が囁いてくれるようにしておいた。そのせいで耳に吐息がかかって非常に心臓に悪い体験をするはめになった。不覚。
天気のお話をしてドキドキしている間に時間は過ぎ、気づけは出発時刻のニ十分前。九時十分には待合室を出させてもらった。
「――寒いわね」
「風が冷たいよね」
待合室から駅のホームに移ると、吹き抜けの冬風がひゅるりと顔に当たって通り過ぎていく。冷たい。さすがは冬。
「寒いけど。でも、日結花ちゃんのおかげで手はあったかいな。ありがとう」
「……いきなりそういうこと言うの禁止。照れるから禁止ね」
耳と頬に熱が集まるのを感じる。そっと横を盗み見ると郁弥さんと目が合った。あたしの恋人さんは微塵も照れを見せず柔らかく微笑んでいた。
羞恥とちょっぴりの不満はあるけれど、やっぱり朝から嬉しいことを言ってくれたことには変わりないので、お礼替わりにぎゅーっと手に込める力を強めてあげた。優しく返ってくる手のひらの感触に胸の奥が温かくなる。
冬の寒さに逆らうように、今はぽかぽかとした暖かさが全身を包んでくれていた。
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