第37話 茜
真白が決定的な言葉を口にしたと同時に茜が姿を現した。
「どうした、真白。私をこんな所に呼び出すなんて珍しい事もあるものだな」
そう言った茜の目に浩輔の姿が映り、また、真白の目に涙が滲んでいるのに気付いた。
「浩輔! 真白を傷付けたらただではおかんと言ったはずだぞ!」
茜は浩輔が真白を泣かせたと勘違いしたのだろう、ドスの効いた目で浩輔を睨みつけ、一喝した。浩輔は、まさか茜がこの場に現れるなどとは夢にも思っていなかった上にいきなり怒鳴りつけられて固まってしまった。
「茜ちゃん、違うの」
今にも浩輔に殴りかからんばかりの茜を真白が止めた。
「これは、私が考えて、私が決めた事だから。浩輔先輩は何も悪く無いの」
真白は茜に全てを話した。茜が何をしようとしたか浩輔から全て聞いた事、身を挺して自分の純潔を守ろうとしてくれた茜の気持ちが嬉しかった事、それ以来浩輔の様子がおかしくなった事、そして父の知り合いの社長の息子と会ってみようと思った事を。真白の話を聞いているうちに茜の身体はブルブルと震えだした。
「そうか……では悪いのは全て私だな」
辛そうに言う茜に真白は驚いた。茜は何を言っているのか、茜は何故自分が悪いなどと言い出したのか解らなかったのだ。
「真白の事を考えてやったつもりが、結果として真白は浩輔と別れ、親の勧める男と会うと決断した。私が余計な事をしなければ……私が……私が……」
それ以上は言葉にならず、後悔の念に押し潰されそうになりながら涙を流し、唇を噛む茜に真白は優しく微笑みかけた。
「でも、茜ちゃんは私の事を思ってやってくれたんでしょ。私、嬉しいよ」
「しかし、真白は望まぬ相手と結婚する事に……」
「大丈夫よ。なんたって私のお父さんだよ、ちゃんと私に選ばせてくれるって。それに変な相手だったら私に会わせる前にお父さんが追い返しちゃうわよ」
真白の父は真白を溺愛している。真白の言う通り、真白の意志を無視してまで結婚させようとするだろうか? そんな訳は無いと真白は力説した。
「私はバカだな。一人で空騒ぎしてたって訳だ」
溜息を吐く茜に真白は怒った様に言った。
「ホント、茜ちゃんってバカ……だって、浩輔先輩を信用してなかったんだから」
「はぁっ?」
「浩輔先輩がえっちな事なんて考えるわけ無いじゃない。ねえ、浩輔先輩!」
言うと真白は浩輔に微笑みかけた。
「うん!」
浩輔は大きく頷いたが、もちろん嘘だ。浩輔とて健康な男子なのだからそんな筈が無い。真白を想って悶々とした夜を何度過ごした事か……
「じゃあ、私は行くね。茜ちゃん、浩輔先輩と幸せにね」
真白は二人を残して立ち去ろうとしたが、浩輔の前で足を止めた。
「浩輔先輩、茜ちゃんには言ってあげて下さいね。私に言ってくれなかった言葉を」
言い残して真白は階段室へと消えた。屋上で茜と二人きりとなった浩輔は深呼吸を一つすると茜に告げた。
「稲葉さん、好きだよ」
「浩輔、い、いきなり何を言い出すんだ!」
突然の告白に茜はあたふたしながら顔を真っ赤にした。しかし茜は『浩輔だから覚悟を決めた』などとまで言ってしまっているのだ。ここでいつもの様な強い態度に出ても仕方が無い。自分に正直になろうと茜は決めた。
「実は男性から好きだなどと言われたのは初めてなものでな。私は今、どんな顔をしているのか解らんが、とにかく嬉しいよ。ありがとう」
言いながら浩輔に抱き着いた茜を浩輔はしっかりと抱き締めた。すると茜が顔を浩輔の顔に寄せた。
――キス? これって稲葉さんはボクにキスしようとしているんだよね? ――
期待した浩輔が目を閉じたが、残念ながらそうでは無かった。代わりに浩輔の耳に甘い息と共に照れながらもぶっきらぼうに言う茜の声が聞こえた。
「だが、浩輔が真白と別れた以上、前に言ってた事は無しだからな」
「前に言ってた事って?」
「君の欲望のはけ口に……って、女に何を言わせるんだ!」
浩輔が薄目を開けると茜は既に赤くなっている顔をこれ以上無いほど更に赤くしてか細い声で言った。
「まあ、浩輔がどうしても私と……と言うのなら考えても良いがな」
今まで綺麗だと思っていたが、これほどまでに可愛い茜を見るのは初めてだ。うっとりと見蕩れてしまった浩輔に茜は目を合わせて微笑んだ。
「その時は呼んでくれるか? 『稲葉さん』では無く『茜』と」
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