風車と花

時瀬青松

墓参り


 或る夏の暮れ方だった。ひとりの女が花の入った籠をその手に持って、閑散と並ぶ冷たい石の墓の間を歩いていた。緑の黒髪を簪で留めたその女は、何処か淋しげな香りを纏っていた。白い頸には、たまのような汗がじんわりと浮かんで、夏の暑さを思わせる。とある墓の前でふいと立ち止まった彼女は、墓石を濡らし、白い布できれいに拭いた。柔らかい色の花を供えて、マッチ棒を擦って白い蝋燭に火をつけ、線香をあげる。石に、1匹のばったが跳び乗って止まった。


 彼女は石段に坐り込み、すっと目を閉じた。涼風が爽やかに吹き抜けては、花を揺らした。


「淋しくなんて、無いわ」


 彼女がすい、と響く鈴のような声で小さく呟く。籠に入っていたらしい紙の風車が、彼女の手の先でからりからりと廻る。小さな風車を廻すのは宵の風、ばったもいつの間にか何処かへ跳んで居なくなった。紺色に色移りした橙の空が仄かに、美しい彼女を照らす。


「風車が鳴けば、きっとまた貴方に会えるから」


 ぽつりぽつりと言葉を零す彼女の瞳は、この世界の汚さも、戻れない別れも知っている。暫くして、女は静かに墓地を後にした。からころと遠のく下駄の音の後に残るのは、花の香りと静寂だけであった。

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