第15話 盗賊は叫び、部屋は荒らされる

「そこを動くんじゃないわよ!」

 最初に反応したのは鉄子だった。

 長い腕を伸ばして、タンスの上のガーゴイルを、竹竿で叩き落そうとする。が、モンスターはヒラリと余裕綽々で飛び上がり、その攻撃を避けた。

 そのまま天井に近い所の壁で三角飛びをして、今度は僕とネズミ君がいる方へと飛んでくる。

 速い!

 速球に手が出ないとはこのことか。ガーゴイルは嘲笑うように、堂々と僕達の間をすり抜けていった。

「うひぇえ!」

 情け無い悲鳴を上げて、逃げ足の速いネズミ君は壁際にダッシュ。ひょいとソファーの陰に隠れた。

 ランプはローテーブルの上に置いてくれたから、照明には問題ないけど。

 その間にもガーゴイルは部屋中をあっちこっち飛び回っていた。僕は敵が壁際でUターンしようとしているタイミングを狙って、ナマケモノの剣を構えて走り寄る。

 午前中の授業を思い出しながら、跳ね返ってくるガーゴイルのタイミングを見計らって、腰を入れてオ、レ!と剣を振り下ろす。

 が、重い!

 っていうか、肩が疲れて力が入らない!

「痛てててて!」

 あえなく空振りして、ガツンと石床を叩いてしまった。手が痺れて、思わず剣を取り落としそうになる。

 くぅ〜。マタドール先生にあんなにオレオレさせられたせいだ。

 クソ!せめてフッカフカの絨毯の上だったら良かったのに!

 それを見たガーゴイルは、ケケケケケ、と笑って、バサバサと空中でホバリングをした。舐めた目付きでコキッ、コキッと首を鳴らして、指をポキポキとやった。

 モ、モンスターのクセに生意気な!

 そんな人類至上主義的思考に浸っている暇もなく、敵は第二陣の攻撃を開始する。人類動植物皆共生社会である。モンスターにだって生存を追求する権利はある。

「きゃあ!」

 妙子を脅かすように、おそらくわざと体に当たりそうなスレスレのところを通り抜ける。

「アンタ速すぎんのよ!」

 鉄子の竹竿は、またも空を切った。

 だが、これはどうやら軽いウォーミングアップであったらしい。敵はさらにスピードを上げた。

 くっ、速い。本当に速い!

 人間で言うと小学六年の男子くらいの大きさの物体が、燕のような速さで飛び回っている。

「ええぃ、当たれーっ!」

 鉄子が竹竿を構えて、1、2の3でフルスイングした。しかし敵も承知したもので、真っ直ぐ向かってきたかと思うと、手元でピュッとスライドし、バットに擦りもさせない。高校生には打てない球だ。

 竹竿は虚しく空を切り、青竹のいい香りを撒き散らした。

 最早限界に達した肩で振る、僕の重いナマケモノの剣は言うまでもない。

 もはや防戦一方である。やばい。自分の身を守るので精一杯だ。

 そりゃあ、ガーゴイルの言い分も分かる。優雅にお茶していたところを、礼儀知らずのティーネイジャーに土足で踏み込まれたのだ。彼だって(彼女かもしれないが)、自分の幸福を守るために戦っているのだ。

 しかし、こういう左派的でピースフルな考えが結果として自分達の生存を脅かすとき、人は現状打破のための独善的な幸福を求める。どこかにこの閉塞感を打ち破ってくれる英雄はいないものか。そこに登場したのがナポレオン、ではなく、大衆迎合主義の自称ハンサム。そなたらが人生、何故かように惨めであるのか。そうだそれはモンスターの侵略を受けているからだ。不法に領分を越えて人間世界にやってくるものどもは、壁を造ってでも阻止せねばならない。メイクであなたもグレイトにアゲアゲだ。さあ、栄光を取り戻そう。彼こそ救世主である。かくして大衆は自ら考え判断する力を失っていくのである。でも待てよ。僕の人生が栄光であった記憶はないな。

 要するに僕らは危機的状況にある。やばい。あの嫌味な玉音銀次郎でもいいから、助けに来てくれという気になる。

「おわぁ!た、助けてくれぇ!」

 ソファーに隠れていたネズミ君も、とうとう見つかってしまった。

 ヒョイと首根っこを足の爪で引っ掛けて、軽々と宙に持ち上げる。凄いパワーだ。不幸中の幸いというか、身勝手な幸運というか、ローテーブルの上のランプは無事である。チェスの駒にネズミ君の足が当たって、バラバラと床に散乱した。

「ヒョエえええ!」

 さっきから臆病大声コンテストがあったら三年連続優勝しそうな叫び声を何度も上げて、ネズミ君は都会の夜空を、いや暗いダンジョンの空を飛んだ。

 ブンッブンッと振られて、中央のティーテーブルの上にガッシャーンと落とされる。

「ぎょええええ!」

 悲しい男が吠えて、ティーセットが無茶苦茶になって床に散乱する。幸い、フッカフカの絨毯のお陰でポットは崩壊を免れたが、中の紅茶は溢れて絨毯に大きな染みを作り、いくつかのカップはコロコロと床を転がった。

 ここはダンジョンなんだ。幸せという言葉とは最も無縁の場所なのだ。いつも誰かが泣いているんだ。

 ところがこの攻撃がガーゴイルにとっては裏目に出た。

 大事なティーセットが壊れてしまったかと、ああああ、と頭を抱えてポットの側にうずくまる。泣いたのはガーゴイルの方だったか。

 だが、僕にとっては千載一遇のチャンスである。誰かの涙は誰かの笑顔。それがダンジョンだ。

 ここぞとばかりに駆け寄って、ナマケモノの剣を振り上げる。

 不意を突かれ、へ?という表情で固まるガーゴイル。

 よし、捉えた!

 しかし、さっきから的を外してばかりの僕の剣は、やはり期待を裏切らなかった。

 どうしてそんなことができるのだろう?固まったままの相手を器用に避けて、ガシャーンと見事にポットに命中した。

 あ…、ごめん。

 しばらく見つめ合うガーゴイルと僕。気まずい。

「勇者さん、退いて!」

 鉄子の声に、ハッと我に返り、転がるようにその場を離れる。

 一瞬前まで僕の頭があった場所を、竹竿が通過していく。ナイスな連携プレーだが、深く考えると怖い。

 しかしガーゴイルも立ち直りが早いのか、ヒラリと攻撃を躱すと、あっという間にその場を離れた。いつまでも落ち込んでいるガーゴイルでは、ガーゴイルの世界では生きていけないのかもしれない。彼(彼女?)も、優しくない世界で生きているのだ、きっと。

 ちなみに今の鉄子の一撃で、ティーカップが二つほど割れた。

 この戦闘が終わったら謝ろう。


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