第5話 生徒たちはテンション高く、勇者は頭をぶつける

 そして、その数日後。僕は無事、富士駅まで着いたのである。無論、新幹線に乗るなどという贅沢はできない。在来線を乗り継ぎ、数時間かけてやってきたのだ。それでも千円札はまだ数枚残った。

 富士駅発、私立ファンタジア学園行きのバスに揺られる。

 新入生は入学式よりも先に入寮手続きがあるから、今、バスに乗っているのはおそらくみんな新入生だろう。

 東京に比べて隙間の多い市街地を抜けて、すぐにバスは緑豊かな地域へと入っていく。

 異世界を目指すとは言え、つい昨日まで中学生だった少年少女だ。同世代の人間が集まれば、一時間程の道のりの間にも、自然と小さなコミュニティが各所に出来上がる。

「へえ、君は魔法使い科なんだ。僕はレンジャー科だよ。ボーイスカウトやってたから」

「俺、僧侶科じゃけえ。実家の寺を継ぐのが嫌じゃけん」

「ウチも僧侶科だっちゃけど、カトリックだば」

「おらは、羊飼い科だべ。実家は北海道で牧場をやってるべさ」

「吾輩は猫科である」

 今さっき出会ったばかりだというのに、既にバスの中はワイワイガヤガヤとしている。

 基本的な情報の交換しかしていないはずなのに、どうしてこうすぐに打ち解けられるのか。

 それに、みんなお洒落だなぁ。

 中学校の学ランに学生カバンなんて僕ぐらいだ。髪も頭髪検査に引っかからないためだけに、自分で切ったダンダラ頭だし。

 話しかけられないように、窓の外を見ながらじっと縮こまっておこう。

 自己紹介したって困るのだ。

 勇者科一年の無学勇者むがくゆうしゃです。いえ、中学校のときは何もしてません。ニックネームは、特にありません。勇者は本名です。クラスメイトから名前を呼ばれたことはありません。いえ、苗字で呼ばれるとかじゃなくて。趣味、ですか?下を向いて歩くことかな。何か落ちてるかもしれないし。特技?まあ、多摩川を風呂代わりにできるのは、僕ぐらい。ペットは飼ってないけど、実家にはニワトリがいます。好きなタレントは、ええと、ええと、芸能人ですかね。ちょっとテレビは見たことがなくて。いえ、ガリ勉じゃないです。好きな音楽ですか?君が代なら歌えます。得意なスポーツは、サマースポーツなんですけど、ラジオ体操の経験があります。お父さんとお母さんのどっちが好きか、ですか。どっちも嫌いですね。志望動機、ですか?この世に希望が持てなくて。

 ……。

 ……紹介できない。

 ……自己を紹介できない。

 これでは、国から特定自殺願望者の指定をされてしまう。

 自己紹介というのは、見知らぬ人同士の溝を埋めるために存在しているのだと思うが、紹介したらかえって溝が深まってしまう。

 ここは必殺寝てるフリしかない。

 目を閉じてバスの揺れに身を任せる。

 ……、ゴンッ。

 痛てぇ。

 前の座席の裏のドリンクホルダーに頭をぶつけてしまった。

 くう〜。バスって揺れるんだな。遠足も修学旅行も行かなかった僕は乗った経験がない。

「大丈夫かい?」

 隣の席から、朴訥な低音で身を案じられた。

 しまった。会話を避けようとしていたのに、自ら会話のきっかけを作ってしまった。

 は、はは、はは。

 恥ずかしさと何て言っていいのか分からないのとで、引き攣った笑顔を隣の子に向ける。

 はは、はははは。

 何やってるんだろう。これじゃ完全に不審者じゃないか。いつまで笑ってるんだ僕は。

「まあ、大丈夫か。そのくらいでダメージを受けてたんじゃ、異世界で戦えないからな」

 言葉に軽い東北訛りがある。

 意志の強そうな太い眉毛に、ギョロ目。エラの張った、がっしりとした顎。肩幅が広く、全体的に肉付きがいい。

 短く刈られた角刈りは、高校生というより板前さんのよう。

 ファッションという言葉から出来る限り距離を置いたような、人気のない色同士を組み合わせて織られたであろうチェックシャツ。

 僕から見ても、ダサいというかモサいというか。

 その子はすぐに僕に対する興味を失ったようで、顔を前方に向けると、どこを見るでもなく、空中のある一点に目を置いた。

「い、一年生の方ですか」

 落ち着いているから、もしかしたら上級生ということもあり得る。一応敬語。

「うん」

 その子は興味なさそうに短い返事を返してよこした。

 う。話しかけてはいけない人だったか。何やってんだろう。さっきまで僕がやろうとしていたことだったのに。

「勇者科一年の独出進ひとりですすむです」

 へ?どこに?

 あ、ああ。自己紹介してくれたのか。進って名前ね。

「あ、ぼ、僕も勇者科です」

 そうか。この人も勇者科なんだ。じゃあ、同じクラスかな。

「ふうん」

 と言ったきり、彼はまた空中のどこかを見て黙ってしまった。

 しまった。自分から話しかけたら、自己紹介せざるを得ないじゃないか。ここからが大変なんだよなぁ、僕の場合。自己紹介する度に説明が必要だとは。

「一応」

 口を開いたのは、彼の方だった。

「え?」

 意外なことで、戸惑ってしまう。

「一応、名前」

「あ、ああ。む、無学勇者です」

 驚かれるだろうなあ、と思ったけど、彼は表情一つ変えずに、ずっと空中を見つめたままだった。

「そうか。グッドラック」

「へ?」

 顔の表情筋をピクリとも動かさないまま、彼は意志の強そうな目をこちらに向けた。

「幸運を祈るっていう意味」

 あ、いや。

 英語が分からなかったわけじゃないんだけど。僕の名前に無反応だとは。よっぽど人間ができているのか、それとも他人に関心がないのか。

 まあ、悪い人ではなさそうだけど。

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