第17話 紅蓮の聖鳥

 あたしは王都を離れ、森の中に入っていた。


 お供に選んだ聖獣はフェンリルである。森の中で見かけた鬼火──フレイムバードを発見した時に一緒だったのはこの子だし、匂いも覚えてるでしょうから、他の子を喚ぶ選択肢はなかった。

 逆に「どうしてその選択になったの?」って言いたい事態も起きている。


「イリアスさん、本当に森の中でフレイムバードを見たんですか?」


 一緒についてきたミュールが、訝しげにそんなことを聞いて来た。

 そう、何故か彼女も「一緒に行きます!」と、頑なな態度で付いてきちゃったのよ。装いも、お姫様のドレスから動きやすそうな冒険者っぽい服装に着替えてる。


「王都で待ってなさいよ」

「私はエルフ森林王国の姫ですよ。言うなれば、被害の当事者です。事の推移を見守る義務があるじゃないですか」

「危ないかもしれないわよ?」

「危ないんですか?」

「……そういうこともあるって話」


 契約前の聖獣との対話は、相手の性格にもよるけど、危ない目に遭うこともあるのよ。

 実際、フェンリルと契約を結んだ時は「力を見せよ!」とか言って襲いかかって来られたし。その時は、一緒にいたルティがピンっと弾いた中指で鼻っ面を叩いたら、吹っ飛んで決着が付いたんだけどさ。


 さすがのあたしも「やり過ぎでしょ!」って怒ったんだけど、そしたらルティがしょんぼりしちゃってね。でもそれが良かったのか、それでフェンリルはあたしと契約してくれたんだっけ。ああ、懐かしい。


 それはともかく。


「どれだけ日数が掛かるかわからないわよ? 野宿とかできる?」

「馬鹿にしないでください。これでもアイン様とパーティを組んでいた元冒険者ですよ。そのくらい、どうってことありません」


 こりゃテコでも帰らんって感じだなー。

 まぁ、今はすっかり日も暮れて、明かりが全然見えない夜の森。今から「帰れ」って言うのも、逆に危ないか。


「じゃあ、今日はここで野営するわよ」


 あたしがそう言うと、ミュールは「えっ?」と驚きの声を上げた。


「ここ、川が近いわけでも開けてる場所でもない森の中ですよ!?」

「異論は認めませーん。無理言って付いてきたのはそっちでしょ?」

「そうですけど……」


 それでも何か言いたそうなミュールを無視して、あたしはマスタースライムを喚び出した。


 えーと、野営に必要なのは……焚き火用の薪に簡易コンロ用の耐熱レンガ、料理に使う飲料水に飲水としての果実酒。夕飯はヴォイド・ドラゴンの肉でいっか。調味料各種に調理器具、食器に……寝袋って二人分あったかな? お、あった。あとは椅子にテーブルに魔導ランタン……タープも出しておくか。朝露で濡れそうだし。あ、そうそう。虫除けも必要よね。


 他には……なんかあるかな?


「ミュール、何か欲しいものは……頭抱えてどうしたの?」

「いえ……いえ、もう何も言いません。イリアスさんの無茶苦茶っぷりは今に始まったことじゃないので」

「なんの話?」

「なんでもありませんっ!」


 お、おお? なんで怒ってんの? もしかしてトイレ?

 そんなことを言うと、ますますキツい目でミュールに睨まれた。もう、なんだってのよ。


 なんだか、あたしが何を言っても怒られそうなので、その後は黙々と野営の準備を進めた。


 タープを張ってコンロを組み上げ、薪を置いて火を熾す。火熾しにはあたしならではのやり方があってね、それは製作使役クラフトマギアを使うのよ。


「製作使役をそんな風に使う人を初めて見ました……」


 ミュールが感心してるのか呆れてるのかわからない声で、そんなことを言った。


「かなり便利なのよ、これ。すぐに火が点くし」


 火が点いたら、あとは普通の野営よね。ヴォイド・ドラゴンの肉を材料に夕飯を作って食べて、あとはまったりと夜が明けるのを待つばかり。


「なんだったら先に寝てていいよ」

「あの、見張りは? 野盗はともかく、野獣の類はいくらでも出てくると思うんですけど……」

「え、フェンリルがいるのに出るわけないでしょ」

「ですよねー」


 ミュールもそれで納得してくれたようで、寝袋に潜り込んだ。もう、さっさと寝たいと言わんばかりの態度である。


「……イリアスさん」


 あたしが果実酒で唇を湿らせていると、寝袋から顔半分を出したミュールがか細い声で話しかけてきた。


「私の祖国は……聖獣に粛清されなければならないような、世界の調和を乱すようなことをしていたんでしょうか……」

「ん? んー……聖獣が動くってことは、そうなんじゃない?」

「そう……ですか。なら、フレイムバードが成そうとしていることを邪魔してはなりませんね」

「そんなことないわよ?」

「え……?」


 ミュールが驚く声を上げるけど、そんなことを考えていたことにこそ、あたしはビックリだよ。


「聖獣が成そうとしていることが理不尽だと思うのなら、それに抗ったっていいのよ。その権利を、人は持ってるんだから」

「でも、そうしてしまえば世界の調和が……」


「そうね、歪むわね。だから、その責任も背負うことになる。なんだってそうでしょ? 何かを成そうとするのなら、その代償は必ず支払わなければならない。聖獣だってそう。今回の件では、フレイムバードが世界の調和を保つために成すことで、エルフから恨まれることになるかもしれない。その恨みこそが、成したことに対する代償よ」

「………………」

「ミュールはどうしたい? 代償を背負いたくないというのなら、何もしなければいい。けど、そうじゃないなら覚悟を決めるしかない。どうする?」


 そんなあたしの問いかけに、ミュールはしばらく経ってから口を開いた。


「正直に言います。私は祖国を守りたい。けど……歪む世界の調和を背負う覚悟なんてありません」

「ああ、それなら大丈夫」

「え?」

「あたしが居るもの。あんた一人に背負わせたりしないわよ」


 あたしの返事に、ミュールがハッと息を呑むような吐息を漏らした。


「そう……ですね。そうでした……私には……イリアスさんが……私、の……ヤドリギ……」

「あ、そうだ。そのヤドリギって……」


 って、なんか寝息が聞こえる。ちょっと待ってよ、話の途中で寝ちゃったの?


「……ま、いっか」


 疲れてたんでしょうね。

 急に国から呼び戻されたかと思えば聖獣に襲われているし、その聖獣は世界の調和を保つために襲ってるとか言われて、いろいろ思い悩んでたのかしら。らしくない弱音も吐いてたしね。


 そんな感じで、初日の夜は更けていった。


■□■


 そして翌日。


 後片付けは、準備の時よりずっと楽だ。マスタースライムをまたまた喚んで、野営具一式をまとめて取り込んでもらえば、それで終わり。一分も掛からない。


「んじゃ、探索を再開しますか」


 けれど、二日目の探索も空振りに終わった。

 うーん、これは持久戦になっちゃうか……?

 そんなことを思った矢先のことだった。


『来たぞ』


 三日目の朝……いや、朝というには少し早い時間、あたしがフェンリルを枕に眠っていると、そんな声とともに揺り起こされた。

 閉じていた瞼を開けば、火の消えた簡易コンロを挟んだ地面の上に、紅蓮に燃え盛る一羽の聖鳥が佇んでいた。


 こうやって落ち着いた状況で間近に見ると、この子がずいぶんと階位の高い聖獣だとわかる。

 これと言った敵意や威圧感はない。だいぶ落ち着いてると見て間違いなさそう。傷を負わせたから荒れ狂ってるかと思ったけど、それほどでもないようなのは不幸中の幸いかしらね。

 と、あたしが寝起きの頭で分析してると、横からガサガサガサっとせわしない音が聞こえてきた。


「ふ、フレイムバード……本当に……!」


 どうやらミュールも起きたみたい。思ったよりも近い距離にいるフレイムバードに、驚き、戸惑い、警戒してるみたいね。

 あたしはそんなミュールに手をかざして、ちょっと落ち着けと合図を送る。ついで黙ってて欲しい。


「はじめまして……って言うのは違うか。前はゴメンね、急なことでこっちも退くに退けなかったの。傷はもう大丈夫?」

『問題ありません』


 やっぱり喋れる子か。それも、ずいぶんと澄んだいい声ね。御神木側の上空でやりあった時なんて、金切り声で嘶いていたのに。


「あたしはイリアス・フォルトナー。あなたの名前を教えてくれる?」

『私はフェニックス。生と死、再生と破壊の輪廻を見守る者』

「フェニ……ッ!」


 思わず声を上げそうになったミュールが、慌てて口をふさぐ。

 そんなミュールの様子にフェニックスはちらりとも目もくれず、真っ直ぐあたしにだけ目を向けていた。

 それにしても、フレイムバードの正体がフェニックスとはねぇ。かなり階位の高い聖獣かなと思っていたけど、よもや生と死を司る立場だったとは。


 ……あれ? でも、この子がわざわざ神域から出張ってきてまで、世界の調和を保とうとしなきゃいけないことが王都で起きているってことよね?

 なんだか予想もしてない方向へ話が転がりそうで、ちょっと怖いわ……。


「それで? フェニックス、あなたがあたしの前に出てきてくれた理由を教えてくれる?」

『神域の扉を開く者よ。私とともに世の理を守ってほしい』

「あたしに協力してほしいってこと?」

『然り。この地に聳える巨大樹の内部に、冥府の門が開こうとしています。今日か、明日か、それともしばしの猶予があるのか……いずれにしろ、程なく亡者が現世に溢れ出るでしょう。私は、それら亡者の御霊を、正しき流転の理へ導く役目を果たさねばなりません』


 冥府の門? 亡者? ちょっとちょっと、もしかしてエルフは死霊術でも使ってるって言うの?


 ミュールを見てみれば、両手で口を押さえてふるふると首を左右に振っている。


 そんなことはしていないって否定したいのか、はたまたミュールが知らないだけで、エルフ森林王国では死霊術が密かに使ってるのか……なんであれ、流転の理を保つ聖獣が、冥府だ亡者だなどとのたまうってことは、そういうことが実際に起きているってことよね。


「どうしてあたしに協力を求めるの?」

『汝が神域の扉を開く者だからです』

「でも、あなたは冥府の門を閉ざして、亡者を正しい流転の理へ導きたいんでしょう? それなら、協力を求めるのはあたしじゃなくてエルフの方じゃない?」

『彼の者の中に、神域の扉を開く者はおりません』


 ふむふむ、なるほど。〝彼の者の中に〟ね。

 そういう風に考えているのなら……この子は随分な箱入りってことがわかる。悪い言い方をすれば、世間知らずだ。

 おそらく、今までろくに神域から出たこともないんでしょう。課せられた役割を果たす機会がほとんどなかったんだと思う。


 それなら──。


「一つ聞かせて。なんであなたは冥府の門を閉ざして、亡者を正しい流転の理に導こうとしてるの?」

『それが世の理であり、私の役目だからです。そうすることで、世界の調和が保たれるからです』

「それは、本当にこの世界に必要なことかしらね。世の理が乱れ、調和が保てなくても、この世界の人たちは困るのかしら?」

『世界は生と死の境界が失われ、何も生まれず何も滅びず、停滞した世界になってしまう』


「逆を言えば、人々は二度と会えない死者と再会し、生者は永遠を生きることができるというわけね。それを望む人は多いわよ? かくいうあたし自身、冥府に会いたい人がいる。あら、困ったわ。あなたに協力する理由がなくなってしまったわね?」

『それは世界の理に逆らう所業です。世の調和を乱す行いです。それは、決して許されるものではありません』

「許されない? 許されないって、誰が? 誰に?」

『それは──』

「フェニックス、あなたは一つ忘れている」


 何かを言い掛けたフェニックスの言葉を遮り、あたしは畳み掛ける。


「世界の理に逆らい、調和を乱そうとしているあたしたち人間もまた、この世界の一部だということよ。もし、この世界が僅かな抵抗も乱れも許さないと言うのなら、あたしたち人間は存在すら許されないんじゃないかしら?」

『それは……それならば……』

「そうよ」


 声にどこか怯えの色をにじませるフェニックスに、あたしは告げる。


「あなたは、もはや役割に縛られる必要はない。あなたは自由よ」

『ならば! 私は存在意義を失う! 消えてしまう!!』


 来た! やっぱりすぐに堕ちた!

 フェニックスは、けたたましい嘶きを張り上げると、周囲の木々を燃やし尽くさんばかりに炎を踊らせた。


「フェンリル!」


 あたしが声をあげれば、フェンリルは待ってましたとばかりにフェニックスへ襲いかかった。

 噴き荒れる炎なんてものともしない。ことごとく喰らっていく。


 フェニックスの炎に対抗するには、フェンリルに任せるしかないと思っていた。


 フェニックスの炎は不滅の炎だ。水を操る聖獣で対抗しようとしても本当に消せるか読めなかったし、そもそも水蒸気爆発でも起きたら洒落にならない。

 逆に、同じくらいの熱量を持つ炎で競り合えば辺り一面焼け野原になっちゃっていたでしょう。


 けれどフェンリルなら、あらゆる事象を〝喰って〟消すことができる。

 あの子の〝喰う〟っていうのは、実際に口で食べることじゃなく、尻尾の先まで有効な〝吸収〟の技能だ。

 あの子が技能を発動している間は、触れたものがなんであれ──それこそ不滅と呼ばれるものでさえ──強制的に喰われてしまう。


 だからこそ〝終焉の獣〟と呼ばれる。それがフェンリルだ。


 そんなフェンリルの牙ならフェニックスにも届く。爪を突き刺して地面に押し付け、牙を喉笛に食い込ませることができる。


 うちの子は、モフモフ可愛いだけじゃないんだからね。


「落ち着きなさい、フェニックス。あなたは消えない。あたしが消させない」


 フェンリルに組み伏せられ、暴れることもできなくなったフェニックスへあたしは語りかける。

 どういうわけか、あたしの声や言葉は聖獣たちによく響くんだそうな。すでに契約を結んでいる子たちがそう言ってた。


 だからなのか、自己の消滅という、本来であれば起こりようもない出来事が目の前に突きつけられて半狂乱になっていたフェニックスは、一転しておとなしくなっていた。

 これなら大丈夫だろうと、あたしはフェンリルを下がらせた。

 思ったとおり、フェニックスは大人しくあたしに視線を注いでる。


「あなたはこの世界の調和を保つための道具じゃない。知恵がある。自我がある。ならば、あなたは考えなければならない。自らの在り方を選択するために」

『私は生と死、再生と破壊の輪廻を見守る者。それが私。それこそが、私の成すべきこと』

「違う。それ〝も〟あなたというだけのことよ」


 もし、聖獣が果たす役割のためだけに存在が許されると言うのなら、そこに知恵はいらなかったはずよ。自我もいらない。ただの道具で良かったはずなのよ。

 けれど聖獣には人と同じように、人以上に、知恵があり自我がある。


 何故、この世界を作った神様──始祖龍は、そんな知恵と自我を聖獣に与えたんだろう。


 あたしの考えだと、おそらく聖獣には各々に与えられた役割なんて、本当はなかったんだと思う。

 けど、出来たばかりの頃のこの世界は混沌としていた。


 規則ルールが必要だった。


 だから始祖龍は、聖獣に規則を堅持する強力な枷をはめた。規則は守られてこその規則だから、そうせざるを得なかったんでしょう。

 でも、この世界は変化を求めている。可能性を示してる。進歩──いえ、進化というものが許されている。


 世界に規則は必要だ。


 けれど、その規則を超越した変化もまた、必要なのよ。


「この世界を知りなさい、フェニックス。生と死、再生と破壊の輪廻を見守る役目を担わされたあなたは、この世界を知って変わることが許されている。その旅路をあたしが調べ、あなたへ教え、共に歩んでいくと誓いましょう」

『……受け入れましょう。私はあなたと共に』


 あたしが示し、フェニックスがそれを受け入れた。これで場は整った。


「〝契約コントラクト〟!」


 あたしの〝力ある言葉〟でフェニックスとの経路が繋がる。


 ここにまた一匹、あたしと契約を結んだ聖獣が誕生した。

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