第9話 森の中で燻る炎
ダンジョンを中心とし、周囲を取り囲むように栄えた七つの前線都市を含めて一つの〝ダンジョン国家〟と捉えるならば、エルフ森林王国はそんなダンジョン国家の北東に位置する。
国土の広さはおおよそ五〇万平方キロメートル。わずかな起伏くらいしかない、なだらかな丘陵地帯となっており、ほぼ全域に渡って、見上げても先が見えないほど長く大きく成長した常緑樹に覆われている。
そんな森の中で生活するエルフたちの住居は、基本的にツリーハウスだ。それぞれの住居、商店、その他諸々の施設への行き来は吊橋で繋いである。
一方で、エルフ森林王国は他国からの旅行者や商人も訪れる開放された国家でもある。外部の人間にしてみれば、吊橋しか移動経路がないのは不便で仕方がないし、馬やらロバなど荷車を引く輓獣を連れての移動なんてできるわけがない。
そんな旅人や商人のために、地面にも道はある。
あるけど、それは他と違ってちゃんと整備されてるわけじゃなく、獣道が長い間踏み固められて道になった程度のものだ。
「道の整備くらい、ちゃんとすればいいのにねぇ」
そしてあたしは、そんな森林道へと続く平原をフェンリルと並んで歩いていた。
もうすぐ森が見えて来て、そこからがエルフ森林王国になる。やろうと思えばフェンリルの背に乗って直接エルフ森林王国の王都エルヴィンに行くこともできたけど、さすがに他国への入国で出入国審査を受けないってのはダメでしょ。
『……妙であるな』
そろそろ出入国管理を行っているエルフ森林王国の砦が見えて来るかという場所で、フェンリルがポツリと呟いた。
「妙って?」
『妖精どもがあまりに静かである』
「妖精? どっちの?」
『両方だ』
世間一般的に妖精と言えば、肉体を持つピクシーと肉体を持たないフェアリーの両方を指す。ちなみに、あたしと契約しているティターニアは肉体を持ってるので分類的にはピクシーになるけど、従えているのはフェアリーの方だ。
なので、妖精族の中ではフェアリーもピクシーも大きな違いはないのかもしれない。ヒューマンとエルフくらいの差、とかかもね。
『エルフの森は本来、耳をふさぎたくなるほど騒がしい場所である。にもかかわらず、これほど近づいても彼奴らの羽ばたき一つ聞こえてこない』
へぇ、そうなんだ。エルフの森が騒がしいなんて聞いたことなかったな。それとも、人間より優れた五感を持つフェンリルだから、妖精たちの音が聞こえるのかしらね?
「ともかく、行ってみましょ」
あたしは、そのままフェンリルを連れてエルフ森林王国の国境砦へと向かう。
そこは木造建築の砦だ。けれど、その見た目に騙されちゃいけない。
エルフの砦は堅い。あの木材、何がどうなってるのか知らないけど、ちょっとやそっとの火では燃やすことができないらしい。
魔法を使ってもダメ。かなり上位の火魔法でないと、燃やせないんだってさ。
さながらそれは、現状の姿で時間が凍結されてるんじゃないか? ってくらい頑丈だと言われている。
そんな国境砦の横にある関所へ、あたしは足を踏み入れた。
「エルフ森林王国への入国手続をお願いします」
そう言ってあたしが税関に差し出したのは、冒険者ギルドのギルドカードだ。
ダンジョンを含む前線都市の出身者は、国や領主といった身分を証明する後ろ盾がない。その代わりになるのが各種ギルドというわけなのよ。
だからこの場合、商業ギルドのギルドカードを提出してもよかったんだけどね。
「国内での目的は?」
「人捜し。冒険者ギルドからの依頼でね」
渡したギルドカードの内容を書類に書き写しながら聞いてきた審査官に、あたしはそう答えた。
もしここで商業ギルドのギルドカードを提出していたら、アールヴの樹の樹液を購入しに来たって言うことになってたと思う。だから商業ギルドのギルドカードは提出しなかった。
だって、アールヴの樹の樹液を手に入れるって目的を、エルフ相手に話せるわけがないもの。
「お連れの方は?」
「人間はあたし一人。あとは、契約している聖獣が一頭。フェンリルよ」
「フェンリル!?」
おや? 書類への記入で必死になってたから、フェンリルのことに気づいてなかったのかしら? えらく驚かれてしまったわ。
「あたし調教士で、この子は契約してる聖獣なんだけど……入国するのに何か問題ある?」
「調教士……」
「何か?」
「い、いえ、失礼しました。フェンリルほどの聖獣を見るのは初めてなもので……あ、それと入国されたらどちらへ向かうつもりですか?」
「王都エルヴィン。尋ね人がそこに住んでるって話だからね」
「王都? ……わかりました。これで審査は終了です。入国税は一万三二〇〇エンになります」
言われた通りの金額を払って、あたしはエルフ森林王国へ足を踏み入れた。
国境砦をエルフ森林王国側に出れば、景色がガラッと変わる。
鬱蒼と茂る森に空は覆われ、昼間でも薄暗い。太陽の熱が届かないからか、ちょっと寒い。けどまぁ、それでもすぐに慣れそうな寒さではある。
「……妙ね」
しばらく森を進んでから、あたしはポツリとこぼした。
『主も気づいたか』
「うん……あ、妖精のことじゃないわよ。ピクシーはともかく、フェアリーになると、さすがのあたしでも気づけないから」
『む、そうか。では何が妙だと言うのだ?』
「さっきの審査官の態度。あたしが『王都に行く』って言ったら、返答にちょっと間ができたでしょ?」
あの態度は驚きと戸惑い……いや、普通に迷いかな? なんて言うのかな、「え、ホントに王都に行くの? うーん……まぁいっか」みたいな気持ちが感じ取れた。
もしかして、王都で何か起きてる? 必死に止めるほどじゃない。けれど、審査官が「この時期に?」って思ってしまうような出来事が。
「フェンリルの方は? 妖精が静かだって言ってたけど、やっぱり静かなまま?」
『人族の言うピクシーは姿を隠し、フェアリーの存在も希薄である。豊かな森の中で、これは異常であろうな』
「……なんか居る?」
『近くにはおらん……が、風に乗って焦げ臭さがあるな』
「ふーん?」
フェンリルがそう言うってことは、ただの小火とか火事ってことじゃないわね。
もっと別の──それこそ魔法的な力を借りた炎で、何かが燃えた臭い……ってことでしょう。
「少し、王都へ行くのを急ぎましょうか」
『承知』
ここから王都までは、普通に馬車でも使えば三日か四日くらいは掛かる距離だったはず。もちろん、合間に輓馬を休ませる時間も含めてね。
けど、うちのフェンリルなら半日くらいで到着できるはず。ただ、それでも到着は日が暮れて夜になってると思う。
夜に到着して、宿が取れるかしら……?
まぁ、いざとなったら野宿でもいいか。あたしにはフェンリルがいるし、野宿でも、あのモフモフの毛並みに包まれて眠れるなら下手な宿より熟睡できそうだ。
そんなことを考えながら移動すること数時間。元から薄暗い森の中は夕暮れ時にはすっかり暗くなり、想像してた以上に真っ暗になってきた。
なんだかダンジョン地下階層の三十一階を思い出すわ……。
『……ぬ』
そんな折、順調に疾駆していたフェンリルが急に足を止めた。
「どうしたの?」
『焦げ臭さが強くなった』
「んん?」
それはつまり、臭いのもとが近くにいる──ということかしら?
でも周りはすっかり闇の中。『焦げ臭い』と言うのなら、それはどこかで何かが燃えてるということで、火の明かりが見えてもおかしくない。
けど、見える範囲ではどこにも明かりなんて──いや、あれか?
街道から脇にそれた雑木林の中、あたしの腰の高さまで伸びた雑草の陰に隠れて、チラチラと赤い光が揺れている。
それを〝炎の揺らめき〟と言えばそう見えるけど、魔導ランタンの光みたいな魔法の輝きと言われれば、そういう風にも見える。
「
あれは……聖獣だ。理解できない自然現象や魔法とかでもなく、フェンリルと同じ、神域を住処とする聖獣で間違いない。
数多の聖獣と契約してきたあたしにはわかる。
あの炎のような光は、聖獣だ。詳しい正体まではわからないけど……でも、なんでこんな所に? あたしと契約してる子……じゃ、ないわよね?
他の調教士と契約して……んー……そんな感じでもなさそうだなぁ。
どうしよう。契約しておいた方がいいのかしら?
いやでも、自らの意思でここにいるのだとしたら、それは何かしらの理由があるってことよね? 下手に声を掛けると機嫌を損ねかねないなぁ。
どうしたものか……。
「……あっ」
あたしが迷っていると、鬼火っぽいけどたぶん鬼火じゃない聖獣は、ヒュンッと光の軌跡を残して空に飛んでいってしまった。
『追うか?』
「いや、放っておきましょう。なんか目的があるのかもだし、邪魔しちゃ悪いわ」
それに、あたしたちにはあたしたちの目的があるしね。たまたま出会った聖獣を追いかけるのは、また今度にしときましょう。
「それより、早く王都まで行こっか。日が暮れると、宿が取れるか心配だわ」
『相分かった』
あたしの言葉を受けて、フェンリルが再び走り出す。
……あれ? そういえば、あの鬼火が飛んでった方向も王都方面だったわね。誰とも契約を結んでない聖獣が、人里に近づくことなんてあるのかしら?
やっぱり、どこかの調教士と契約を結んだ聖獣だったのかなぁ。
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