パラレルワールドー小学生白書 第Ⅲ部ー

Benedetto

プロローグ

 太陽が暖かく大地を照らす昼下がり、その少年はひとりで釣りをしていた。


 深水ふかみ仁栄じんえいは橋の上から、川の土手に座って釣りをしているその少年を見つけると思わず声をかけた。


「おーい! 釣れてるかー?」


 自転車で器用に土手を滑り降りると、少年の手前でブレーキを掛ける。


「あ、ごめん! てっきり知ってるやつかと思っちゃった」


 仁栄は少し照れながら頭をかく。


 少年は気にすることなく「全然ダメだ! さっぱり釣れねー。この赤いやつは一体何が好きなんだ? 醤油センベイじゃあダメなのか?」と返事をした。


 少年が釣竿をグイっと引き上げると、川の中からふやけた醤油センベイが姿を現した。


「え!? 醤油センベイじゃあ釣れないよ! ってか、ザリガニだったら網で掬えば一発じゃん!」


「バーカ、それじゃあ風情がねえだろ」


「フゼー? 何だそりゃ?」


 仁栄はバカと言われたことよりも、少年の使った意味の分からない言葉の方に気がいった。彼は改めて少年を良く観察してみた。白と青のTシャツの重ね着に、デニムのハーフパンツに野球帽にゴーグルをつけていた。背格好は来週から三年生に上がる仁栄よりも少し高い。


「何か持ってないのかよ? この赤いやつ、『ザリガニ』っていうのか? こいつを釣り上げるのに」


 少年は仁栄の方を一瞥すると、すぐに視線をふやけた醤油センベイの方へ戻した。


「うーん、そうだな。餌を付けなくて、釣り上げたい場合は……エージたちが、ザリガニの尻の皮を引ん剝いて餌にしてたのは見たことがあるけど……」


「尻の皮を引ん剝いて……?」


 少年は顔をしかめる。


「あっ! 待てよ……そうだ!」


 仁栄は何か思い出して、ポケットの中をゴソゴソと探り始める。


「あった! ザリガニはこいつが大好きなんだ!」


 そう言うと、仁栄は少年の釣り糸にスーパーでおやつに買ったスルメイカの足をグルグルと巻きつけはじめた。 


「おっ、サンキュー!」


 早速少年は釣竿を川の中に落とす。


「おおっ!! うりゃっ!」


 数秒もしないうちに、イカの足に食いついた大きなザリガニが姿を現した。


 十分後には、少年の持ってきたバケツはザリガニで山盛りになっていた。


「うわー!! すげー!! 水無し川のザリガニ全部捕まえたんじゃない?」


「へー、っていうのか、この川……」 


「え? 知らないの?」


「知らねーよ。オレ、今朝引っ越して来たんだから」


 ザリガニで一杯になったバケツを持ち上げながら少年は答える。


「え、そうなんだ……あれ? どうするのそれ?」


「キャッチアンドリリースだよ! うりゃ!」


 バケツから投げ出されたザリガニたちが宙に舞った。ズボンッズボンッと大きな音を立てて次々と川の中へ落ちていく。


「うわー……」


「あんなに家に持って帰ったって、どうしようもねーだろ?」

 残念そうに川の方を見ている仁栄を尻目に、少年は釣竿を折りたたみ始める。 


「そうだね……あれ? もう帰っちゃうの?」


「ああ、まだ引っ越してきたばっかりで片付けも残ってるからな。それに、カラスが鳴いたら帰りましょうってね、へへへ」


 笑いながら少年が空を見上げると、数羽のカラスが鳴きながら彼らの頭上を飛んで行った。空はもう夕焼けで真っ赤に染まりつつあった。


 橋の下に停めていた自転車の荷台に釣竿を括り付けると、少年は一度だけ仁栄の方を振り向いた。 


「オレの名前、トーマって言うんだ。よろしくな!」


 少年は微笑むと、急斜面となっている土手を自転車でジグザグと器用に登って行く。


「オレの名前はジンエー! またな、トーマ!」


 慌てて仁栄も自分の名を告げると、少年は土手を登りきったところで、自転車を一旦停止させると振り向いて手を振った。


「またな、ジンエー!」


 仁栄は少年の後姿を嬉しそうに、暫く見送っていた。

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