第六章 オーシャン
駅前には十数台のタクシーが停車していた。そのどれもに運転手が着座していたが、中にはタイヤがパンクしているものや、フロントガラスが粉々に割れたまま放置しされているものもある。車列の一番後方に停まっているやつなど、割れたガラスから雀が入り込んで、運転手の股間辺りに巣を構えているものすらあるではないか。それでも運転手は、それをお客として認識できないのか、営業用の笑顔を顔に張り付けつつ、ステアリングを握ったまま黙って前を見つめるだけだ。
そんな中から、車体に問題の無さそうな一台を見繕って、カナリーは声を掛けた。
コンコン。カナリーがウィンドウを軽く叩くと、それまでマネキンのように一点を見つめて動かなかった運転手が、スタンバイ状態から復帰した。彼はウィンドウを下ろすと、にこやかに笑いながら言う。
「おぉ、これは珍しい! 300年振りのお客さんだ!」
「こんにちは」
「どうぞ、どうぞ。お乗り下さい」
彼がそう言うと、後部座席のドアが少し軋みながら開いた。
乗り込んだ彼女を確認すると、運転手はドアを閉めてルームミラー越しに話しかける。
「どちらまで?」
「判らないの。それを教えて貰いたくって来たの」
それを聞いた運転手は少し目を丸くしたが、それでも何か面白そうな匂いを感じ取ったのか、ニコニコとした笑いを顔に張り付けた。
「ふぅ~ん、お客さん、面白いこと言うね。まぁリラックスしてよ。時間はたっぷりと有るんだ。これから私が、お客さんをどこに連れて行けばいいのか、一緒に考えようじゃないか。あっ、私の名前はオーシャン。よろしく」
「ありがとうオーシャン。私はカナリーよ。よろしくね」
そして彼女は、これまでの経緯を語って聞かせたのだった。
「あっはっは、そんな奴らに聞いてもムダさ。だってアイツら、ジッと一か所にいて何処にも出歩かないんだから」
「貴方は知ってるの、オーシャン。神様がいる所?」
「うぅ~ん・・・ 知ってるわけじゃないけど・・・ あそこにならいるかもしれないって所なら知ってるな」
「連れてって、お願い! 私、どうしても聞きたいことが有るの!」
オーシャンは楽しくてしょうがないといった様子で車の操作を開始した。すると、それまで眠っていた車は、電源を入れられたコンピューターのように起動し、ルーティンに従ってあらゆる装備の自己診断を開始した。
「あぁ、お安い御用さ。どうやら電車のダイヤが乱れているらしくって、いつ動き出すやら。当分、客も来なさそうだから連れて行ってあげるよ」
「ありがとう、オーシャン!」
自己診断を終えた車が機械的な音声で問いかけた。
『全ての機能は正常です。目的地を入力して下さい。最良なルートを検索します』
オーシャンはまるで自分の子分に話しかけるように言った。
「行き先は厚木。TTNのコンテナデータセンターだ」
彼の言葉を音声解読した車両端末は、暫く考えた後にレスポンスを返した。
『当該施設は、一般人の立ち入りを制限しています。お客様のアクセス権を確認して下さい』
「お前は余計なことに口出しするんじゃない! 私が厚木と言ったら厚木に行くんだ!」
『しかし、特別行政区国家安全維持法の第3章55条によると・・・』
その忠告も聞かずオーシャンはステアリングの下辺りをゴソゴソしていたかと思うと、何かの配線をブチッと引きちぎった。その途端に口うるさい車両端末は眠りに就いた。
今度はカナリーが目を丸くする番だった。
「ちょっと、オーシャン。そんなことしても大丈夫なの? 貴方ったら随分と乱暴なのね」
そう言いながらもカナリーは、可笑しくてケタケタと笑うのだった。
「構やしないよ。こいつはチョットばかし口うるさくてね。暫く眠っててくれた方が、快適なドライブを楽しめるってもんさ」
「アハハハハ」
オーシャンは自動操縦ではなく、自らタクシーを駆って、駅前ロータリーから人気の無い街へと進んだ。道路上に走る車の影は見えなかったが、左右を確認してから大通りへと進入する。
「あちらに見えますのが、スカイツリーでございます・・・ ってか? もう根元の基礎部分しか残ってないけどね。がははは・・・」
「ここだよ、カナリー」
オーシャンが車を停めたのは、窓の少ない黒塗りの、味も素っ気もないビルの前だった。それには誰かを受け入れる為の気遣いは微塵も無く、ただ機能性のみを追求した巨大な入れ物なのであった。厳重な鉄格子に取り囲まれた姿は、逆に堂々とした威厳を備えている風にも見えたが、肝心の鉄格子は所々錆び付いて崩れ落ち、その威圧感にもほころびが有ることを教えていた。
「終わるまで待ってて上げようか?」
気遣わし気に言うオーシャンに、カナリーは笑顔を返した。
「ううん、大丈夫。先に帰ってていいわ。きっと長くなりそうだから」
「そうかい? じゃぁ気を付けて行くんだよ。私に会いたきゃ、さっきの駅前ロータリーに来ればいい。ひょっとしたら電車が動いて、お客さんが来るかもしれないから、同じ所で待っているよ」
カナリーは後部座席から腕を伸ばし、オーシャンの肩に優しく触れた。
「うん。ありがとう、オーシャン。じゃぁさよなら。連れて来てくれてありがとう」
その手に軽く触れながら、オーシャンがおどけた。
「どういたしまして。これが私の仕事だから。またのご利用お待ち申し上げております。次回も、このオーシャンのニコニコタクシーをご指定下さい・・・ なんてね。がはははは」
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