第一章 アイボリー
─ 今日の午前中は晴れ。
─ 東北東の爽やかな風が吹くでしょう。
─ 湿度は低くお洗濯日和ですが、午後にはにわか雨の可能性も。
─ お洗濯ものの取り込みは忘れないで下さい。
─ 折角のお花見日和も、今日で最後かもしれませんね。
─ それでは今日も一日、お仕事頑張って!
可愛く拳を握ってガッツポーズを決める。喋るべき台詞は勿論、そんな小さな仕草すらも台本に事細かく書いてある。それを忠実に再現しつつ芝居っぽく見せないのは、それはそれでスキルの要る仕事だ。
私はカナリー。誰もが憧れる華やかな職業、アナウンサーだ。与えられた原稿を完璧にこなせば、みんなが褒めてくれる。街を歩けば、声を掛けられることだって有るし、「可愛いね」とか「綺麗だね」と言われることも有る。しかし、結局は原稿を読み上げるだけの毎日。
私にはもっと他のことが出来るんじゃないかしら?
そんな考えがふと心に沸いて、彼女はここ数日、モヤモヤとした気持ちを抱いたまま毎日を過ごしていた。それでもカメラの前では、そんな心の内を表情に出すことも無く、今日も天気予報の原稿を完璧に読み上げる。爽やかな笑顔の下には、この仕事への疑問が渦巻いていたとしてもだ。
でも他のことって、何?
それが判らないから、じれったくなってしまう。自分に何が出来るかなんて、いったい誰が教えてくれるのだろう? それは教わるものではなくて、自分自身で探し出す物なのかしら?
そんな思いにふけながらスタジオを出たカナリーは、たまたま廊下を通りかかった仲の良いアイボリーを捉まえた。
「ねぇアイボリー。私って、この仕事をいつまで続ければいいのかしら?」
AからEまでのスタジオが並ぶ廊下を、ケーブル類の束を重そうに運んでいたアイボリーが呼び止められて振り返った。彼女は首に掛けたヘッドフォンの位置を直しながら言う。
「何よカナリー。あなた、また変なこと考えてるの?」
「う、うん・・・」
「あなた最近変よ。何処かに行って、一度、ちゃんと診てもらった方がいいんじゃないかしら?」
「だって・・・」
「だってじゃないでしょ。あなた折角アナウンサーに登用されたんだから、もっとそのことを喜びなさいって。私なんかこうやって、いまだに小間使いのまま。嫌んなるったらありゃしないわ」
「だってね、私最近・・・」
「邪魔邪魔。仕事の邪魔しないで。今度ゆっくり話は聞くからさ。んじゃぁね」
アイボリーはケーブルの束をジャラジャラと振りながら行ってしまった。本人は手を振ったつもりなのだろうけど。カナリーは喉まで出かかっていた言葉を飲み込むしかなく、一人残された廊下でため息をつくのだった。
高度に発展した未来。そこでは、あらゆる場面に調和が浸透していた。調和こそが全ての根幹を成す最重要事項で、皆の行動はその範疇を決して逸脱することが無い。誰かを羨んだりする卑しい心は、自分に与えられた領分を越えて何かを求めることから生まれるものだ。それを知っているからこそ、皆は現状を変えることを消極的に否定するのだった。
管理されている?
いいや、ここでは誰も管理などしていないし、されてもいない。皆が自主的に、そこにとどまっているのだ。皆が現状を在るべきものと捉え、その在るべき姿に自分を適合させている。そうすることが、さも当たり前だというように。そうすることが、自分に課せられた使命であるかの如く。自分らには、そうする以外の選択肢は無いのだと信じているのだった。
そんな世界で「もっと他に出来ること」とは、調和からの逸脱なのだろうか?
カナリーには判らなかった。それを捜すという行為自体が、侵さざる禁を破ることなのかもしれないといった、漠然とした不安が付きまとうのは自覚している。それでも心に浮かんだ疑問の答えが知りたい。カナリーはそう思うのだった。
かつては強大な神々とそれぞれの国が別個に存在し、この星を分割統治していたと言われている。神たちは互いに
従って、調和を乱す者は厳しく排除され、そのシステムに適応できる者のみが生き残る権利を得た。カナリーたちはその末裔だと言われている。
そんな神々の教えを頑なに守り、伝え続けてきたのが今の社会だ。だけど今となっては、その神々を見たことの有る者などいない。これが神々の望んだ理想郷なのだろうか? カナリーには判らないのだった。
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