第1話 君が望むか、望まないかだけだ
病院で目を覚ました時、僕の身体にはベッドと身体を固定するようにベルトが巻かれていた。
ろくに身動きが取れない。
白いカーテンと白い天井と、何やら嗅ぎなれない匂いがする。カーテンで仕切られていて扉の方は見えないが、窓の方が一瞬見えると、鉄格子がついているのが見えた。
左腕には点滴の針がついており、脈拍も測っている様だった。
――ここは……どこ……病院……?
かろうじて動く首を動かそうとすると、首に鈍い痛みが走った。動かすこともままならない。
何やら皮膚を引っ張られているような感覚があった。
――誰か……
指先で手元を確認すると、ナースコールのボタンらしきものを見つける。僕はそれを押した。
――……僕、どうしてここにいるんだっけ……
身じろぎしたが背中の感覚がない。床ずれでもおこしているのだろうか。どのくらいここにいたのだろうか。何も覚えていない。
間もなくして病室の扉がガチャガチャと開いた音が聞こえた。
声を出そうとしても僕は声が出せないことに気が付く。
声を出そうとしたら喉の辺りに痛みが走る。首に引っ張るような感覚があるのと同時に、少しの息苦しさの正体が分かった。首に包帯が巻かれているようだ。
それに戸惑っていたら、入ってきた人がベッドのカーテンを開けた。
僕がそちらを見ると、看護師の人ではなく黒い服の女性だった。明らかに看護師ではないのが解る。
太ももまである銀色の長い髪、紅い瞳、細い身体、白い肌、そして美しい顔の左の頬にある生々しい4本の傷痕。
それはこの国では誰もが知っている人だった。
いや、『人』という表現が適切かどうかは解らないが。
「良かった、目が覚めたんだね」
彼女の名前は『
国王とは別に、この国の管理をしている組織『
時折各区で見ることがあるらしいが、僕はその姿を見るのは初めてだった。
そんなお方が、僕になぜ話しかけてきてくれているのか僕には解らなかった。
意識がハッキリせずに、まだ僕は夢の中にいるようだった。
「自殺しようとした君を助けるのは、野暮だったかな」
そう言われて、僕は断片的に思い出した。
――あぁ、そうだった。僕は死のうとしたんだった……
この喉の傷をつけたときの鋭い痛みや熱さが記憶に蘇る。
「声が出せないかもしれないね、頸動脈もザックリ切れていたし、声帯にも傷がついていたから。しばらくは声を出さない方がいいと思うよ」
緋月様が僕のベッドの脇に腰を下ろした。銀色の長い髪が僕の指先に触れる。
そんなことを気にする様子もなく、緋月様は話を続けた。
「ねぇ、君。どうして自殺しようとしたのか教えて」
僕は声が出せないので話せなかった。
でも、それを語ろうと思い出したときに色々なことが脳裏をよぎって涙が溢れてできた。初対面の緋月様に泣き顔を見せたくはなかったけれど、でも抗えない程に僕は悲しく、涙は僕の目じりを流れ落ちていく。
「声は出ないだろうから話さなくてもいいよ。筆談でいいから書いて見せて」
緋月様は僕を拘束しているベルトを外し、紙とペンを渡してきた。
身体を起こすと背中に痺れがあった。それに、身体を曲げようとすると腰のあたりに痛みが走る。その痛みに耐えて僕はその時のことを思い出し、ペンを取った。
◆◆◆
【昨日】
暗い部屋だ。
カーテンは半開きになっているが、閉める気力はなかったし、そんなことどうでもよかった。外から街灯の明かりが中に多少入ってくる程度で、物の位置がかろうじて分るくらいにしか見えなかった。
僕は絶望に打ちひしがれていた。膝を抱えてこの世の隅に身を寄せる。
この世のすべてが自分の敵に思えた。涙がとめどなく流れてくる。
苦しい。
悲しい。
痛い。
つらい。
死んでしまいたい。
感情の嵐の中で僕は『道』を失った。
暗い部屋で僕は独り、頭を抱えて嗚咽した。吐くものなんてなにもないのに、吐き気ばかりが襲ってきて立っていられなかった。
涙でカーペットが濡れていく。
――もう嫌だ、こんなの。耐えられない……
泣きすぎて頭が割れるように痛かった。クラクラする。まるで高熱を出したときのように意識も朦朧としていた。
明日から、どうやって生きていけばいいんだろう。
僕の周りには『請求書』と書かれている紙が大量に落ちている。
――父さんが憎い、母さんを返して……母さんを……――――
◆◆◆
【現在】
そこからのことはよく覚えていない。
ただ、薄暗い部屋でカッターの刃が鈍く光を反射していたのを覚えている。
今、病院にいてこうしているということは、自殺しそこなって生きているという事実は理解できる。
緋月様に渡すように書いた紙の文字がぐちゃぐちゃだった。自分でも読むのが困難なくらい。
「……お父さんが借金を残して出て行って、君のお母さんは働きづめで過労死した……ってことかな?」
僕はその事実を言葉として形にされると、悲しみが込み上げてきて涙が溢れていた。泣く度に首の傷が痛んだ。
しかし、泣かずにはいられなかった。
「君が望むなら、お父さんに制裁を与えることができるけど、どうする?」
「ど……う……して」
声を一つ出すたびに、喉が焼けるような、裂けるような痛みが走った。
それでも僕は問わずにはいられない。どうして赤紙のトップの彼女が僕に直々にそう言ってくるのか。
物凄く多忙な人のはずだ。
こんな僕の、こんな事件に立ち入ってくれることなどないはず。
しかし事実僕の前にいる。間違いなく赤紙のトップの緋月様だ。
「無理に声を出さない方がいいよ。君が望むか、望まないかだけだ」
僕は色々なことを考えた。
しかし、他に選択する余地なんてない。僕は力の限り首を縦に振った。
「解った。第三者委員会の立会いの元、公平な審判をして君のお父さんの処分を検討しよう」
緋月様はそう言って、僕の病室を出て行った。
そして白い天井と、白いカーテンと、白い壁と、白い服を着た僕と、真っ暗な未来だけが残った。
「うぅ……っ……」
僕は点滴のついていない方の腕で目を隠し、泣いた。
誰に見られている訳でもないのに。
どうして僕は生き残ってしまったのか、どうしてこうなってしまったのか。
どうして、この世界はいつまでも不条理なのか。
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