4.異世界少女は地に潜る
アリスが宿の外に出ると、いつの間にか夜になっていた。
昼と夜のサイクルはかつての世界とは違う。随分と短いように感じる。計ったわけではないし、元からアリスは数日くらい寝なくても何も問題はないのだ。気のせいだと言われれば、そうかも、という程度のものだ。
ついでに言えば、日の出と日の入り、日差しが地平線に近づく時間もまだ見ていない。気づくと昼夜が入れ替わっている。まあ、それもどうでもいいことだ。
夜になると、街にいるプレイヤーの数も、人形の数も随分と減る。
街の中は夜でも明るい。
かつての世界であれば、夜とは暗闇の支配する世界の裏側だ。力のない者は家の中に隠れ、力ある者だけが狩りに出る。
この世界では、夜の闇の中のはずが街灯が灯り、店には灯りがあって暗いとも思わない。それでも、街灯の影、一歩通りを外れた路地、人の目に付かない暗がりは多くある。
ならば、NPC一人を暗がりに引きずり込むだけで人目は消える。なんなら隠蔽魔法を使っておけば、引きずり込むその瞬間を見られたところで大きな問題はない。
「少し、調べておきましょうか」
プレイヤーの使う
それならば人形が良い。
同じ運営の作ったものである以上、共通するところは多いはずだ。
そして路地裏には、バラバラに解体された人形が転がった。
夜のうちに街を出て草原を進む。
襲ってくる魔物を適当にあしらうも、頭の中にあるのは人形の構造だ。
どこを切っても白い断面しか見えないが、マナの流れと合わせてみれば多くのことが分かる。
コロンはプレイヤーとNPCを完全に別のものだと考えているようだ。
しかし、人形の構造を見ると大差ないように思える。正確に知るためにはいずれプレイヤーも解体する必要はあるにしても、NPCの人形にも、魂を納めるべき『器』の存在を確認している。
ならばNPCとは誰もログインしないままに、決められた役割を果たしているだけで、プレイヤーの
考えながら歩いているうちに、草原は岩場に変わる。
「あら?」
そして目の前には崖。
岩場の先には、足元が切り立った崖になっていた。近寄って覗けば、崖の下に森が広がっている。
森の木々が、その天辺でも崖の遥か下にあるのだから、高低差は大きい。どこかに降りるための道があるのかとも思うが……。
「面倒ね」
そのまま飛び降りることにした。
「
風の刃が落下地点の枝を切り落とし、風の渦が落下速度を和らげる。
ふんわりと森の中に降りて、更に歩きだす。その目には崖に開いた穴が映っていた。
*
カッツン、カッツンと音を響かせてツルハシが壁を削る。
ここは採掘場。崖に開いた穴が入口のダンジョンだ。
ダンジョンだから魔物が出る。それよりも大切なのは、採掘場の名前の通り、壁を掘れば鉱石が手に入るということ。
だからこそ、鍛冶師になったばかりのプレイヤーは、このダンジョンで石を掘る。それは通過儀礼であり、何人たりとも逃れられるものではない。そして鉱石の魅力に憑りつかれるのだ。
一度に削れるのはほんの少しだけ。こんな所だけリアルっぽいのは気に入らないけど、振るった分だけ確実に削れていくのは嫌いじゃない。
ひと振り毎に、着実に増えていく鉱石。
手に取ってみれば、石の間に見える赤茶けた鉄や、鈍い銀色が見える。
石を手に、なんとなくうれしくなる。
通路のところどころに付いているランタン。その少ない明かりが、鉱石の中の金属を魅せつける。
石を掘るときにはね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか、救われてなきゃあダメなんだ。うん、そんな感じがする。独りで、静かで、豊かで……
「あら? こんな所で女性に会えるとは思わなかったわ?」
「……ふ、ふヒっ」
独りじゃ、なくなってしまった。
*
見つけた穴の中は、ダンジョンの一つらしい。
鑑定で返ってきた情報には『採掘場ダンジョン』となっている。岩肌が剥き出しで、どちらへ進んでも下り坂の洞窟は、この世界のルールでは、少し違う空間という扱いだそうだ。
実際、入口には空間を無理矢理接続したような歪さがあった。何も聞いていなければ、結界が張られていると思っただろう。
歩いて来た距離だけで考えれば、二つ目の街『セカンド』の下に達していてもおかしくはない。それでもダンジョンはまだ続いている。
岩肌そのものの洞窟なのに、足元だけは平らなのは、そう作られているからか。壁や天井は凹凸があるのに、床だけは滑らかだ。
時折、奥からカツーン、カツーンと金属音が聞こえる。
シュン。
天井から飛び込んできた細長い何かを手に掴む。
『ケイブ・スネーク。洞窟に住むヘビ、麻痺毒を持つ。皮、牙の需要は高い。肉は麻痺毒が染み込んでおり食用に向かない』
ただの魔物だった。
そのまま握りつぶせば、魔物の体は消え、ポロンと牙だけが落ちる。
洞窟は、曲がり、分かれながら続いていく。
奥に進むとカツーンという金属音がはっきり聞こえるようになった。分かれ道を音のする方に進む。
そこにはツルハシを振るう男がいた。マナの波動は魂入り、プレイヤーだ。
ツルハシを振るって壁から石を掘り出しているのを見て、道を引き返す。
(汗くさそうね)
手前の分かれ道で別の道を選び、更に進む。
カツーン、カツーンという音は、さっきの男以外にも石を掘っている者がいることを教えてくれる。
時折襲ってくる魔物を倒し、ツルハシを振りかぶる男を見つけては引き返して違う道を選ぶ。
『ビッグ・スパイダー。大きな
落ちた蜘蛛の足を拾って収納に仕舞う。食べ物ならコロンへの手土産にしよう。
更に奥へ進むと、今度はツルハシを振るっている女性が居た。
ボサボサの髪の毛で、今まで見かけた男たちと同じくらい汚い見た目ではあるが、低い身長には見合わない巨大な胸を見れば、性別を間違うことはない。
「あら? こんな所で女性に会えるとは思わなかったわ?」
それまで見かけたのが汚らしい男ばかりだった。それこそ、洞窟でツルハシを振るうのは男というルールでもあるのではと。
「ふ、ふヒっ」
彼女はツルハシを振りかぶったまま、変な息を洩らした。
驚かせてしまったらしい彼女、ネクロという名前のプレイヤーから辛抱強く話を聞いてみると、この洞窟でツルハシを振るっているのは皆、鍛冶師の職についているプレイヤーだということだった。
武器や防具を作る鍛冶師は、その材料になる鉱石を掘りに洞窟に来る。鍛冶師になるために男女の制限はないものの、鍛冶師の大半は男性プレイヤーだ。そのため、ここに居るのも男性ばかりになるようだ。
鍛冶の材料には鉱石以外にも、魔物の牙や爪を使うことが出来るものの、武具の材料になるのは、生産職である鍛冶師では倒すのが難しい強い魔物である。自力で集めれる材料である鉱石は、練習するためにも重要らしい。
強い魔物についても訪ねてみたら、この洞窟の最深部にいるボスも爪を落とすと教えてくれた。
あまり邪魔をしても悪いので、ボスの話を聞いたところで彼女と別れる。
更に奥、分かれ道は、下り坂の道を選んで歩く。登り坂になってる道は、別の通路からの合流なのか、それとも一度上がった後でまた下り坂になるのかは分からない。だがそれは行き止まりにぶつかってから考えればいいことだ。
暗闇から飛び掛かってくる魔物は、その都度潰すだけで事足りる。蜘蛛の足を集めようとすると洞窟という環境が邪魔だ。まとめて倒すことが出来ない。
襲い掛かってくる分だけを倒して先に進むと、突き当りに広場が見えてくる。
『ダブルフェイス・タラント。前後にある2つの頭で獲物を見つけ出し、一度見つけた獲物は逃がさない』
前後の頭、それは確かに視界だけで言えば前後を一度に見える利点はあるのだろうが、とても不格好だ。普通の蜘蛛であればお尻にあたる位置にもう一つの頭が乗っているのだ。話に聞く運営という者たちには美意識がないのだろうか。
大蜘蛛が動き出すと同時に、広場の入口に白い糸が張り巡らされ、塞がれる。
(今度は物質的な隔離なのね)
思い出すのはセカンドの街の手前で出会ったボス。いや、正確にはそのボスのために用意された隔離世界だ。
隔離世界を用意することに比べたら格安な方法だが、入口を塞ぐ糸には結界も併用してある。見た目ほどには簡単に逃げ出すことは出来ない。
「キシャー!」
ガチャガチャと足を踏み鳴らし突進してくる大蜘蛛は、その高さだけでもアリスの二倍はある。走って回避するには歩幅が違いすぎる。しかし。
「
風に乗って突進を回避する。
「
切り裂く。
それだけで大蜘蛛は霧散した。
残ったのは「二面蜘蛛の足」と「二面蜘蛛の糸」の二つ。ネクロの言っていた武具の材料になる「蜘蛛のかぎ爪」はない。
それ自体はどうでもいい。どうでもいいが。
(蜘蛛の足は食べれるんでしたよね?)
ボスを倒したことで、入口を塞いでいた白い糸は跡形もない。
広場のマナは薄くなり、そのマナは広間の奥に集まっている。それは丁度、大蜘蛛が始めにいた場所だ。
(復活には時間が掛かるとか……)
ボスにはあるという復活までの時間。マナの流れを見れば、広場にあったマナが奥に集まっているのが分かる。その量が十分に溜まれば、再び魔物になるのだろう。
ふと思いついて、マナを放出してみる。
流れ出たマナは、奥に集まる他のマナと合流して……。
「キシャー!」
思った通りに、魔物が現れた。
ネクロの言う時間湧きとは、単純にマナが集まり切るまでの時間なのだろう。
大蜘蛛が動き出すと同時に、広場の入口には再び白い糸が張り巡らされ、塞がれる。
「少し、狩っておきましょう」
そしてボスは強制的に、繰り返し、狩られる。
*
あの人は何だったんだろう。
このダンジョンのことを知らないまま入ってきたみたいだし。
サービス開始直後ならともかく、今は鍛冶師以外が入ってくることなんて滅多にない。たまにゲームを始めたばかりのプレイヤーが見物に来るくらい。それにしたところで、暗闇から飛び掛かってくるヘビや蜘蛛を目にして、すぐに帰ってしまう。
ボスドロップはこの辺りで手に入る素材としては良い物だけど、攻略組が行くような難易度のダンジョンと比べたら数段劣るし。だからサービス開始直後には人気があったらしい、というだけで、今だと誰も狩りにいかないし。
ダンジョンの最深部まで潜る手間もあるし、時間湧きだからボスが他の人に狩られていたら手ぶらで帰ることになるし。それだったら、もう少し強めのフィールドボスを回っていたほうが短時間で済むし。
僕みたいな鍛冶師にとっては、ちょっとランクが上の素材ってことで需要はある。でも、このあたりで石を掘っている鍛冶師だと、何人も集まって、やっと戦いになるくらいだし。
一人だったし、初心者が見学に歩いてるだけなのかな。
でも、それだったらボスには勝てないだろうし、今頃は街でリスボーンしていそうだし。
あの瞳。赤い宝石のようなあの瞳は、もう一度見たいと思うけど、見学に来ただけならもう二度と会うこともないんだろうな。
と、思っていたけどそんなことはなかったし。
僕の目の前にあの人が居る。
綺麗な瞳の前に、ボスドロップの『蜘蛛のかぎ爪』をちらつかせて。
欲しい。
今のスキルレベルなら加工が出来るはずだし。そして作り上げることが出来れば、スキルレベルももう一段上がるはずだし。
「取引をしましょう?」
「は、はひっ」
「少しだけ、味見をしたいの、良いでしょう?」
あの人の顔がすごく近い。
ランタンの光に照らされて、真っ白は肌に宝石のような瞳が迫ってくる。
赤い瞳がとても綺麗。その光は、とても、綺麗で。
気づいたら、いつも使っている鍛冶場に座り込んでいた。
いつの間に帰ってきたんだろ。
石を掘ってて、宝石を見つけて、あれ? 宝石ってなんだ? あのダンジョンで出る鉱石の中に宝石はなかったはずだし。
ああ、でも、収納を見れば分かるかも。
そして僕は、収納の中にある二十近い『蜘蛛のかぎ爪』を見つけた。
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