先輩②
「……ププ」
紫村先輩が突然吹き出す。
「え、ええと、先輩?」
「クク……え、ああゴメン。いや、だってこの男の台詞が面白すぎて! だ、だめ……お腹が……!」
とうとう堪えきれず、紫村先輩はお腹を抱えて笑い出した。
「な、何がおかしいのよ!」
その態度が気に入らなかったのか、アリスは紫村先輩に食って掛かる。
「そりゃあ可笑しいわよ! だってコイツ、私に散々アプローチしてきて、私が相手にしないものだから後輩に鞍替えだなんて……! ウ、ウケル……!」
先輩のその言葉に、アリスは草野一馬へと振り向くと、草野一馬はバツが悪そうに視線を逸らした。
「そ、それで、コッチはコッチでそんな奴と嬉しそうに付き合うなんて……も、もう無理……アハハハハハ!」
「ア、アナタ! 先輩だか何だか知らないけど、いい加減にしなさいよ!」
先輩が大声で笑うと、アリスは顔をしかめ、今にもつかみ掛かりそうな勢いで先輩を睨み付ける。
だけど先輩は素知らぬ顔で、今度は僕へと向き直った。
「あはは……はあ。それで、ひょっとして上代くん、こんな女と付き合ってたの?」
「…………………………」
いくら先輩だからって、そんな言い方はないんじゃないだろうか。
確かに僕はアリスと付き合っていたし、フラれてショックだった。アリスに対して思うところがないわけでもない。
けど、だからといって、そのことについて先輩に詮索される筋合いはない。
「え、ええと、その、そういうつもりで言ったんじゃないの。いや、あのね? 上代くんみたいな可愛い男の子だったら、もっと素敵な女の子のほうが似合うんじゃないかなー……なんて」
先輩は少し申し訳なさそうに、おずおずと言い訳をした。
どうやら顔に出てしまったようだ。
「……いえ、もう別れましたし……」
「あ、あああ……やっちゃった……よくデリカシーがないって言われてるのに……」
先輩がすごく困った表情をしながら頭を抱える。
そんな姿を見ていたら、ついさっきまでの感情はもうなくなり、思わずクスリ、と笑ってしまった。
「先輩、もういいですから。だから、そんな落ち込まないでください」
「ホント?」
「ええ」
先輩に返事すると、僕はニコリ、と微笑んだ。
「よ、よかったあー……嫌われちゃったかと思ったわよ」
「そんな……それくらいで嫌ったりしませんよ」
「ちょっとアンタ達! 無視しないでよ!」
僕と先輩が和やかな雰囲気になったところに、アリスが横やりを入れてきた。
そういえばすっかり忘れてた……。
「ああハイハイ、コッチには用はないから、それじゃ行こ?」
そう言って、先輩は僕の腕をグイ、と引っ張る。
「え、えええ……」
僕が先輩と一緒に行くのは決定事項らしい……。
仕方なく僕は、先輩と一緒に教室を出た。
僕達を睨みつける二つの視線を背中に受けながら。
◇
「……ウーン、その発想はなかったわね……」
先輩が顎をさすりながら、少し考えこむような表情を見せた。
僕達は大学から出た後、近くの喫茶店に入り、議論を交わしていた。
「そうですか? この本にもありましたが、遺伝子の違う細胞を結合させる別の細胞……つまり、遺伝子を操作するのではなくて、接着剤みたいにくっつけて、そして親となる細胞からの信号により子となる細胞へと伝達する機能を持たせれば……」
僕は、この本と大学の授業で得た知識から、僕自身の考察を先輩に話した。
「成程……だとすると、わざわざ無理に結合して産み出さなくても、その原理を応用すれば……」
「先輩?」
考え込んで意識が別の世界に行ってしまいそうだった紫村先輩に声を掛け、とりあえずその意識をこの場に留めてもらった。
「うん……いやー! 上代くんと少し話しただけで、ここまで理解が深まるとは思ってもいなかったわ! うん、やっぱり上代くん面白いよ!」
「は、はあ……」
ズイ、と身を乗り出してその綺麗な顔を正面に座る僕へと近づけてくるので、思わず僕は少し仰け反ってしまう。
おっと、そういえば。
「そうだ先輩。先輩はこの本のことをご存知だったようですけど……」
僕は疑問に思っていたことを先輩に尋ねる。
先輩はこの本のことを知っているようなんだけど、この本ってそんなに発行部数も多くなさそうだから、かなりマイナーだと思うんだけどなあ。
「え、ええ……その本は昔、ちょっと、ね……」
すると先輩は少し言いづらそうにしているけれど、なぜか嬉しそうで、懐かしむかのように柔らかい表情を浮かべていた。
「……先輩の思い出の本、なんですね」
「ええ……」
そう言うと、先輩が満面の笑みを浮かべた。
へえ……先輩って、こんな表情もするんだ……。
そんな風に考えていると。
「な、ななななななな!?」
ん? どこかで聞いたことがある声が……。
嫌な予感がした僕は、おそるおそる振り返る。
「こ、こよみさん!?」
そこには……こちらを指差し、ワナワナと震えるこよみさんがいた。
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