第10話 ちゃんとした人間

「……驚いた、若い女じゃないか。オイ、君、彼女と暮らしているのか?」

「あの、ええと」

「オイ? こちらの方は?」


 旦那様がゆっくりと近づき、フリィは小走りでおれに駆け寄って、首を傾げながら問いかけてくる。どっちの質問から先に答えたらいいのかと悩んでいると、フリィに腕をぎゅっと掴まれた。心なしか、震えている。日は落ちかけているが、いまは暖かい季節だ。寒いはずはない。ということは、怯えているのだ。何に? 旦那様に?


「オイ。オイオイ、ずいぶんと懐かれているじゃないか、やるなぁ君」


 旦那様は何度も「やるなぁ」と言って、くつくつと喉を鳴らした。


「いや、そうだったな。君ってやつはそうだった。昔から、女に好かれる質だったよな」

「昔から? おれは――」

「ああ、違う違う。いまの君じゃない。昔の君だよ。クラウスだ。村中の女が君を好きだった。だけど、君の心を射止めたのはただひとり。ジーレットだ。なぁ、覚えてないか? ジーレットだよ。君達、あんなに仲睦まじかったじゃないか」

「知り……知りません。どなたでしょうか」


 知らないかぁ、あの女が聞いたら何て言うかなぁ、と愉快そうに笑いながら、ゆっくりとおれの方へ歩いてくる。フリィはなおも強くおれの腕を掴んだ。旦那様の方を見るのが怖いのか、顔をぺたりとくっつけて、カタカタと震えている。


「フリィ、どうしたんだ? あの方はおれの旦那様だ。怖い人じゃない。大丈夫だよ」


 そう声をかけると、恐る恐る顔を上げて、一度おれと視線を合わせてから、ちらりと旦那様を見た。そして、こわごわと手を離し、スカートの裾をつまんでゆっくりと礼をする。


「オイの旦那様とは知らず、失礼をいたしました。フリニアーデと申します」

「これはこれは丁寧にどうも。僕は、ユータスだ」

 

 旦那様はそう言って、礼を返した。そうしてから、何かに気づいたような顔をして、プッと噴き出した。


「ちょっと待ってくれ。何だ君、『オイ』って呼ばれてるのか?」

「そうです。だって、旦那様がおれのことをよくそう呼んでいたから」

 

 そう答えると、彼はいよいよ大きな声で笑い出した。腹を抱えて、こりゃあいいとヒイヒイと悲鳴のような声をあげて。


「あっはっは。そうか、そうだよな。いや、悪かった。だって、なんて呼べばいいのかわからなくてさ。ええと、フリナーデ? だっけ? まぁいいや。お嬢さん、彼はね、本当は『クラウス』って言うんだ。僕の親友だった。だけどほら、こんなナリだろう? どうにも親友の『クラウス』と同じ人間とは思えなくってさ。それで、仕方なく『オイ』って呼びかけてただけなんだよ。どうせこの屋敷には彼と僕しかいなかったし、それで事足りたんだ」


 いやぁ、そうか、わからないよなぁ、その頭じゃ、などと言いながら、やはりヒイヒイと悲鳴のような声を上げつつ、旦那様は笑った。


 すると、さっきまで震えていたフリィが、拳を強く握りしめながら、一歩前に出た。


「こんなナリってどういうことですか」

「えぇ? こんなナリはこんなナリだよ。見るも恐ろしい化け物だろう? ああ、君はもう慣れたのかな。いや、僕だってもう慣れたよ。だけど、冷静にまじまじと見つめるとさ、やっぱり恐ろしい化け物だなって思うんだ」


 君もそう思わないかい? と笑いを噛み殺しながらそう尋ねる。


「私はそう思いません」


 フリィは少しのためらいもなく、きっぱりと答えた。だって彼女の目は特殊なのだ。大人の頭だけ、別のものに見えている。化け物のおれが、無害な、真っ白い雲に見えているのだ。


「えぇ? お嬢さん、君、変わってるなぁ。よく見てごらんよ。顔中の至るところに犬や猫の毛皮を移植してるし、眉毛だってない。皮膚が足りなかったんだよ。まぁ、仕方がなかったんだ、あの時は。口もさ、あの時はまだ縫合の腕が未熟でね、縫い目がガタガタだろう? お恥ずかしい」

「何をおっしゃってるんですか? 移植とか、縫合とか」

「ああ、知らないのか。何だ。君、そういうのはちゃんと教えておいてやった方が親切だぞ? 幸い、彼女は視力に問題があるのか、大して気にしてないみたいだけど」

「あの、旦那様、フリィは」

「大丈夫大丈夫、僕が説明してやるって。なぁに、これも『製造者責任』ってやつさ。ええと、フリ……まぁいいやお嬢さん。彼は、いまから十年ほど前に、爆発事故に巻き込まれてね、死ぬところだったんだよ」


 それを、僕が助けた、と旦那様は誇らしげに胸を張った。そうだ。おれもそう聞いてる。旦那様は命の恩人なのだ。フリィは爆発事故と聞いて、まぁ、と胸を押さえ、悲痛な声を上げた。そういえば、その話はしていなかった。


「とにかくまぁ、僕の持てるだけの力を使って、彼を治した。もっとも損傷がひどかったのは、頭部だ。それも、顔だね。それで、皮膚を移植したわけなんだけれども、身体の方だって無傷なわけじゃない。使える皮膚には限りがある。それで、手頃な動物を使ったってわけだ」

「そ、それはそれは。その、なんと申し上げたらいいか」


 フリィは再び震え出した。

 おれを生かすために犠牲になった動物達のことを考えているのだろう。おれもそれを後から知って愕然としたのだ。果たしておれは、そうまでして生きて良かったのかと。


「だけどね、お嬢さん。もう大丈夫なんだ」

「大丈夫って、何がです?」

「彼は――クラウスは、また再び、ちゃんとした人間に戻れるんだよ」


 長い前髪の隙間から見えるのは、何やらぎらぎらとした、旦那様の目だ。


「材料が見つかったからね」


 そうだ、さっきも旦那様は言っていたのだ。

 材料があればおれは、普通の人間に戻れるのだという。

 旦那様の親友であるという、クラウスに。


 でも材料は街で調達すると言っていたような。


 そう思っていると、旦那様は両手を大きく広げて、あっはっはと高らかに笑った。


「君だよ、お嬢さん!」

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