フリニアーデの愛しい雲男

宇部 松清

序 魔法使いのいる世界

 この世界に、とてつもない力をもつ魔法使いがいた。男なのか、女なのか、どうにも判別がつかない姿かたちをしていて、善でもなければ悪でもない、そんな存在だった。

 

 (『彼』とも『彼女』とも呼べないので、便宜上『』と呼ぶことにする)は、毎日太陽を東の方角から連れて来て、そして、ずっと同じ場所にあるのはつまらないと、今度は西へと引っ張っていく。そうやって朝と夜を作り出し、気まぐれに雲をこさえては、大地に大粒の雨を降らせた。そうして木々や草花を育てたかと思うと、今度はそれらを干上がらせんばかりに太陽を大きくしてみたりもした。またある時は、すべてを眠らせんと、吐く息すらも凍らせてしまうほどに凍てつく風を吹かせたりもした。それが四季である。


 この世界のすべては、の気分次第だった。


 どんなに徳を積んだ善人であろうとも理不尽に惨たらしく死ぬこともあったし、逆に、暴虐の限りを尽くした悪党が大往生することもあった。


 子どもだろうがなんだろうが、にとっては関係なかった。人間も、虫も、雑草も、すべて一つの『命』であり、そこに上も下もなかった。ただ、が気に入れば優遇される。それだけだ。


 人間の中には、を神と崇める者もいた。

 崇めたところで、供物やら、贄やらを捧げたところで、の態度は変わらなかった。人間達が恐れる『天災』とやらも、がやりたいようにやっているだけなのだから、「どうか怒りをお鎮めください」などといって、歌やら踊りやらを捧げられても困るのである。別に怒りに任せてやっているわけではないため、生きた人間を寄越されても、不要なのだ。そしてどういうわけだかそれは若い女であることが多く、そいつの何倍も生きているだろう老人が、卑屈な笑みを浮かべて恭しくこうべを垂れているのが何となく癇に障り、なぜお前は無傷で生きようとするのだと、そのままそいつの首をはね飛ばしたこともある。


 歌も踊りも贄もいらん。

 私の好きにさせろ。

 信仰もいらん。

 私にかまうな。

 私にかまうな。


 自らが起こした風にそんな言葉を乗せてみたが、それを聞き取れた者はごくわずかだった。


 


 そんな気まぐれな魔法使いは、ある日、小指の先の微かな垢をぱらりと適当な人間に振りかけてみた。もちろん気まぐれに、だ。人間にどのような影響が出るのかが気になった、それだけである。


 ちなみに、人間以外には既に試してある。


 四足歩行の生き物は大抵、後ろ足で立つようになり、人語を操った。いつだったか、そうして変化した猿は、禿頭の人間の男と共にどこか遠く(最も、にとっては一瞬で到達出来る距離だが)の国へ偉い経だか何かを取りに行く、なんてこともしたらしい。その道中で、やはりの戯れが生んだあやかしとの壮絶な戦いがあったなどという話だが、その頃にはの興味は他のものに移っていたという。


 さて、の垢を振りかけられた人間の話に戻る。

 それは数名いたのだが、残念なことに――というのか、彼、彼女らは皆、見た目の大きな変化はなかった。手足が増えるとか、巨大化するとか、目に見える変化はなかったのである。途端には興味をなくした。何だつまらん、そう思ってそれらを放置し、いずこかへ去ってしまったのだという。


 ここにはそんな気まぐれな魔法使いがすべてを支配している。そういう世界なのである。

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