天から降るもの

前河涼介

地獄

 まだ子供の頃、私は風邪を引いて熱を出す度に必ずと言っていいほど悪い夢に魘されていた。その悪夢は普通の夢とは全然違っていて、現実の私が知っていたどこかが舞台になるわけでもなく、知っている人たちが登場するわけでもなかった。私という「視点」に実体があるのかどうかさえ判然としなかった。

 その夢はただ移りゆく景色を映していた。世界は墨を溶かした水のように暗く、それだけでは奥行きも高さもわからない。ただ、熾火のような暗い炎が次第に湧き起こり、手前の方は横に長くくっきりと、奥の方は小さくぼんやりと見え、そうしてその闇の中にも世界が広がっているのがわかってくるのだった。私はひとつの視点になってその暗い炎の間を縫って飛んでいった。炎を掠める度に人の呻きのようなごうごうという音が耳にまとわりつき、それがだんだんと大きくなり、終いにはその大きさに耐えられなくなって汗びっしょりになって目を覚ますのだった。

 あれはきっと地獄の景色だったのだろう。あの暗い炎は罪人を焼く神の火だったのだ。目の前に悪夢とそっくりな景色が現れた時、私はそう信じて疑わなかった。


…………


 私が狭山にある祖母の家に疎開してきたのは年明けすぐのことだった。母と兄弟も一緒だった。私と妹は女学校の指示で近所の部品工場に勤めることになったのだが、それもほとんどひと月きりのことだった。空襲で工場が焼けてしまったのだ。

 空襲警報が鳴ったのが十一時前。その日は私も妹も遅番で昼前まで祖母の家にいたのだが、壕から出てみるとどうも工場の方から煙が上がっていた。「どーん」という地響きの大きさからして、近くに落ちたのは間違いない感じがした。私は坂を駆け上った。祖母の家は山の斜面にあって、少し坂を上ると東京方面を一望することができたからだ。それで確かめてみると、やはり焼けているのは工場で、爆弾が風に流されたらしく周囲からも点々と煙が立ち上っていた。その分布から見て重爆(爆撃機)は西から東へ抜けたのだろう。東の方にその姿が見えないかと思って雲の間に目を凝らしてみた。でもだめだった。小さな光の反射ひとつ見つからなかった。爆弾はまるで空の上からひとりでに降ってきたかのようだった。晴れていることを除けば雷と同じだった。

「不発弾が残っているかもしれないから今日中は街には下りない方がいい」と母が言うのでその日は私も妹も工場には行かなかった。一度庄屋に行って電話を借りてみたが、どこかで電話線が切れたらしく工場は不通だった。

 数日空けて工場へ行くと建屋はほぼ骨組みだけになって壁は根こそぎ吹き飛んでいた。会社の人がトラックに瓦礫だか部品だかわからないものを積み込んでいるので話を聞くと、群馬の方へ生産を移すとかいうことで、それきり私たちは仕事がなくなってしまった。それで女学校に連絡すると今度は陸軍飛行場で林を切る仕事を言い渡された。なんでもそうやって飛行機を隠す空間を作っていくらしい。工場の方は毎日理科や家庭科の実習といった感じだったが、今度は毎日体育だった。体を動かすのは気持ちがよかったが、雪の中で鉈や鋸を握るのは手がかじかんで少し辛かった。

 勇ましく飛んでいる戦闘機の姿も何度か間近でお目にかかることができた。でも、一撃で吹き飛ばされるような工場で造って、人手でエッサホイサと林を切って運用しているような飛行機でもって、あの姿の見えない重爆に一矢報いることなどできるのだろうか。私は甚だ疑問だった。

 日本の勝利を信じて疑わない人もいた。この国はもうだめだと嘆いている人もいた。でもどちらにしろどうしてそんなに安直に確信を持てるのか私にはわからなかった。だいたい新聞やラジオの報道からして信用ならない。大戦果大戦果といいながら、最初は南洋諸島まで広がっていた戦線が今や硫黄島に台湾だ。勝ち続けているのに敵はどんどん攻め込んでくる。そんな胆力を持った相手は本当に同じ人間の国家なのだろうか。まだ顔も姿も見たことがない敵の正体を私はひそかに恐れていた。


 そして三月、空襲は昼から夜に変わった。

 午後九時過ぎ、警報は鳴らなかったが、南の空が赤いので東京方面で何かあったとわかった。私は上着を羽織って坂を登った。視界の妨げになるもののない場所から見ると、その景色は比類のない壮観さだった。市街地の一面から火の手が上がっているのだ。今までは工場や基地だけを狙っていたのに、民家や商店までお構いなしに標的にしているようだった。いや、標的なんてものじゃない。ただ「ここ」と決めた一帯に爆弾を降らせているようだった。

 その景色は学校で聞いた地獄の景色を思わせた。神の審判において罪人は闇の世界に落とされ、決して絶えることのない業火によって永遠にその身を焼かれ続ける。逃げ場などない。

 街を覆うあの火の海の中ではきっと大勢が逃げ惑い、焼き殺されている。

 同じだ。

 この景色は神の怒りによるものなのではないか。だとすれば人間は神の力に刃向かってしまったのだ。最初の制裁は人間の尖兵たる軍と兵器産業にもたらされた。しかしそれでも人間たちが悔い改めないと知った神は全ての人間を分け隔てなく罰することにしたのだ。

 火の海の明かりが夜空の帳に映って仄赤く染め上げていた。その不気味な赤の手前にきらきらと光るものが見えた。あれが重爆なのだ。地上の炎を翼の下面に映しながら、十、いや、数十機と整然と梯団(隊列)を組んで夜空を悠々と飛んでいく。目を凝らすとその腹部にある扉が開いて中から小さなものがばらばらと落ちていくのが見えた。それもまた十や二十ではなく百個単位だった。それが地上に落ちて各々に火柱を上げ、火の海を広げていった。

 梯団は絶えることなく続々と飛来した。ある梯団の先頭の一機に向かって斜め下から何か小さなものが近づき、上空に向かって去っていくのが見えた。それは戦闘機だった。あまりに小さすぎて初めはそれとわからなかった。けれどそれは確かに味方の戦闘機だった。大きさからして距離は十キロ以上離れている。つまり、重爆は思っていたよりもはるかに遠くを飛んでいたし、思っていたよりもはるかに巨大なものだということがわかった。戦闘機の姿と比べると大きすぎるほど大きかった。

 そんな大きさのものを百機二百機と繰り出してくるのが神の力なのだ。あの重爆は神の使いの鳥なのだ。高射砲の弾幕も、戦闘機の迎撃も、まるで気にかけることなく飛び去っていく。私はいま神の圧倒的な力を見せつけられているのだ。それはぞくっとするほどおそろしく、また同じくらいに美しい景色だった。人間はこうして滅ぼされていくのだ。誰にもどうすることもできない。私たちは罪人の一分としてその終焉を受け入れるしかないのだ。

 けれど、それもまた私個人の幻想であり、戦争の勝敗を信じる人々の幻想と同レベルのものだったと気づくまでにさほど時間はかからなかった。

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