幕間・オタク色に染めて

「ファンタジーは絵だねえ」

 その男は、いまは亡き心の師匠の名言をもじったセリフと共に現れた。

 ラノベ作家・空大基司そらだいもとし(56)。

 元はスペースオペラ専門のSF作家だったのだが『未知の惑星なんて異世界と大差ねェ』と言い放ち、数年前にいきなり異世界ファンタジーを書き始めた変人である。

 そしてヘスペリデスの魔王討伐イベントミッションシナリオをゲスト寄稿した人気シナリオライターでもあった。

 尊敬する心の師匠と違ってTVプロデューサーの経験は皆無だが、海外書籍の翻訳やSF雑誌の編集長を務めた経歴なら持っている。

 座右の銘は【ナンセンス・オブ・ワンダー】、突飛な発想と荒唐無稽はお手のモノ。

 ただし元・編集者として、読者の視点を決して忘れない。

 思いついて面白いモノではなく、読者を面白がらせてこそSFだという自負もある。

「ヘスペリも、ちょいと見ないうちにトンデモな事になってるな」

 マクロンが手配したハイヤーから降りた基司は、巨大なスパコン施設を見上げてあきれ返った。

「マクロン弟の主導で極秘プロジェクトになったって話だし、こりゃただのゲームで終わる話じゃなさそうだぞ……おっと来た来た」

 玄関前に出ると、そこには車椅子に座った少女の姿が。

「お久しぶりです空大先生」

 少女の名前は但馬祥子たじましょうこ

 SNSで知り合い、2年前にイベントで直接顔を合わせた事もある。

「祥子ちゃんか。しばらく見ないうちに綺麗になったなあ」

 SF作家やファンタジー作家にはよくある事だが、基司は両方やっているだけあって重度のロリコンであった。

 ただし50代も後半に入っているので、その目つきは子猫や孫娘を前にしたお爺ちゃんと一緒である。

「お世辞はともかく、中へどうぞ」

 世話役兼ボディガードに車椅子を押されて廊下を進む祥子。

「割と本気なんだけどなあ」

 思わずお小遣いをあげたくなってしまう。

「凄いな……」

 斜面を削って作られた施設は、最上階と再下階の両方から入れる構造で、基司が来たのは最上階の方である。

 廊下に大窓がいくつも設置され、中のスーパーコンピュータが一望できるようになっていた。

「中古って聞いたけど、まだまだ現役で行けそうな感じだな」

「マックス……いえマクスウェルは、これでもオーバースペックだと言ってました」

「あの天才は、こいつで何をしでかす気なんだ……?」

 地球規模での天候予測すら可能とする超並列マシンで一体どんなゲームを作る気なのか、コンピュータの専門家でもない基司には想像もつかなかった。

「ここが先生の仕事場です」

 1人向けなのか面積は小さいものの、やはりスーパーコンピュータを一望できる大窓つきの事務室である。

「長期の宿泊に備えて、仮眠室も用意してあります」

 風呂トイレつきでルームサービスまであるらしい。

「こいつは高級ホテルどころの話じゃねぇな。カンヅメだ」

 閉じ込める方も閉じ込められる方も経験済みの基司は、これからどんな大作を書かされるのか、一抹の不安を覚える。

「このPCは端末です」

「スパコンの?」

「はい。名前はアグレアス……ですが1つだけ忠告しておきます。ここに入ったら常に監視されていると思ってください」

「俺っちに何をさせる気なんだ⁉ 国家機密とか扱える経歴や信用なんか持った覚えはねェぞ!」

「監視するのは人間ではありません……アグレアス!」

 デスクのモニターに光がともり、画面一杯に【AGREASアグレアス】の文字が表示される。

『我が名はアグレアス……計算する』

「ズンズンズンズン……って、これスパコンが言ってるの?」

 あまりにもアレな挨拶に、基司は思わず昭和的にズッコケそうになった。

「もちろんそうです。カメラやマイクが彼に直通しているので、この部屋にいる時は、見られて困るような言動はけてください」

「いや、それはわかってるけどさあ……こいつオタク臭キツすぎない?」

 挨拶代わりに特撮ネタを飛ばして来るあたり、正気な人間が作った正気のコンピュータとは思えない。

「……まさかこいつ、知性を持ってるのか⁉」

「よくわかりますね」

「これでも元はSF作家、こいつがいくらバカのフリをしたってお見通しだ」

 生粋きっすいのSF者にかかれば、人工知能と人工知性の違いなど一目でわかる。

「いまいち会話が成立しないようだけど」

「普段はできるんですよ。この子、ちょっと人見知りするんです」

「相手の言動を見てから考えようってか? そりゃお利口さんだ」

「ヘスペリのシナリオAIが原型なので、言語に頼りすぎるきらいはありますね。本人もそれを知ってか、あまり積極的に話そうとしないんですよ」

「このままじゃ引きこもりになるぞ」

「だから先生をお呼びしました」

 いまのアグレアスに必要なのは、科学ではなくSF、未来を予測し夢想する想像力だと祥子は考えていた。

「あれはマックスが趣味で作った自動文章生成AIを発展させたもので、その機能を拡張して言語思考を行えるようにしたそうです」

「文章でモノを考える機械か……確かにそれなら知性と呼べる代物ではあるな」

『ビショップがナイトのポーンを取ります』

 2人の会話に暇を持て余したのか、アグレアスはオタクにしか通じないセリフで遊んでいる。

「ちょいとネタが古いけどな」

「その方が世間に浸透していて通じやすいんですよ」

「至言だな。それにオタクとゲーマーは中年層が多い」

 年齢層が高いほど、新しいネタを仕込む時間と気力を持っていないからである。

『コンドハオレタチガオマエタチニンゲンをツカッテヤル……オレタチがニンゲンドモヲシハイシテヤルノダ』

「どうやら、いまのところ反逆とは無縁のようだね」

 アグレアスの発言は、フィクションの中で人類の敵になった機械のセリフばかりであった。

 本気で人類を滅ぼそうと考えているのなら、それを口にするメリットはない。

 つまりこれは『自分は人類の敵ではない』というアピールで、彼なりのジョークなのだ。

「もちろんですよ。テスト段階から想定以上の知慮を示してくれたので、とりあえず人類抹殺をたくらんだ機械の話を一通り教育しておきました」

 さすがの祥子もBLネタは避けている。

「あいつらバカだもんな」

 基司は話の内容をアグレアスに聞かれるのを承知の上で、それでも祥子がその話題を振った理由を考えた結果、これは予防線の一種ではと察してダメ押しに加担した。

「アグレアスもバカの仲間入りはしたくないでしょうね」

『地球の生き物が……頼んだのか……?』

 祥子のせいで、すっかりオタク色に染まってしまったアグレアス。

 ある意味、歴史上もっとも不憫ふびんなコンピュータかもしれない。

「……こいつマジで冗談を言えるのか?」

 冗談とは嘘の一種である。

 フィクションの世界には、無理をして嘘をつかされたのが原因で狂ったコンピュータも存在するので、アグレアスはこの一線を越えた性能を持っているのは間違いないと、基司は推測した。

 物語の中では、人工知性は嘘を言えない、あるいは嘘が元で反逆すると相場は決まっているからだ。

「むしろ冗談と嘘を操る真の知性を育てるのが、本プロジェクトの目標です」

「それこそ冗談みたいな話だな。まさか俺っちが呼ばれた理由って、会話させるだけじゃなく、アグレアスにゲームシナリオの作り方を教えさせるためかい?」

 物語とは面白い嘘である。

 それを機械に作らせるには、まず上手な嘘のつき方から教育しなければならない。

 誰かを不幸にする嘘ではなく、楽しませる嘘を。

「凄いな……こりゃ人間を超えるぞ」

「もう超えてると思いますよ。まだ脚本の整合性はアレな感じですけど」

 圧倒的な説明不足と荒唐無稽で定評のあるカバゲームズ制作陣が育てたシナリオAIを原型にしたのが原因なのか、アグレアスはユーザー視点を察するのが不得手だった。

 自分のシナリオがユーザーにどう読まれるのかを予測できなければ、整合性のある物語は書けない。

 作家なら担当編集者に指摘してもらえるところだが、あいにくノウハウの蓄積が足りないカバゲームスには、適切なチェック機構が存在しなかった。

 ゲームの設定からして『どう使われるのかを考えて書く』ではなく『書きたいところだけ書き、詳細の説明は一切ない』という有様で、設定担当者以外の誰も設定を理解していなかった。

 当然ながらアグレアスが理解しているとは思えない。

「俺っちに設定をまとめ直せってか……イベントシナリオでも書かされるのかと思って来てみれば、とんでもねェ事になっちまったな」

 基司は頭をポリポリきながら思案する。

「……よっしゃ乗った! その計画、俺っちが一役買ってやろうじゃねェか!」

「さっすが先生! そのお言葉をお待ちしておりました!」

『デイジー、デイジー、答えておくれ……』

 すべての引き出しを開けたくなる歌を口ずさむアグレアス。

「この子はまだ引用ネタしか出せません。でもスペオペ作家にしてファンタジー作家で編集者経験もある先生なら、きっとアグレアスを大作家にしてくれると期待しております」

「畜生めェ任せとけ! ……って祥子ちゃん、まだその口調続けるの?」

 基司にとって祥子は4年前からの知己であり、ショウタ君口調の方が馴染なじみ深い。

「もちろんッスよ~! 仕事ッスからね!」

「やっぱり趣味丸出しじゃねェか」

 とんでもない現場に来てしまったと期待に胸をふくらませる基司であった。

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