人喰い駅

22世紀の精神異常者

前編

 うっすらと影が落ちる放課後の教室。

 空席の机が無機質に並ぶ閑散としたその空間で、僕らは二人でとある事件について話していた。


「——でさ、その女の人ってのが霊媒師だったって言うんだわ」

「えぇ? なにそれ。しょうもないな」

「いやいやホント。マジなんだってさ。テレビにも何回か出たらしいぜ」

「へぇ……」


 茜色に燃える空と黒く塗りつぶされた校舎のコントラストを眺めながら、僕は自分の前の席に座って語っている友人——相澤和人あいざわかずとに相槌を打つ。

 ——霊媒師なんて、ただのタチが悪いペテン師だろ。そんな言葉は、飲み込んで口から漏れることはなかった。

 

「2ちゃんのオカルト板見てきたんだよ、さっきさ」

「……ふうん」

「やっぱそこでもあれはめちゃくちゃ話題になっててさ。予言に従ったんだーとか、元々生き霊に取り憑かれてたんだーとか、いろいろ盛り上がってたぜ」

「そっか」


 僕はどうしても、相澤の話を面白いとは思えなかった。僕にとって幽霊だとか、呪いだとか、そう言ったオカルティックな話題は嘘くさくてつまらないのだ。

 よく「ひねくれ者」だなんて言われるけど、本当にその通りだと思う。自分でもどうにかならないものかと思ったりするものだ。

 でも、どうしても変わらないのだから仕方がない。僕は相変わらずどこか冷めたまま彼の話を聞いていた。


「一番有力だったのは『地縛霊に誘われた』ってやつだったな。なんでもあの駅は前に事故が起きてて、何人も死んだらしいんだわ」

「へぇ……そりゃ怖いね」


 ……だけど、だんだんと話を聞くのも苦痛になってくる。地縛霊がどうやったのかとか、そういう話はもう聞くに耐えなくて、僕は適当に「用事があったの忘れてたわ」と話を切って、雑に挨拶をして教室を出た。

 空の茜色が燃え移った廊下は、昼間に溜まった熱がまだ少し残っていて暖かかった。僕がいた教室以外の部屋はどこも電気が消えていて、薄暗い中に並ぶ机がどこか冷たかった。


「……はぁ」


 何を考えているんだろう。もしかして、つまらなかったんじゃなくて怖かったのかな。

 そんなバカみたいなことを考えて、すぐにそれを振り払う。おかしいじゃないか、嘘だとわかり切っていることにいちいち怯えるなんて。

 僕はなんとなく、今日の夕飯はなんだろうとか、今日は好きなライバーさんの配信あったかなとか、別のことを考えながら昇降口に向かった。


     *


 ——先日、僕が住む町にある駅で死亡事故——といっても、状況だけ見ると自殺っぽいけど——があった。

 話によれば、電車を待っていた人がいきなり怯え出して線路上に飛び出したところ、ちょうどそこで電車がホームに入ってきて撥ね飛ばされたということらしい。

 普段僕は学校に通うのに利用している駅なのだが、ちょうど僕が乗る時間の次の電車で起こった。

 死んだのはまだ成人して間もない女の人だったという。名前は覚えていないが、テレビのニュースで見た顔写真はすごく綺麗だった気がする。


 そしてこの事故、起きた時からずっと奇妙な噂が飛び交っていた。

 ——曰く、遺体が見つからないと。曰く、残されたのは赤黒い血痕とピンク色のポシェット、そして肩あたりから無理やり千切られたような痕がある左腕だけなのだと。


 正直、僕は真っ赤な嘘だと思っている。電車に勢いよく撥ね飛ばされたとしても、傷つきこそすれ遺体がなくなるなんてありえない話だ。

 もう事故が起きてから結構な日が経っているのに、みんな飽きもせずにその事故の噂の話をしている。僕としてはもううんざりだ。

 僕の中では、この事故はただの自殺だということになっている。みんなが言う『地縛霊』だの『生き霊』だのといった話は聞いてられないんだ。

 

 ——でも、僕はこの日、その考えを嫌でも変えなきゃならなくなった。


     *


 学校の表門を出た僕は、住宅地を抜けて駅に向かう。最近は人口が減っているみたいで、住宅地のくせに誰ともすれ違わない。

 道路のアスファルトも結構ボロボロで、路面表示の白い塗装もヴィンテージ物のプリントみたいにあちこちかすれている。


 ちょっと寂れた雰囲気がある道を十分ほど歩いて、僕は駅についた。都会にあるような大きなものじゃない。必要最低限——改札とホームだけしかない小さな駅だ。

 ホームを挟んで反対側は、暗い森が広がっている。入ろうと思ったこともないが、入ったら最後迷って抜け出せなくなりそうな、鬱蒼とした森。


 僕は改札を抜けて二番線で電車を待ちながら、いつものようにスマホで小説を読む。

 五十ページほど読んだところで、ホームに設置されたスピーカーから『間も無く、二番線に列車が到着します』とアナウンスが流れた。

 顔を上げて右を見ると遠くのびる線路の先に小さく電車の姿が見える。それは段々と大きくなって、やがて僕の目の前に側面を見せて止まった。


 ぷしゅう、と気の抜けた音を立てて目の前のドアが開く。降りてくる人は数人だけだった。


『お待たせいたしました。A町、A町です。おおりの際は足元にご注意ください』


 ちょっとくぐもった男の人のアナウンスを聞きながら、電車に乗り込む。車内はいつも通り空いていて、簡単に座ることができた。

 僕が座って荷物を足元に置き、一息ついたところで発車のチャイムが鳴る。そしてガラガラと大きな音を響かせながらドアが閉まり、電車が動き出した。

 窓の外に見える森がゆっくりと左に流れていき、やがて緑と黒と焦げ茶色のストライプになった。


 ガコン、ガコン、という騒音が響く車内で、僕は再び小説を読み出す。僕の家があるB町は二駅先で距離もあるから、頑張れば文庫本の半分ぐらいの量は読める。

 スマホでKindleアプリを開いて、さっきまで読んでいたところから読み始める。今読んでいるのは最近アニメ化されたミステリ小説で、一人の大学生の男の人が義足の少女と共に怪事件に挑むという内容だ。

 ちょうど今は二人が出会ったところで、ようやく物語が動き出すのだと僕はワクワクしながら読み進めていく。

 だが——


「…………はぁ」


 その先にあった展開に思わずため息を吐く。なぜなら、そこには『怪異』だの『妖怪』だのという単語が並んでいたからだ。

 難解なトリックがふんだんに盛り込まれたミステリ小説だと思って買ったけれど、どうやら僕の見当違いだったらしい。

 内心ガッカリしながら、それでも買ったものだからと読み続ける。とはいえ一気に熱が冷めてしまったから、スピードは断然遅くなった。


 二十ページも読まないうちに、次の駅。そしてそこから三十ページも読まないうちに、その次の駅。


 結局、僕が住むB町の駅に着くまでには六十ページも読めなかった。スマホの画面を消して顔を上げると、すでに空の茜色は鎮火しており、今は紺色の絨毯の上に無数の星々が散りばめられていた。

 今日は新月の日なので月は出ていない。その代わりか所々に小さな雲が浮いていて、虫食い跡みたいになっていた。

 

『まもなくB町、B町です。おおりの際はお忘れ物のございませんようご注意ください』


 毎日聞いているやや気の抜けたアナウンスとともに、スピードが落ち始める。そしてすぐに、電車は蛍光灯で照らされたホームへと滑り込んだ。

 僕は電車が完全に止まったところで、荷物を持って立ち上がった。そこでちょうど近くのドアが空いたので、そこからホームへ足を踏み出す。


 僕と同じ駅で降りるお客さんは他に数人ぐらいしかおらず、あちこちに雑草が生えたホームはどこか荒涼としていた。

 先に降りて改札へ向かうスーツ姿のサラリーマンの背を追って、僕も歩き出す。

 ——その途中で、誰かに頬を撫でられたような気がした。


「な……っ」


 思わず立ち止まって辺りを見渡す。僕の他に降りた人は皆すでに改札を通っているので、もちろん近くに人はいなかった。目に入るのは、蛍光灯の無機質な白光に照らされた、ボロボロのホームの地面だけだった。

 やっぱり気のせいだったんだと、僕は息をはいた。僕がいつの間にか呼吸を止めていたことに、この時気づいた。


 僕は僕自身の無意識の行動に疑問を感じながら、改札がある方に向き直った。

 ちょうどチャイム音とともにドアを閉め、次の駅に向かって動き出した電車を横目に見ながら、僕は改札を抜ける。途中で変な音が聞こえたけど、僕は振り返らなかった。

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