SF好きに物申す!

ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬)

物申す!

 こんにちは。守男威 露相(もりおい ろあい)と申します。

 みなさんはSFって聞くとどんな印象を受けますか。

 私のかつての印象は、「めっちゃ宇宙ぅぅ!めっちゃ難解ぃぃ!」で読書をはじめた当初も手に取ることはありませんでした。でも、とあるきっかけでSF作品に多く手を伸ばしはじめてみると、なんとこれまで主に読んできたミステリー作品よりも好きになってしまいまして、その内本棚をSFが占める日も近いかもしれません。

 今回はそんな私のSFとの出会いとその印象の変化を通して感じた、SFという世界とそれを愛する人に対して思うことをまとめてみたいと思いました。

 今の私は「月の光 現代中国SFアンソロジー」を読んでいる途中にこの文章をまとめているところです。思えば、華文作品との出会いもまたSF作品に手を伸ばすようになってからですから、やっぱりSFと出会えて良かったです。

 それでは、まず私がこれまで読んだSF作品を元に、SFに対する印象がどのように変化していったのか(私自身も)振り返っていきたいと思います。

 

 私がはじめてSFを意識するようになったのは2019年の9月、映画館にて映画「HELLO WORLD (ハロー・ワールド)」を見てからでした。こちらSF小説を執筆なさっている野崎まどさんが脚本を担当していることもあって、その内容もエスエフしていました。その当時の私は珍しいことに二度も見に行くほどハマっていました。SFにではありません。ヒロインの一行さんと劇中歌の「イエスタデイ」にです。


 しかしその影響か、図書館で手に取ったSF小説に興味を惹かれ読んでみようと思ったのです。私が本格的に読書に浸るようになった大学入学から見ると、それがはじめて読んだSF作品だったかもしれません。そんな記念すべき第一作はスコット・ウェスターフェルドの「リヴァイアサン クジラと蒸気機関」でした。

 そしてそれが面白くて面白くて、私はもっともっとSFを読んでみたいと思うようになり、書店へと足を踏み入れます。さて、SF好きを自称する私ですらもお世話になっておるのですから、同じくSF好きのみなさまもここで私が向かうべき書籍コーナーがどこか想像がつくかと思います。


 角川(KADOKAWA)じゃないよ!?早川だよ!


 ということで早川書房さんのコーナーにやってきました。

 これまでミステリー作品を求めて講談社文庫のコーナーにやって来る度にそこに存在するだけだけの背景だった世界は、今わたしの目の前に新たな世界を見せんと立ちはだかるのでした。

 そこではじめて手に取った作品は何だったでしょうか。

 今となっては忘れてしまったのですが、その一冊を手にしたからこそ今があると思うと、何としてでも思い出して見せたいところです。そこからわたしのSF旅が始まったわけです。

 せっかくなので思い出話も含めて幾つか思い出深い作品を並び立てたいと思います。みなさんが読まれたことのある作品もあったりしたら、なんだか同じ本好きとして嬉しく思います。


 まず最初に思い付くのはやはり草野原々さんの「最後にして最初のアイドル」ですね。これが最初に手に取った作品だとしたらかなり厳しい道を選んだわけですね。

 これはSF初心者の私にはやはり難しく、表題作を読み終わることもできずにいましたが、時間をおいて再挑戦。読み切れたばかりか、かなり楽しむことが出来ました。


 それからは早いものでした。「星を堕とすボクに降る、ましろの雨」「ハーモニー」「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ」など小川一水作品を少々。「大進化どうぶつデスゲーム」「アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー」「なめらかな世界と、その敵」文学史上最悪のタイムパラドックスを謳った法条遥さんの「リライトシリーズ」など色々読むようになり、今は「月の光 現代中国SFアンソロジー」を読んでいる所です。

 実はハヤカワ文庫の百合SFフェアの対象作品はすべて読んでいたりします。そして、この延長でハヤカワポケット文庫の存在を知り、中国文学との接点もここで生まれました。本当にハヤカワ様様です。

 (それにしてもどうしてハヤカワさんはここまで百合を推すのでしょうね。まぁ好きですからいいですけど。

 あぁ百合と言えば、メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たちという作品がとても面白かったです。こちらもSFですし、私としては百合だと思ったのでもしよろしければお手に取ってみてはいかがでしょう)


 こうして思い返してみても色々あり過ぎてSFって何だ?と頭の上にはてなマーク(?)が浮かびます。宇宙行ったり、友人が目の前で自殺したり、世界はアイドルから始まったと声高に叫んだり(あと百合したり)と、もはやSFという共通点以外になにがあるっていうんでしょうか。というくらいSFという世界の定義、広さには驚きます。

 ではどうしてそんなにも曖昧で広義なのでしょうか。

 それはSF作家、もといSF好きのみなさんが欲張りだからだと思うのです。

 欲張りですよ、みなさん。


 まずですね。物語(小説)を構成する要素が「発想(構成)」「人物」「事件(展開)」の三つあるとしたら、SF作品ってのはこの発想の含む範囲というのがとても広いと思うのです。

 ほかの作品で考えてみます。

 例えば、青春、恋愛、スポーツ、時代小説などにおける発想はその世界で葛藤し活躍する「人物」の「事件」を通した心理面の変化を描くことが物語の中心、「発想」にあたると考えています。

 そしてミステリー作品においては、トリックやその現場となる建物などがこの「発想」にあたるとしましょう。

 では、残るSFやファンタジーにおける「発想」とは何か。

 それは世界観そのものだと私は思います。

 魔法やドラゴン、宇宙人にレールガン(超電磁砲)と、これでもかとぶっ飛んだ想像が溢れていますでしょう。

 その点でファンタジーとSFというのは優劣つけがたいのですが、私としては電脳(?)とか言って人間をデータに変換してしまっているSFのほうがぶっ飛んでいると思うので、やっぱりSFは欲張りです。


 最近読んだ「コルヌトピア」という作品では植物をコンピューターの計算資源としてしまう発想にワクワクが止まりませんでしたし、「月とライカと吸血姫」というラノベなら吸血鬼が宇宙を目指すというのがめっちゃエモかったです。


 このように宇宙に行くのも、データに変換されるのも、人間の精神を分解するのも、ロボットと恋をするのも。SFと呼んでいいんです。だって、SFの世界をつくるのはこうした自由な発想そのものだから。

 そして、そんな世界で恋をして、人を救って、人を殺して、世界を壊して、世界を救うことを、なによりワクワクドキドキすることを求めているのですからやっぱりSF好きは欲張りだと思います。

 そんな欲張りさんたちへ。

 今後もお世話になります。よろしくです。

 

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