第25話 取られたなら、奪い返す

【取られたなら、奪い返す】


 左手に巻きつけられた包帯には、血が滲んでいた。拳を握って見ると、痺れるような痛みが走り、ルカは口元を引きつらせる。


「痛いなぁ」


「当たり前です」


ルカは自室で椅子に腰かけ、年配のメイド長であるゾーヤに手を処置された。


 彼女は骨が浮き出るくらいに細い、長身の女性だ。ゾーヤは仕方がなさそうに呆れ果てた顔をし、処置をしてくれた。


 実は先ほどリーシャと帰ってくる時に馬の手綱を握るのもきつかったので予想はしていたが、ルカは自分の傷ついた左手を見つめる。




(これじゃ、剣や銃を握るのはきついなぁ。仕事に支障きたすよね、これ)




 ルカは苦笑する。


 自分は、皇宮にいる時はニコライ皇帝に常に侍っているため、もしニコライ皇帝の身を守らなければいけない時には、盾になる必要がある。なので皇宮にいる時は帯刀もしているし、銃も懐に入れているのだが、咄嗟の時に傷ついた左手は機能してくれるだろうか。




(ボク、左利きなんだよなぁ。利き手を怪我かぁ)




 首をひねり、考える。右手を使って剣を持ってみようか。




「しかし、下が何やら騒がしいですね。エミール達が帰ってきたのでしょうか?」


「ん?」




 ゾーヤの言葉に、ルカは反応する。下の階から足音がばたばたと聞こえてくる。五月蠅い足音であるため、エミール達なら後で注意しようと思った。




(あれ?)




 ルカが窓に目を向けた時、黒い馬車が駆けていくのが見えた。自分の家の馬車ではない。間違いなくそれは皇宮の馬車であったため、ルカは目を疑った。




(皇宮の?どうして)




 それも数は1台ではなく、自分の家から離れていく。


 逃げるようにして屋敷から離れていく馬車を見て、ルカはすくりと立ち上がり、廊下に出た。ばたばたと階段を駆けあがってくる音がした。




「ルカ様!リーシャ様が、連れて行かれました――!」




 声の主は、ガリーナだった。


 彼女は顔を蒼白としており、ルカに縋るようにして駆けてきた。




「ごめんなさいっ!私、何もできずっ」


「落ち着いて、ガリーナ」




 ガリーナが取り乱す様を見て、ルカは努めて冷静を装った。


 彼女を余計に慌てさせる必要はないと思ったのだ。内心は、先ほどの馬車を早く追いかけたい衝動に駆られる。




 だが、自分が取り乱したところで、リーシャが自分から離れていく現状は何も変わらない。




「そいつは、リーシャだけを奪っていったのか」


「――はい、ルカ様は公式の場で裁くから、良いと」


「ひとまず君が無事なのは何よりだ」




 ガリーナは落ち着こうと深呼吸を何度か行い、キッとした目で自分を見た。それどころではないと言いたいのだろう。




「で、リーシャを奪いに来たのは誰なのかな?」


「ファリド、と言っていました。以前ルカ様から聞いたことがある方ですよね?リーシャ様の婚約者の方だったと記憶しています。ファリド・シュレポフでしたか」


「あの男か」




 ルカの瞳がぎらりと輝いた。怒りを含めた自分の瞳や、どす黒くなった声音に、ガリーナが肩を跳ねさせる。




「向かったのは、シュレポフ邸かな?彼女を連れて、まだ皇宮に乗り込みはしないだろう」




 ルカは、彼の愚かさに辟易していた。元々リーシャの婚約者というだけで苛立ちを隠せなかったのに、自分の屋敷からリーシャを奪うなど、言語道断である。




「こ、このまま行かれるのですか?ルカ様っ」




 階段を降りていくと、ガリーナがついてくる。玄関の前にはエミールが立っていた。




「む、ルカ様――どうかされましたか」


「エミール、これから帝都へ向かうよ。一緒においで。ガリーナはここにいて」




 エミールは、む?と首を傾げる。彼の視線は、包帯が巻かれたルカの手に向けられていた。




「む。ルカ様、お怪我をされていますが、大丈夫ですか?」


「大丈夫だよ、右手は使えるから」


「む。それは、あまり大丈夫ではないのでは?」


「行かなきゃいけないからね」




 どす黒い声を発したら、エミールはもうこれ以上何も言わなかった。


 ガリーナは心配そうに両手を握っている。




「リーシャ様――お可哀想なお方です。本当に。ルカ様に執着されているだけでもお可哀想なのに、お可哀想な運命のお方です」


「随分だね、ガリーナ」




 ルカは怒りを含めたまま、失笑した。


 全てを知っているガリーナにとってみれば、リーシャは可哀想に見えるだろう。




(可哀想?あぁ――可哀想だったよ、彼女は)




 ルカは昔の彼女のことを思い出す。




 小さな少女は、重責を負い、閉じ込められていた。


 勉強しなければまた孤児になってしまうと怯えた彼女は、可哀想だっただろう。


 もう、昔の話である。


「もう彼女は、可哀想なんかじゃない。幸せにするために、ずっと閉じ込めていたいんだ」


 ルカは怒りに瞳をぎらぎらと怪し気に輝かせ、冷笑を浮かべた。


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