第50話 講和

 本願寺と講和した。

 もう一度言っておこう。本願寺と、講和した。


 十年から戦い続けた因縁の相手である。

 正直ようやくという思いが強い。


 水上からの補給を断ち、味方は当てにならない状況まで持って行った。

 寝返った荒木本人は逃がしたものの拠点たる城と妻子は皆切った。これは本人が降れば妻子は赦免するという条件で降伏勧告したところ、荒木がすべてをなげうって単独で逃げ出したせいだ。

 こうなると逆に妻子を赦免できなくなる。また残酷だのと悪評が立つがやむを得ないことであった。

 悪評はぼくが引き受け次の代はもっとちゃんとできるようにする方針は変わらない。

 裏切り者への見せしめとしても必要なことで、だからこれでいいのだ。


 上杉はいわずもがな、毛利も備前でこちらに寝返った者が出たことで水上に続いて陸上でも救援の目はなくなった。

 毛利の備前での膠着は以東の反抗勢力に対しても悪く働く。当てにしていた毛利の援軍がこないとなれば、織田に潰されるのは必定と考える者もでる。士気もくじかれる。

 そんな揺らいだ勢力を着実につぶしていった。


 ただでさえ食料の供給を断った状態である。

 武士よりもよほど裕福な生活をしている坊主である。そうそう飢えに耐えられるとは思ってないない。だからこそ苅田刈畑も丁寧に行い包囲に寄って補給を断ったのだ。

 さらに抱えている兵も飢えれば揺らぐ。

 兵糧攻めを受け、援軍の当てが無くなれば、詰みなのだ。

 それでもずいぶんと粘ってくれたものだが。


 ついに講和にこぎつけたのである。

 音を上げて朝廷に泣きついてきたのだ。先日断ったばかりだろうに、こうなることは見えていた。

 本願寺としては大層な屈辱だっただろう。

 だがそれでも講和を選んだのだ。


 講和の条件は十年敵対してきた相手としては温情のはいったものとした。

 今後織田にたてつかずおとなしく坊主としての役割にちゃんと専念することを前提として、本願寺派の影響がまだ強い加賀の一部を領することを認めるというものだ。

 こちらとしても未だ抵抗している地域を攻める手が空くので悪くないし、温情を示すことで和解したことを周囲に誇示できる。


 だがこの温情は無駄になった。


 本願寺の宗主が立ち退いた後、その息子が宗主を継いだと称し、強硬派と共に石山に立てこもったのだ。

 前提条件が崩れた以上は、条件付きの恩情は執行できない。

 結果としては朝廷からの説得を受けて退去することになったのだが、この時のことがきっかけだろう、宗主は息子を義絶したそうだ。

 この件、おそらく長く続く対立の原因となるだろう。

 さらに各個で抵抗している本願寺派の一揆もすぐには大人しくならないだろう。

 腹立たしい限りだ。



 ともあれこうして石山からは本願寺勢はいなくなり。


 寺が燃えた。


 いや、本当に燃えたのだ。焼き討ちしたわけではない。

 退去が気に入らなかったに本願寺の者がが火をつけたという噂が立っているが、どうだろうか。


 まあ本願寺をそのまま使うつもりもなかったのだけれども。

 最後にケチがついたものだ。

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