第32話 惰性
話は義昭さまが都落ちした後に戻る。
この頃のぼくは大層不機嫌に見えたらしい。
機嫌が麗しいとは間違っても言えなかったことは事実だ。
ただ僕を支配していたのは不機嫌というよりは虚無感だった。
生涯をかけ多くの人を巻き込み犠牲にすらして取り組んできた目標を失ってしまったのである。
どうしてこうなったのだろう。
そんな気持ちに支配され、しかしこれまで培った大名としての織田信長がそれを面に出すことを嫌った結果、不機嫌な顔として出力された、というのが実際のところだ。
ぼく自身はこれからのことを考えるのも億劫で、だというのに状況は動いていく。
この頃のぼくは惰性で動いていたと言っていいだろう。
義昭さまが去ったあとすぐに行われた天正への改元は、以前から義昭さまが朝廷に提案していたものである。元亀改元後の幕府の実績が縁起が悪いと悪評が立ったことで、義昭さまが朝廷に申し出たことだ。具体的には元亀改元から半年後だったろうか。
ただ、この話は速やかには運ばなかった。やはり半年というのは時期尚早だったということだろう。
本格的に動き出したのはそれからおおよそ二年、今から一年半ほど前にあたる。
朝廷、幕府それぞれの担当が決まり、カネの問題で凍結されていた。
儀式に着ていく服がないという冗談のような公家の話を聞いた時には苦笑いしか起きなかったものだ。
そしてこの段階では幕府も反対していた。費用を出したくないと。元をたどれば言い出したのは義昭さまなのだが、幕府にカネがないことは何度も述べたとおりだし、幕臣の中にぼくに頼ることを嫌がるものが目立ち始めたのもこのころだ。
つまり朝廷の要望を幕臣の都合で蹴ったようなものである。
その後調整が進み、どうにか目途が立った、というところで、幕府内部での派閥対立が激化しており、それどころではなくなっていた。
改元は朝廷が幕府を通して行う案件であるので、ぼくは基本的に関わっていない。元亀への改元の時も費用を用意しただけだ。
ただ、そういう裏話は朝廷の使いから聞かされていたし、幕府内の対立の一因であることは自覚している。
そしてこの度、幕府がいなくなった。
なので改元を申し出た。
朝廷側は喜んで受け入れた。
手続きさえちゃんとできていれば儀式まで十日もかからない話だったのだ。
義昭さまとその側近はこういうことをちゃんとしていなかった。
だがいなくなった以上、ここにいるぼくがやるべきだろう。
ああ。どうしてこうなった。
幕府がいなくなったからには、いなくなった場所にぼくがいる以上、幕府がやるべきだったことをぼくがやるしかないだろう。
幸い、あるいは不幸にも、義昭さまとの対立によって、ぼくの側に付いた元幕臣も多くいた。
有能で、ぼくの考えに賛同していた、つまりちゃんとした世の中を作り天下に静謐をもたらすことを目指す者たちだ。
彼らが改めてぼくの部下となったので、役に立ってもらうことになる。
ぼくが支えることで朝廷をちゃんと運営してもらい、幕府は……いや。
滞っていた朝廷の儀式を進め、これまで準備していたことを進め、その先で。
その先にぼくは何をめざせばいいんだろう。
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