第8話 帰ろう

 副将軍や管領は断ったものの、義昭さまが天下を手にした結果ぼくが得たものはいくつもあった。

 交通の要所の街、大津、草津、堺の代官職。

 これは金銭的利益はもとより、軍事的にも必要なものだ。


 まず堺だが、阿波に逃げた三好ににらみを利かせるためにも重要だし、情報を集めるためにも都合がいい。なにより、織田が持っていることで三好に奪還されてしまうことを避けられるのもいい。

 畿内には上洛に協力した他の大名がいるし、山城は将軍家のナワバリだから、領地を置くことは難しい。

 だから、堺という街一つの代官というのはいろいろな意味でちょうどよかった。


 大津、草津については淡海(琵琶湖)という水運の拠点でもあり、元六角の支配領域だった場所だ。

 六角はまだ油断できるほど力を失っていないため、重要な拠点は支配していかないと安心できないのである。

 それに、京と尾張を繋げる要所。何かあれば京に駆けつけることもあるだろうし、街道も用意した方がいいだろう。


 実は美濃攻めの頃から近江の南、尾張の西にある伊勢北部を攻めていた。

 これは美濃とも隣接している地域であること、小さな勢力が乱立していて美濃攻めの際、変に動いて邪魔をするものが出ないようにと考え制圧することにしたのだ。

 位置的に上洛の横やりも考えられる。

 そしてのちには斎藤の残党が逃げ込んだりもした。

 なので伊勢とは敵対していたのだ。


 南近江は万全でなく、伊勢とは敵対。その状況下で南近江の支配を強化できる大津、草津の代官職は必要なものだった。


 実利的なものは以上。

 しかしそれ以上に大きなものももらっている。

 足利家から桐紋を拝領し、織田家を管領家と同格の家格と認められたのだ。

 さらに、曾祖父の代から自傷していた弾正忠へ公式に任官をうけたのだった。

 幕府の役職を固辞したというのに、これほどの名誉を受けることができるなんて、義昭さまには感謝しきりである。


 これからはぼくは天下の主たる義昭さまに仕え、尾張と美濃、六角によって混乱しかねない南近江をしっかり治めていこうと気持ちを新たにして美濃へ帰ったのである。

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