さよなら、夏の風物詩

真尋 真浜

XXX

 日本に変わらぬ四季が巡る。

 春は曙、夏は以下略。


 温暖化の影響で春が短くなったとの見解もある中、残念ながら今年もやってきた。

 暑くて、暑くて、蒸し暑い季節。

 より厳しさを増したと誉れ高い灼熱と薄着の季節。


 夏の到来である。


「いやだよー、嫌だよー、また夏の季節だよ知子ともこォ!」

「何をそんなに嫌がるのか祐美子ゆみこは」


 ルームメイトのじたばたする姿に呆れながら、知子はクーラーの風下で涼しげに読書に勤しんでいた。浴衣でも着れば日本人形の完成形に近しい風貌の知子だが、眼鏡の存在と胸元の質量がやや意匠に反する。

 一方で奇声と熱気を発する祐美子は活発な女子大生然した外見で、実際に運動大好き健康優良児。にもかかわらず参加しているサークルが文化系なのは意外性を持って受け入れられている。日焼けも似合いそうだが紫外線に弱い肌が日光を嫌うのだ。


「だってほら、またウチのサークルが張り切って『納涼肝試し開催のお知らせ』だよ!? ウチはミス研であってホラーじゃないでしょ!?」

「探偵小説倶楽部かと思いきや超常現象の方だったのに比べればニアミスじゃない?」

「ミステリーとホラーは字面から別物でしょ!?」


 知子からすればそれもどうかなと思ったが反論はやめておく。友人が慌てふためく理由はそこでなく別のところにあったから。


「で、何が問題なんだって?」

「だから肝試しよ肝試し! いくら恒例行事だからって先輩達が気合入れすぎ! 人前で漏らしたらどうしてくれるの!? 乙女の尊厳の危機よ危機!」

「先に用を済ませておけばいいじゃない」

「そういう問題じゃない! どうしてあんな怖いことを強要するのってところが問題なの!」


 ひとしきり騒いで呼気が乱れたのか、ぜいぜい深呼吸することで多少の落ち着きを取り戻した祐美子。

 友人の動揺にわずかにも協調姿勢を示してくれない薄情者に恨みがましい目を向ける。


「……そういえば知子は全然平気だよね」

「ええ、まあ」

「去年も先輩達が悔しがってたもんね、あの子だけは全く怖がらせられなかったって」


 新入生歓迎の肝試し会を思い出す。

 旧サークル棟を借りた盛大なるお化け屋敷の爆誕に祐美子は戦慄を以って歓迎されてしまったのに、付き合いの良くない友人はひとり涼しげに生還を果たしたのだ。


「ずるいなあ」

「そう言われても」

「何か怖くならないコツでもあるなら教えてよー」


 霊感が無いとか、逆にありすぎて偽物が分かるだとか。

 当てに出来ない藁にも縋る気持ちで擦り寄った祐美子だったのだが。


「いいわよ」

「え」

「ただし条件があるの」


 友の発した思わぬ返事、思わぬ要求に息を呑む。

 何の気負いもない声に対し、逆にただならぬ気配を感じた気がして緊張が走る。

 ああ、ああ、果たしてあたしは踏み込んではいけない領域に足を差し込んでしまったのではないか。


「ど、どんな?」

「これからする私の話を聞いても」


 手にしていた本をパタンと閉じて、何気なく知子は条件を言い放った。


「私の話を聞いた後、

「……それは、どういう?」

「だからそのままの意味。私が肝試しで平然としていたのは、とある真理に気付いたから。その話をすれば多分祐美子も平気になると思う」


 だけど、と繰言をする。意外と真剣な声で。


「それを知って実践できると、多分怖がることはなくなるけど、同時に楽しめなくもなるわよ?」

「じ、実践って……なに、霊感を磨くとかそういう」

「そんな大層な事じゃないわよ。ただナゾナゾに『ああ、そういう事か』って答えを思いついた程度の話」


 冗談を言ってる風ではない。

 割と古風な外見の知子は見た目に反して真顔で冗談を吐くので油断は禁物なのだけど、今回はそんな雰囲気ではない。

 彼女は本当に祐美子を気遣って問うているのだろう、本当に話してもいいのかと。


「……いいわよ、話して。怖いの嫌いだから」


 知子は頷いて、恐怖を振り払う方法を語った。


******


「先に結論を言ってしまうと、お化け屋敷もホラー映画も作り物よね」

「そんなこと分かってるわよ、でも怖いんだもん!」

「ええ、そうなるわよね。だからもう一歩進めて考えてみるのよ」

「一歩?」

「そう。『どうして作り物なのに怖いのか』」


 知子は指を立て、自身の昔話を聞かせた。


「これは私が中学生だった頃の話なんだけど」

「か、怪談の前フリみたいな話は勘弁してよ」

「とあるスプラッター映画を観に行ったのよね」

「だ、だから怖い話は!?」

「聞きなさい。で、田舎の映画館だったから別の映画と同時上映だったんだけど」


 昔ながらの映画館は複数の上映室を一体化したアミューズメントスペース形式ではなく、ひとつの映画館で2本以上の映画を数珠繋ぎで上映するのが常である。

 1回の入場料で複数の映画が見れるため、古い映画館を愛好する客もそこそこ居たりする。最新の映画は観れない欠点を除けばお得なのだ。


「おめあてのスプラッター映画の同時上映がね……祐美子はキョンシーって知ってる?」

「え、うん。中華ゾンビでしょ、額にお札貼ってピョンピョン跳ねる奴」

「そう、そのキョンシー映画だったのよ」


 キョンシー映画。

 一時期空前のブームを巻き起こした新感覚アクション映画。死体を道士の術でアンデッド化させた『動く死体』キョンシーの人間では出来ない動きを活かしたアクションが人気だった。

 中には人気が講じて日本でアイドルデビューを果たした役者もいたりした程だ。


「祐美子、あなたはキョンシー映画も怖い?」

「いや、いくらあたしでもキョンシーは怖くないわよ。あれって敵がお化けだけど結局はカンフー物でしょ?」

「そう思うわよね」


 知子はキョンシー映画を面白く観ていた。他の観客もアクションを楽しみ、ちょっとしたお下品なギャグ要素や道士と弟子のコントを笑ってみていた。

 しかし。


「キョンシーが扉を蹴破って現れるシーンがあったんだけど」

「はあ」

「観客のひとりが悲鳴を上げたのよ。キョンシー映画で、コミカルたっぷりの映画で、そりゃもう周囲もドン引きするくらいの大きな悲鳴を」

「……は?」


 流血もなければ誰かが惨たらしく殺されたわけでもない。

 壁いっぱいの手が画面を埋め尽くしたわけでも、誰かが全身から血を噴出して死んだわけでもない。

 ただキョンシーが現れた、それだけで観客の女性が大きな悲鳴を上げたのだ。


「当時は周囲の人達もざわざわして、あれはなんだったんだろうって私も思ったんだけど、後々映画館を出てから気付いたのよ」

「?」

「あれは、キョンシーがいきなり出てきて、ビックリしたんだろうなって」


 キョンシーが扉を蹴破って現れたから驚いて悲鳴を上げただけ。

 この理解が知子をひとつの真理に至らせた。


「そして気付いちゃったんだ。ホラー映画やお化け屋敷が怖いのって、これと同じなのかなって」

「……あ」

「そういうこと。つまり作り物を怖がるのは、『ビックリしてるのを怖がってるんだと錯覚してる』に過ぎなかったって話」


 胸の鼓動の高まり、動揺の仕方、心臓の刻むビート、心拍数が跳ね上がる感覚が、恐怖と驚愕は非常に似ているために錯覚させるのだ。

 だからね、と。

 知子は作り物を怖くなくなる最後のコツを教えた。


「ホラー映画やお化け屋敷で怖いと感じた時、こう考えるようにすればいいわ」


「『』と」

「これだけでもう何も怖くなくなるわよ、つまらなくもなるけどね」


******


 その後、祐美子は友人と遊園地で遊び、途中でお化け屋敷に入る機会を得た。

 売り文句は日本最長、最大の恐怖をあなたに、耐えられない方は非常出口にご案内云々。

 以前なら断った入場を飲み、祐美子は友人3人と一緒に恐怖の廃病院へと足を踏み入れた。


「キャー!」

「イヤー! イヤァァァァ!!」

「助けてェ!!」


 緑色の蛍光灯が照らす病院の中、祐美子は3人を先導する形で歩く。

 蠢く看護師や這い寄る死体置き場の犠牲者、近付いてくる悲鳴に割れるガラス音の数々に怖がり、竦み、叫ぶ友人たちを尻目にずんずん進む彼女を恐怖に浸った3人は尊敬の眼差しで見つめた。


「ゆ、祐美子、大丈夫? 怖くないの?」

「ええ、まあ」

「すごい、わたしってばもう怖くって! どうしてこんなところ入っちゃったのかって!」

「もう涙でお化粧溶けちゃうよ、怖い怖いィィ」


 成程、知子の言う通りだった。

 お化け屋敷のスタッフや仕掛けが発動する度に「ああビックリした!」と思えばまるで動じずに済んだ。怖い気持ちはただの驚きに変換されるからだ。


 ただ、どこか純粋な気持ちで作り物を楽しんでいた心境も無くしてしまった。

 恐怖と驚愕を錯誤する仕組みを知ってしまったがための弊害。

 残念ながら、これも知子の言う通りであったのだ。


(もう何も怖くなくなるわよ、つまらなくもなるけどね)


 作られた恐怖体験を存分に味わう3人を見やり、祐美子はどこかで寂しい気持ちを感じていた。

 恐怖に負けた彼女の中で夏の風物詩がひとつ喪われたが故に。

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