第37話 たった一振りの、剣

 暗く、寒々しい感触が全身を包み込み、俺の体は水の底へゆっくりと落ちていく。

 ――駄目だった。あれだけ頑張ったのに、結局はこのような結末を迎えてしまった。俺は力を失った目で、胸から流れ溶ける赤い揺らぎを見た。

 あの竜の角に心臓を刺された。血が止め処なく溢れ、もはや指先すら動かせない現状から察するに、長くは持たないだろう。

(すまない……みんな……)

 後悔と無念が溢れた。俺は傷だらけで沈んでいく己の末路よりも、仲間の想いに応えることができなくなってしまったことの方が恐ろしく感じられた。

(俺は、何もできないままに終わっていくのか……)

 全身から消えていく命の気配を他人事のように眺め、もういっそどうにでもなれと自暴自棄になりかけ、――しかしそこで、何かが俺を呼んでいることに気付いた。

(何だ……?)

 空ろな目で《そいつ》を探す。

(誰かが、俺を呼んでいる……?)

 不思議な感覚だった。どれだけ耳を澄ましても水のせせらぎしか聞こえないというのに、《そいつ》の声は俺の心へとするりと入り込み、直に呼びかけてくる。

 それは脳の奥に焼きつき、鮮明な光景を呼び起こした。

 どこかの時間。どこかの世界。緑豊かな大地を穏やかに流れる大きな河川。その隣では黄金の稲穂が実る田園の風景が広がり、田畑では、人々が収穫に追われて忙しそうに動いている。

《そいつ》はそれを見るのが好きだったらしい。今年は豊作だと幸せな笑顔で大人たちが稲を刈り取り、その横にある田んぼ道を子供たちが競って駆けて行く。収穫を終えれば親子で今年の実りを神様に感謝し、また来年のためにと今日を生きていく。その光景を《そいつ》はひとしきり見届けると、川辺の草むらから抜け出し、また元いた場所へと帰っていく。

 ――まさか、お前は……。

 俺は息を呑んだ。

「お前は、この光景をもう一度見たいっていうのか……?」

 帰ろうとする《そいつ》を呼び止めた。《そいつ》は振り返り、目を合わせた。

《そいつ》は悲しい目をしていた。瞳の奥から溢れる何かを留めるのに精一杯で、その瞳は俺に助けを求めているようにも見えた。

 ――辛い、開放してほしい。《そいつ》は俺にそう言っている気がした。

「無茶を言うなよ……。見ての通り、俺はもうボロボロなんだぜ……?」

 なけなしの力で立ち上がりながら、自らを嘲笑った。

 だが、どう答えるかはもう決まっていた。俺がつと振り返れば、何もない荒野の大地が広がっている。この大地をあるべき姿に戻すこと――それが俺に求められていることであり、俺自身も求めていることだった。

「……やってやるさ。お前も助けてほしいっていうのなら、俺も簡単に引き下がらねえよ」

 血の気の引けた体に活を入れた。腕に力を込め、胸へと手を当てた。

 ――熱い。あれほど傷つけられた心臓は、今もなお熱い脈を打っている。それは命の失われていく者にはありえない、力強い生命の鼓動だった。

「諦めるな」と、鼓動は俺に告げている。その力の源が何であるのか理解した時、俺の喉の奥から小さな笑い声がもれた。

「なんだよつれねえな……お前はそこにいたのかよ……。いいぜ、お前も一緒だ。俺と一緒に戦おう」

 深く念じ、より激しく脈打つ《それ》を呼び覚ました。

 俺の胸より光が溢れ、世界が急速に光に染まっていく。

 ひび割れた大地が潤い、命の色が芽吹き、活力の風が吹き荒れた。

 そしてふと、肥沃な大地となった世界に奪われていた目を戻せば、地面には一本の刀が突き立っていた。

 黄金の輝きを放つその刀の刃には、日ノ本に連なる峰々が写しこまれている。刀身が放つ煌きは太陽となり、大地を――日ノ本を力強く照らしていた。

『――力が、必要ですか?』

 天から声が響いた。それは湖畔のように静かで、安らぎのある声だった。

『――その剣には、あなたの願いを叶える力はありません。ですが、あなたが望むならば、私はあなたにより良き力を与えましょう』

 声は俺に手を差し伸べた。

 その言葉に嘘はない。だが俺は頭を振った。

「遠慮しとくよ。今の俺にそんなご大層なものはいらない。こいつ一本あれば十分だ。それにこいつは、俺と同じ志を持つ《仲間》なんだ。だったら俺は、仲間とともに戦う道を選ばせて貰うぜ」

 はにかみ、「だから、ありがとう」と、声に感謝だけを述べた。

 声の主が、その言葉に安心して頷いたような気がした。

 俺は顔の汚れを手の甲で拭い、刀の前に立って手をかけた。大地に深く根を下ろした刃に意識を落とし、腕に力を込めた。

「――ッッ!!」

 重い。まるでビクともしない。刃は大地と一体化して、俺の呼びかけを拒んでいる。

「ふざけんな……! 来いよ……いつまで寝ていやがる……! お前から……俺を呼んだんじゃねえか……!!」

 額を流れ伝う汗を拭うことも忘れて、己の相棒を叱り飛ばした。

 その言葉に応え、感触は確かなものとなり、刃が徐々に大地より姿を現していく。

「来い!!」

 叫び、己が手にすべき剣の名を呼ぶ。


「エクスカリバァァァァァァァァァァァァァッッ!!!!」


 七色の魔力が吹き荒れ、轟き爆ぜた。

 俺は爆発の力によって水面を突き破り、空高くへ舞い上がると、ただ一振りとなった刀――エクスカリバー・正宗を手繰り寄せ、眼下に蠢く存在を捉えた。

 黒き鱗をまとい蠢く存在――黒竜は俺の姿を認めると、水晶の角に宿る魔力を開放した。

 水弾が一斉に放出され、行く手を阻む。俺は七色の奔流に身を預け、紙一重の距離で避けながら、その間合いを狭めていった。


「おおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 繰り出すは乾坤の一擲。全身全霊、全ての者の未来を賭けた一撃を、俺は躊躇うことなく《そこ》へと振り下ろした。

 地を震わす衝動に天が割れた。雨雲を引き裂き、空に光が迸っていく。

 黒竜が断末魔の声を上げた。エクスカリバーの刃が黒竜の額に生えた水晶の角を完膚なきまで打ち砕き、集められていた魔力が火花の種となって大地に還っていく。


 そして、閃光が大地を今一度強かに揺さぶれば、黒竜の姿は微塵と消え失せた。

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